『きみが死んだあとで』…“戦争”と“平和”の狭間にて、そして「兵どもが夢の跡」:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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『きみが死んだあとで』…“戦争”と“平和”の狭間にて、そして「兵どもが夢の跡」


 

 「戦争は平和である」(WAR-IS-PEACE)―。“五輪狂騒曲”を横目で見ていたら、ふいに英国の作家、ジョ−ジ・オ−ウェルが代表作『1984』の中で暗示したダブルスピ−ク(二重語法)の光景が二重写しになった。コロナ“戦争”が拡大の一途をたどる中、復興をかなぐり捨てて強行された“平和”の祭典・東京五輪がやっと閉幕した。矛盾した二つの意味を同時に表現し、国家の意図通りに世論を操作するこの語法…そう、オ−ウェルが全体主義を予言した近未来のディストピア小説が不幸にも目の前で現出するという歴史的な瞬間を私たちは忘れてはなるまい。

 

 「18歳のきみが死んだあとで、彼らはいかに生きたか。きみの存在は、彼らをいかに生きさせたか。ある時代に激しい青春を送った彼ら=団塊の世代の『記憶』の井戸を掘る旅…」―。ドキュメンタリ−映画「きみが死んだあとで」(2021年4月公開)は映画監督、代島治彦さん(63)さんのこんな思いが結集した作品である。54年前の1967年10月8日、ベトナム反戦を訴えるデモの中で、当時京都大学1年生だった山崎博昭さんが機動隊とのもみ合いの末に命を落とした。芥川賞作家の三田誠広や詩人の佐々木幹朗、物理学者で元東大全共闘議長の山本義隆…。山崎さんが在籍した大阪府立大手前高校の同窓や先輩など14人にインタビュ−を重ねた。今年4月に上下巻3時間20分の映画にまとめ、その後に同じタイトルで書籍化された。

 

 「戦争から平和へ」―。まるで何事もなかったように不気味な静けさの中で進行する時代の変貌のただ中にあって、代島さんはなぜ、記憶の忘却に抗(あらが)ってまで、その記憶を再生しようとしたのか。私はオリンピックの喧騒に耳をふさぎながら、満を持すような気持ちで400ペ−ジを超す大著を開いた。もう30年近くも前になるが、代島さんが総合プロデュ−サ−を務めた第1作は沖縄戦の悲劇を下敷きにしたオムニバス映画「パイナップル・ツア−ズ」(1992年)。沖縄の離島を舞台に繰り広げられる珍騒動をコミカルに描いた内容で、日本映画監督協会新人賞を受賞した。旧知の仲だった私は制作に同行取材し、チョイ役ながら“出演”の栄誉にも浴した。しかし以来、ずっと音信が途絶えたままだった。

 

 「古い『記憶』をちゃんと埋葬する。埋葬された過去の『記憶』の土壌から未来の『記憶』の種子ができて、古い『記憶』が新しい『記憶』に新陳代謝する」―。『きみが死んだあとで』(晶文社)はこんな書き出しで始まっていた。「記憶を忘却の彼方に打ち捨てるのではなく、ねんごろに『埋葬』する」…「パイナップル・ツア−ズ」を貫いた精神こそが映画つくりの原点であったことを改めて思い知らされた。14人の青春を追いながら、文中には代島さんの個人史「ぼくの話」8話が挿入されている。私はむしろ、「歴史の記憶」に同伴する覚え書き風なこのメモに興味を引かれた。たとえば、こんな「ぼくの話」―

 

 「『きみが死んだあとで』は「記憶」たどる映画である。「記憶」を「記録」すると、それは「記憶」ではなく「記録」になってしまうのだろうか。僕は「憶」を大事にしたい。「憶」=,ぼえる。忘れない。△もう。おもいだす。おしはかる。「記録映画」ではなく「記憶映画」。人生とは「記憶」そのものである、と言い切ってしまってもいい」(第2話)、「もしもぼくが団塊の世代に生まれたとしたら、どんな青春を送っただろうか。もしもぼくが1967年10月8日に羽田・弁天橋で死んだ18歳の若者の友だちだったとしたら、どんな人生を歩んだだろうか」(第4話、映画冒頭の字幕)

 

 映画の冒頭、雨の中で山崎さんの遺影を顔面に掲げた代島さんの姿がクロ−ズアップされる。「記憶の新陳代謝」を繰り返してきた、いまなお18歳のままの代島さんと故人となった山崎さんがまるで一心同体然として、そこに立っていた。そういえば、代島さんは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(『ノルウエイの森』)という同世代の作家、村上春樹のこの言葉を座右の銘にしていると、本のどこかに書いていた。

 

 6日(広島原爆)・9日(長崎原爆)・15日(敗戦)…また、「記憶と祈り」の8月がめぐってきた。コロナ禍の中での“五輪狂騒曲”の陰にかすんで、その輪郭はまるで漂白されたかのように定かではない。足元ではコロナ感染者が日々、最多を更新し続け、永田町界隈からは「コロナの政治利用」などという不届きなつぶやきがもれ聞こえてくる。戦前、知性派の映画監督として知られた伊丹万作のあの有名な檄「戦争責任者の問題」(昭和21年8月)の一節が耳の奥で激しくこだました。

 

 「つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。…『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」

 

 

 

(写真は映画のポスタ−を掲げる代島さん=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》〜あぁ、あぁ…!?

 

 広島への原爆投下から76年を迎えた8月6日、わが宰相・菅義偉首相が平和祈念式典でのあいさつの中で、棒読み原稿の一部を読み飛ばしたうえ、原爆を「ゲンパツ」と言い間違い、慌てて訂正するという”事件”が発生した。「その程度の輩(やから)にだまされる。そう、だまされるお前らの方が大バカもんだよ」―。草葉の陰から伊丹万作の叱声が聞こえてきた。以下にその顛末原稿(カッコ内の赤字部分が読み飛ばし個所。まるで意味不明)。被爆国日本からの重要なメッセ−ジをスル−してしまうなんて、あぁ、もう本当に「スカ、スカ」…

 

 「『ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない(世界の実現に向けて力を尽くします』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく)核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」ー。この日、広島市など地元関係者は五輪選手などへの黙とうを呼びかけたにもかかわらず、IOC(国際オリンピック委員会)はこれを拒否、“平和”の祭典の正体をさらけ出した。同じ穴のムジナ…

 

 

 

 


2021.08.08:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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