コロナ神から「アイヌ学」へ…日本三大“土人考”:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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コロナ神から「アイヌ学」へ…日本三大“土人考”


 

 「コロナ禍の時代、私はアイヌ民族の教えに従って、この疫病をあえて『コロナカムイ』(コロナ神)と呼ぶことにしています。『パヨカカムイ』(徘徊する神=病気の神)にならい、“負けるが勝ちよ”、“無駄な抵抗はやめよ”という深遠なアイヌ精神が宿っていると考えるからです。私たちは今こそ、アイヌの哲学に学ばなければならないと心の底から思っています」―。『アイヌ新聞記者 高橋真』(4月29日付当ブログ参照)と題するギクリとするような書籍を恵送いただいたアイヌの古布絵作家、宇梶静江さん(88)に対し、こんな礼状をしたためた。ほどなくして、「『アイヌ学』を起ち上げよう!」という趣意書が届いた。

 

 「私がアイヌであることを意識するようになったのは、『あっ、犬が来た』という、言われない悪意ある言葉を浴びせられた、その瞬間だったのではないかと思います。それ以来、アイヌと和人(日本人)の違いは、私を捉えて離さなくなってしまいました。私はなぜアイヌなのか?私はなぜ日本人と暮らしているのか?」―。アイヌ民族として生きてきた苦難を書きつづった趣意書はこう結ばれていた。「私が考える『アイヌ学』とは、アイヌも和人も関係なく、アイヌとは何かを共に考え、共に語り合う一つの場所をこの地上に開くことです」

 

 「臥牛」(ふしうし)という地名が記憶の古層にこびりついている。北上・更木地方の小字で、まだ小学低学年だった当時、郷土史家を気取っていた遠い親戚のじいさまがこんなことを語ってくれた。「『うし』(usi)とはアイヌ語に由来している。場所や所を指す言葉で、この一帯に牛の放牧場があったので、こう呼ぶようになったんではないか。東北には同じようなアイヌ語由来の地名があちこちにあるんだぞ。覚えて置け」―。新聞記者となって北海道勤務になった際、アイヌ取材にのめりこんだのも、定年を迎えてふるさとに戻ることになったきっかけも、どうも消すことのできないこの「臥牛」の記憶みたいなのである。

 

 「研究フォ−ラム 花巻地方のアイヌ語地名をさぐる」―。古代史に興味のある仲間を誘って、こんなイベントを開催したのは定年3年後の2003年。民俗学者の谷川健一さん(故人)やアイヌ語学者で横浜国立大学名誉教授の村崎恭子さんを招き、「猿ヶ石川・豊沢川流域のアイヌ語地名について」…をテ−マに開催。会場の宮沢賢治イ−ハト−ブ館は県内外からの聴衆でいっぱいになり、翌日の地名探訪会も盛会に終わった。半分、道楽三昧の定年生活の安寧(あんねい)を打ち砕いたのが8年後に発生した東日本大震災(3・11)だった。宇梶さんはそのわずか1週間後に以下のような詩をつづった(冒頭写真『大地よ!』所収)

 

 

大地よ/重たかったか/痛かったか

あなたについて/もっと深く気づいて/敬って

その重さや/痛みを/知る術を/持つべきであった……

 

 大震災の記憶も忘却のかなたへと消え去り、コロナ禍での五輪開催がまたぞろ叫ばれる中、もう一つの詩集が世に送り出された。「2021年3月11日」発行の奥付のあるこの詩集は冒頭写真の『夷俘(いふ)の叛逆』(コ−ルサック社)で、作者は奥州市出身の詩人、若松丈太郎さん(享年85歳)。福島県内で高校教師を続けるかたわら、近代の倨傲(きょごう)を指弾し続けた若松さんは4月21日に病没した。遺作のなった詩作に「土人からヤマトへもの申す」と題する作品がある。チェルノブイリ原発事故を視察した後に発表した詩「神隠しされた街」(1994年)は福島原発を予言していたとも評された。

 

 

米軍基地建設に抗議するウチナンチュ−に

ヤマトから派遣された警官のひとりが「土人!」と罵声をあびせた

ウチナンチュ−が土人だば

おらだも土人でがす

そでがす/おら土着のニンゲンでがす

生まれてこのかた白河以南さ住んだことぁねぇ

<東北の土人><地人の夷狄(いてき)>でがす……

 

 「土人」という罵声を浴びせられたのは『水滴』(1997年)で芥川賞を受賞した作家の目取真俊さん(60)である。5年前、沖縄・東村の米軍北部訓練場周辺で抗議活動中、警備していた大阪府警の機動隊員から「触るな。土人」とののしられた。私自身、その前日にたまたま同じ現場に滞在していたこともあり、その一部始終の光景が頭に焼き付いている。冒頭写真の代表作『魂込め(まぶいぐみ』は沖縄戦で両親を失った男の魂が肉体を離れて、海辺をさまよう記憶の物語である。そんな悲劇の歴史を背負わされたウチナンチュ−(沖縄人)に対する「ヤマト」の目線にハッとさせられた。考えても見れば、アイヌ民族もかつては「旧土人」と蔑(さげす)まれ、「蝦夷(えみし)」とも呼ばれた我が東北の先人たちも「化外(けがい)の民」と埒外(らちがい)に葬り去られてきた歴史を忘れてはいない。

 

 コロナ禍が猛威を振るう沖縄・読谷村在住の反戦彫刻家、金城実さん(82)に久しぶりにお見舞いの電話を入れた。「なんの、なんの。沖縄土人はそんなヤワじゃないぞ。そろそろ、全国の土人大集合の好機到来ということじゃないのか」と例のだみ声が返ってきた。そういえば、宇梶さんもこんなことを言っていた。「アイヌはね、コロナにはかからないの。ちゃんと、カムイ(神)として敬っているんだもの…。アイヌにとっては森羅万象(自然界)が全部、カムイ。だから、私たちアイヌ(アイヌ語で「人間」の意)はカムイに守られて生きている。その人間たちの余りの強欲にコロナのカムイも怒ったんだよ」

 

 「パラダイムシフト」(価値の大転換)―。「3・11」の際もインテリの口から盛んに喧伝され、結局は雲散霧消(うんさんむしょう)のはかなきに消えたように、ワクチン接種の効果が現われ、仮に五輪が無難に終わった場合、世界中を恐怖のどん底に突き落とした今次のコロナ禍もやがては「泡沫(うたかた)」と化してしまうのだろうか。そんな予感がする。それに引き換え、「土人の記憶」はそうやすやすとは消えることのない、身体に刻まれた“記憶”の集積…決して、癒すことのできない傷痕の総体である。だからこそ、いま「アイヌ学」、いや「土人学」の再興が待たれるゆえんである。宇梶さんの呼びかけに呼応したい気持ちがだんだん、強くなってくる。

 

 

 

 

(写真は“土人学”を考える際の私の必読リスト。宇梶本は藤原書店刊、目取真本は朝日文庫刊)

 

 

 

 

 


2021.06.01:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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