賢治、慟哭!?…神話づくり(中):はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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賢治、慟哭!?…神話づくり(中)


 ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」(原文)―。宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記であるという、いわゆる「ヒドリ・ヒデリ」論争はすでに決着がついているようで、実はそうでもないらしい。ある日突然、再燃することもある「賢治」読解のキ−ワ−ドでもある。しかし、今回の”賢治精神”の実践をめぐる対立の背後には、もうひとつのベクトルが働いているような気がしてならない。誤解を恐れずに言うならば、文学上における「植民地主義」―中央の権威を地方に及ぼそうとする過程で、往々にして見られる非文学的な意志の謂(い)いである。

 

 後段の「サムサノナツ」(冷害)に対応する言葉として、「ヒデリ」(日照り)と解釈するのが自然だというのが誤記説の根拠である。このあまりにも無造作な対偶詩法に異議を唱えたのが地元の賢治研究者、照井謹二郎さん(故人)である。財団法人宮沢賢治記念会の理事長を務めたこともある照井さんは生前、私にこう語った。「この地方一帯では昔から『日照り(旱魃=かんばつ)に飢渇(けかち)=凶作)なし』と言われてきた。農家が最も恐れたのは冷害だった。だから、『ヒドリ』は『日取り』つまり日雇い給金と解すべきだ。当時の農民の最大の悩みは現金収入の確保。だから手間仕事をしながら日銭を稼いだ。原文にはあくまでも忠実にあるべきだ」―。そして、こう続けた。「研究者の95%までが『ヒデリ』と考えているし、『ヒドリ』では賢治の宗教性に富んだ悲しみの涙がなくなってしまう。中央の偉い先生から、そう説得された」

 

 「言葉の収奪」―。賢治文学の根っこを形成する風土性とその風土を抱きしめるようにして立ち上がる言葉たち…照井さんの話を思い出しながら、ふいに賢治の言葉が奪われていくような戦慄(せんりつ)を覚えた。「宮沢賢治・花巻市民の会」の会員である八重樫新治さんも「雨ニモマケズ」受難史を検証した結果、もうひとつの「ヒドリ」にたどり着いた。「誤記説は単なる改変ではなく、改ざんである」と主張する八重樫さんは自著…『詩「雨ニモマケズ」のマコトを索(もと)めて』の中にこう書いている。切迫した”水争い”の光景が目の前に浮かんでくるような文脈である。

 

 「ヒドリノトキとは、田に水を引く日程を決める時期という意味です。毎年この時期はやってきます。田植えが始まる前に、水引きの日程を決める相談が行われるのですが、そこでは本家すじの大農民と分家に当たる小農民との力関係が顕(あら)われます。また集落ごとに水引き権利の大小があるので、そこにも力関係が顕われてくるのです。そうした現実を踏まえて、限られた水量をどのように管理しながら給水していくか、その給水日程を決めることが『日取り決め』、あるいは簡略化して『ヒドリ』と呼ばれたのです」

 

 「だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら あいやぁ、そういうおめは誰なのよ 決まってっぺだら。おらだば、おめだ。おめだば、おらだ」―。第54回文藝賞(河出書房新社)を最年長で受賞した若竹千佐子さん(63)の『おらおらでひとりいぐも』は速射砲のような方言の書き出しで始まる(11月8日付当ブログ「Ora Orade Shitori egumo」参照)。「永訣(えいけつ)の朝」の一節をタイトルに据えたように、文中でもたとえば『虔十(けんじゅう)公園林』を引用するなど賢治の影響を受けていることがわかる。『遠野物語』の遠野出身で、現在は千葉県に住む若竹さんは対談で、こう語っている。

 

 「でも私なんかいま、逆に土俗性に回帰して、親がここから羽ばたいて欲しいと思っていた遠野の風土とか、そういうものに帰っていきたいと思っています。家といった形では残せなくても、父や母の想いは、言葉で残してあげたいと思います。だから、私のベ−スは土俗性とか方言なんですが、それで生活感の滲む言葉の厚さを描きたいと思っています」(『文藝』2017年冬号)―。照井さんや八重樫さんが「ヒドリ」に投影したと同じ思いが伝わってくる。

 

 『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)は賢治作品を網羅した一級資料として評価されてきたが、「雨ニモマケズ」に関しては「ヒデリ(日照り)」説に依拠している。この編集に携わったフランス文学者で、賢治研究者の入沢康夫さんは「この問題(「ヒドリ・ヒデリ」論争)は、学問的には当時すでにはっきりと答えがでていたのであり、もはや議論の余地は無いと考えるに到っていた」(平成13年3月発行「宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−会報」30号)と述べている。形式的な詩的技法を優先させるあまり、その風土性を一刀両断する物言いである。いったん打ち立てた「仮説」が否定されることに極端に憶病になるのは、権威主義のなせる業(わざ)でもある。

 

 『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『羅須地人協会の終焉―その真実―』、『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』…。「宮沢賢治・花巻市民の会」のメンバ−で、地道な研究を重ねてきた鈴木守さんが「ほどんど無視か黙殺。学問の自由が危機に瀕している」とポツリと言った。いわゆる「文学研究」に恒久的な「定説」はあり得ない。そこに至る道筋は不断の「仮説検証」しかない。だからこそ、研究者はあらゆる「仮説」に対し、あくまでも謙虚でなければならない。私は「宮沢賢治学会」の背後に植民地主義の澱(おり)のようなものを見たような気がする。

 

http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

 

 

(写真は農民指導に明け暮れた賢治。下界の騒動をどんな思いで見ているのだろうか=インタ−ネット上に公開の写真から)

 


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