ヒグマを叱る…野生動物とのソーシャルディスタンス〜新手の”熊”パンデミックの到来か!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
ヒグマを叱る…野生動物とのソーシャルディスタンス〜新手の”熊”パンデミックの到来か!!??


 

 連日のクマ騒動。ふと、コロナ禍の“緊急事態宣言”を思い出した。ちょうど、ソーシャルディスタンスや不要不急、3密、ステイホームなどが地球上を覆いつくしていた時期である。「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)―。5年前のブログを再掲する(コメント欄に写真も)。ちなみに、宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』は文中のアイヌ民族の儀式「イヨマンテ」(クマの霊送り)とは逆に、クマたちが猟師の小十郎の霊をあの世に送る”逆イヨマンテ”の物語である。賢治はこの印象的な光景をこう描写している。

 

  「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒(注:イスラム教徒)の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星(注:オリオン座の三つ星)が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった」

 

 

 

 

 

 「こらっ、この野郎」―。襲いかかって来るかと思いきや、目の前に現れたヒグマは人間が発する大声に身をひるがえし、静かに森の中に消えていった。ユネスコの世界自然遺産に登録されている北海道・知床半島で、人とヒグマが“共生”してきた36年間の貴重なドキュメンタリ−番組「ヒグマを叱る男」(6月7日放映NHKBS1スペシャル)を見ながら、いまや知らない人間などいない「ソ−シャルディスタンス」(社会的距離)の原型がここにあるのではないかと思った。そして、今回のコロナ禍は自然界(たとえば、野生動物)との間のこの掟(おきて)を破った「文明」へのウイルス側からの逆襲ではないのかという想念にかられた。

 

 約500頭の野生のヒグマが生息し、4千種以上の生物多様性に恵まれる知床半島は2005年にユネスコへの登録が決まった。その突端に近いオホ−ツク海側に「ルシャ」という集落がある。アイヌ語で「浜へ降りる道」という意味である。集落とはいってもサケマス漁の時に基地となる「番屋」に漁師が仮住まいするだけ。青森出身の大瀬市三郎さん(84)がここを拠点にしたのは23歳の時である。一帯には約60頭が棲(す)みついている。昼夜を問わずに番屋のまわりに出没した。ハンタ−に駆除を頼んだが、「命を奪った」ことに後味の悪さを感じた。ある時、大型のヒグマが背後から近づいてきた。無意識のうちに「こらっ」と怒鳴った。くるりと背を向け、去っていった。大瀬さんとヒグマとの不思議な“交流”がこの時から始まった。

 

 「クマの目をじろっとにらんで、にらめっこ負けしないこと。腹の底から大声を出し、勇気をふるって足を前に一歩、踏み出す。クマは強い者勝ちだから、クマより俺の方が強いという暗示を与えておかなければだめ。そして、絶対に餌を与えないこと。一回与えたらいつでも貰えると思うようになる。つまり、あんまり親しくしないことが肝心なのさ。ルシャで襲われた者はひとりもいない」―。大瀬流「叱る」極意はある意味で、ヒグマとの会話から生まれたものなのかもしれない。

 

 ある年、サケマス漁が例年になく不漁に見舞われ、好物にあり付けないで餓死するヒグマが相次いだ。世界一の生息地と言われるルシャでは2年続きの不漁で少なくとも9頭の飢え死にが確認された。栄養失調死した子クマの体をなめ続けていた母クマがやがて、我が子を置き去りにして立ち去った。「非情な顔を見せつける大自然。これも自然界の掟さ」と大瀬さん。海岸に流れ着いたイルカの死骸をロ−プでつなぎとめる大瀬さんの姿が映し出された。飢えたクマたちがむさぼるように食らいついた。「いっぱい、食ったな」と大瀬さんはうれしそうな表情でその光景をじっと、見守った。命をつないだという安ど感があふれているようだった。

 

 番屋の屋根にアイヌのエカシ(長老)像が飾ってあった。ふと、クマを殺す側の民族の世界観に考えをめぐらしてみた。アイヌ民族にとって、ヒグマは頂点に君臨する最高神で「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。この神は黒い毛皮で正装し、お土産に肉や胆(い)を携えて人間の国に遊びにやって来る。アイヌの人たちはそう信じてきた。だから、クマ猟は「(カムイを)お迎えに行く」ということになる。射止めたクマの霊を神の国に送り返す神聖な儀式が「イヨマンテ」である。霊前にはご馳走が並べられ、朗々たるユカラ(英雄叙事詩)や踊りが捧げられるが、どうしたわけか話が佳境を迎える寸前にその語りがピタリとやんでしまう。

 

 神の国に戻ったクマ神は人間界への旅の報告会を開いて、こう話すのだという。「人間の国はなんとも楽しいところだ。ご馳走は食べきれないほどあるし、何といっても、あの歌や踊りの楽しいこと。でも、ひとつ不満がある。あんなに面白いユカラが突然、終わってしまうんだから」―。こんな話を教えてくれたアイヌ民族初の国会議員、萱野茂さん(故人)がニヤニヤしながら語った言葉がまだ、鮮明に記憶に残っている。

 

 「(人間の)仏さんには最後までユカラを聞かせてやる。でないと『夕べの続きはどうなった』と死んだはずの人がまた、目を覚ます。ところが、クマ神の場合が逆。これからっていう時に『後はあすのお楽しみ』と終わりにわけ。すると、クマ神はその続きを聞きたくなって、また人間の国を訪ねてくる。ユカラは長いもので1週間も語りが続く。長ければ長いほど、クマ神が人間の国へ遊びにくる回数も多くなるっていうわけだ」―。そう言えば、大瀬さんもこうな風に話していた。「人間がそこにいるのもひとつの自然の姿だから…。山の木や草だけが自然ではない。人間の営みもヒグマたちの生活も同じ雄大な自然の一部なんだ」

 

 そう、アイヌ民族も大瀬さんも巧まずして、とうの昔から「ソ−シャルディスタンス」を実践してきたにすぎない。共通するのは自然界に対する「畏敬の念」であろう。生と死を包摂(ほうせつ)する究極のコミュニケーション術がここにはある。その禁を犯したいわゆる“文明人”たる我われはいま、“マスクダンス”とでも呼びたいような新舞踊を踊らされている。何となくパントマイム(無言劇)の趣(おもむき)がある奇妙な光景である。

 

 

 

 

 

 

(写真は近づいてきたヒグマを「叱る」大瀬さん=放映されたドキュメンタリ−番組の一場面。インタ−ネット上に公開された写真より)

2020.06.15 07:38:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

 

 

 

《追記―1》〜花矢からライフル銃へ

 

 イヨマンテの際、止めを刺されたクマに対しては美しいアイヌ文様が施された「花矢」(はなや)という木製の矢がお返しのお土産として持たせるのが欠かせない習わしだった。版画家の棟方志功の木版画の中に「花矢の柵」と題する作品がある。棟方は「心の矢で美しい花を射止める」として、その動機をこう語っている。「アイヌが熊祭りとか祭りのときに最初に捧げる花矢、それから花矢の柵とつけたんです」(『民芸手帳』、1961年)。そのクマたちに今度はライフル銃が向けられようとしている。

 

 

 

《追記―2》〜賢治って、実はイスラム教徒だったの!!??

 

 「黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒(注:イスラム教徒)の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった」(同上ブログ)―。先の宮城県知事選で当選した現職が「(イスラム教徒の)土葬」を容認するかのような発言をし、SNS上で炎上したというテレビニュースを見ながら、賢治のこの描写がふとよみがえった。

 

 小十郎を葬る際のクマたちをイスラム教徒になぞらえた賢治の発想に虚を突かれたというのが正直な気持ちである。家訓の浄土真宗に背き、父親から勘当までされながら結局、法華経という“仏教徒”に踏みとどまった賢治がなぜ?移民問題が国政の緊急課題になる中、賢治は小十郎の”告別式”になぜ、イスラム教徒のクマを登場させたのか。この詩人の内奥はますます、謎である。

 

 

 

 

 

 

★オンライン署名のお願い★

 

 

 「宮沢賢治の里にふさわしい新花巻図書館を次世代に」―。「病院跡地」への立地を求める市民運動グループは七夕の7月7日から、全世界に向けたオンライン署名をスタートさせた。イーハトーブ図書館をつくる会の瀧成子代表は「私たちは諦めない。孫やひ孫の代まで誇れる図書館を実現したい。駅前の狭いスペースに図書館を押し込んではならない。賢治の銀河宇宙の果てまで夢を広げたい」とこう呼びかけている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治はこんな謎めいた言葉を残しています。生きとし生ける者の平等の危機や足元に忍び寄る地球温暖化、少子高齢化など地球全体の困難に立ち向かうためのヒントがこの言葉には秘められていると思います。賢治はこんなメッセージも伝え残しています。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう、求道すでに道である」(『農民芸術概論綱要』)ー。考え続け、問い続けることの大切さを訴えた言葉です。

 

 私たちはそんな賢治を“実験”したいと考えています。みなさん、振って署名にご協力ください。海外に住む賢治ファンの方々への拡散もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

●オンライン署名の入り口は以下から

 

https://chng.it/khxdhyqLNS

 

 

●新花巻図書館についての詳しい経過や情報は下記へ

・署名実行委員会ホームページ「学びの杜」 https://www4.hp-ez.com/hp/ma7biba

 

・ヒカリノミチ通信(増子義久)  https://samidare.jp/masuko/

 

・おいものブログ〜カテゴリー「夢の新花巻図書館を目指して」   https://oimonosenaka.seesaa.net/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2025.11.04:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
至近距離でクマと向き合う漁師

番屋に餌を漁りに来たヒグマ。漁師たちは素知らぬ顔をしながら、作業を続ける=北海道・知床半島のルシャで。インタ−ネット上に公開の写真より

 

2025.11.04 [修正 | 削除]
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