難産の末の「跡地」取得…新旧「病院」物語の行く末は!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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難産の末の「跡地」取得…新旧「病院」物語の行く末は!!??
2024.03.07:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「土壌汚染調査・汚染除去を実施し土壌汚染、廃棄物の残置等及び地上権、抵当権等権利制限のない状態とする」―。花巻市がHP上に公開している「総合花巻病院の移転整備に関する協定」(平成29年3月6日付)には病院側の「敷地譲渡」の前提として、こう明記されている。ところが、「花巻市財産評価審議会」(今月1日開催)に諮問―答申された段階では今回の売買対象となった当該物件には抵当権が設定されたままの状態であったことが土地登記簿から明らかになった。債権額は今回の取得価格を上回る3億8,660万円で、抵当権者は岩手銀行花巻支店となっている。
一方で、今回の病院跡地の正式な市有地化をきっかけに、かけがいのないこの“遺産”こそが、図書館立地の最適地だという機運がさらに高まりそうだ。旧総合花巻病院がオ−プンしたのは大正12(1923)年11月。宮沢賢治の主治医だった故佐藤隆房医師が地域医療の充実を目的に私財を投げうって、設立した。以来当地の中心的な医療機関としての重要な役割を担ってきた。病院の中庭にかつて「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。賢治自らが設計した花壇の復元で、その時の気持ちをこう書き残している。「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)―
「白雪をいただいた早池峰山がキラキラと輝いていた。その神々しさに思わず、頭(こうべ)を垂れた。足元の跡地にはかつて、賢治が教鞭を取った稗貫農学校(現花巻農学校)が建っていた。そして、シニアのまなび場である『まなび学園』は賢治の妹トシが学び、のちに兄と同じように教師として教壇に立った花巻高等女学校(現花巻南校)。まるで、賢治やトシからここに図書館を作ってと言われているみたいで…」―。2020年3月、新病院の移転・新築に伴って、100年間もの間、巨大な病棟群に目をさえぎられてきた先にこつ然と姿を現した光景…。瀧成子さんはその時の感動をこう、語っている。
他方で、新図書館の立地場所について市側は当初、「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月)の中で、「(旧病院跡地を含む)生涯学園都市会館(まなび学園)周辺」と明記していた。ところが、上田東一市長が新たな候補地として「駅前」立地を表明したのは、立地適正化計画の公表から6年たった令和4年9月の市議会定例会の場だった。まさに、その計画変更に待ったをかけるようなタイミングで、目の先に浮かび上がったのが霊峰・早池峰山の雄姿だった。“跡地”コールがあちこちで巻き起こった
瀧さんらが「イーハトーブ図書館をつくる会」を立ち上げたのは昨年1月。他の市民運動2団体も加わり、病院跡地への立地を求める全国規模の署名運動を展開し、現在も続けられている。長い歴史を誇る、新旧「病院」物語が今後、どんな筋書きを描くのか―目を離せなくなってきた。「Fantasia of Beethoven」が図書館入り口にふたたび、復元・再現されることを願いつつ…
(写真は抵当権が設定されたままの登記簿)