『男やもめの七転び八起き』…コロナ禍の放浪の日々、そして「記憶と祈り」の8月:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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妻との死別、コロナパンデミックの直撃、老人施設への緊急避難と脱出、そして市議選での惨敗…。この5年間、地べたをのたうち回った老いぼれの足跡(そくせき)を『男やもめの七転び八起き―イ−ハト−ブ敗残記』(論創社)というタイトルでまとめた。第1部「男やもめの“七転び”―妻の死とコロナパンデミック」、第2部「男やもめの“八起き”―叛逆老人は死なず」―の2部構成で、発行日は妻の没後5年の月命日に当たる「7月29日」。定価は1800円(税別)で、8月11日以降、全国の書店で随時店頭販売されるほか、Amazonなどのショッピングアプリで電子書籍も購入できる。
正直、こんな惨めな姿をさらけ出すことにはためらいもあった。しかし、未知なるウイルスに翻弄(ほんろう)されたひとりの人間の”カルテ”として残すことにはそれなりの意味があるのではないかと考え直した。足元のイ−ハト−ブでは海の向こうの独裁者顔負けの強権政治がまかり通っている。余命が許してくれるなら「イ−ハト−ブ“図書館戦争”」(従軍記)なるタイトルで、稿を改めたいと思う。「思考停止」というもうひとつのウイルスが蔓延中である。これにどこまで抗うことができるのか、人生最後の勝負どころだと考えている。
※
<縁(えにし)の不思議―その1>
拙著が発行された翌日の7月30日、畏友のノンフィクション作家、鎌田慧さん(85)の『叛逆老人 怒りのコラム222』が同じ出版社から刊行される運びになった。実は第2部の執筆を促したのは鎌田さんの前作『叛逆老人は死なず』(岩波書店、2019年12月刊)だった。「戦争に傾斜するグロテスクな時代を招くにいたったのは、われわれ老人が、平和の恩恵のなかに安閑と暮らしてきたからだ」―。この過激な檄文にそそのかされて市議選出馬を決断したことをこの場で白状しておきたいと思う。
<縁の不思議―その2>
朝日新聞のオピニオン欄「耕論」(7月25日付)に「『帰れ』という言葉」と題する特集が掲載された。その地の国籍を持たない人や在留資格のない人に向けられる排外主義的な言葉の背景を論じた論考で、私はとっさに東日本大震災の際、当地花巻に避難していた被災者に向けられた「さっさと帰れ」発言を思い出した。被災者支援を審議する議会のさ中、ある議員が傍聴席を埋めた被災者に向かって「帰れ」と暴言を浴びせるという信じられない出来事が起きた。「着のみ着のままで投げ出された私たちには、帰る場所はないんです」という悲痛なうめきがまだ、頭の奥深くでこだましている。
今回の特集で、北米先住民研究者で亜細亜大学教授の鎌田遵さん(50)はこう語っていた。「しばしば白人から『Go home(家に帰れ)』という言葉を投げつけられました。私には帰る国がありましたが、帰れない事情を抱える人が大半でした」。市議1年生の時に目の当たりにした「暴言」事件と構図は同じだと思った。
鎌田さんは学生時代、カリフォルニア大学バ−クレ−校に留学していた。米国を訪れた際、同大学ネイティブ・アメリカン学科の図書館の案内をお願いした。『コタンに生きる』(岩波書店、1993年11月)という懐かしい本を先住民コ−ナ−の片隅に見つけた。現役記者時代、仲間とチ−ムを組みアイヌ民族を生きざまを追った渾身のルポだった。「おじさん、僕がネイティブ・アメリカンなど先住民の研究に入るきっかけは実はこの本と遭遇したからですよ」とその時、遵君は言った。実は鎌田慧さんとは親子の関係である。
私が遵君の父親に背中を押される形で市議選に挑戦したかと思えば、遵君は私たち取材班が手がけた一冊の本がきっかけでその道の研究者へ。まこと、「縁は異なもの味なもの」―である。
(写真は時を同じくして出版された“叛逆”シリ−ズ)
《追記》〜「記憶と祈り」の8月…拙著『男やもめの七転び八起き―イ−ハト−ブ敗残記』より
「6日(広島原爆)・9日(長崎原爆)・15日(敗戦)…また、『記憶と祈り』の8月がめぐってきた。コロナ禍の中での“五輪狂騒曲”の陰にかすんで、その輪郭はまるで漂白されたかのように定かではない。…戦前、知性派の映画監督として知られた伊丹万作のあの有名な檄(げき)『戦争責任者の問題』(昭和21年8月)の一節が耳の奥ではげしくこだました」(2021年8月8日付、210ページ)