夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その4)〜ゴ−シュたちが大集合:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「本日の演奏は賢治さんは当然として、もうひとりの支援者である林住職に捧げます」―。東北農民管弦楽団(白取克之代表)の設立10周年記念公演はこんな異例のあいさつで始まった。同楽団の後援会長で稽古場として寺を提供してきた、花巻市在住の妙円寺住職、林正文さん(享年87)は演奏会を目前にした今月15日に急逝した。この日、合唱団員のひとりとして参加する予定だった林さんの霊前にベ−ト−ベンの「交響曲第9番」の調べが静かに広がった。
東北農民管弦楽団は2013(平成25)年、白取さんの呼びかけで東北地方の農業関係者らによって、宮沢賢治のふるさと「イ−ハト−ブ花巻」で結成された。当初15人だった団員はいまでは70人以上に。専業農家や畜産農家、米穀店、農大生や卒業生、JA職員、農業関係の研究者、かつて賢治が先生だった花農生の関係者…。「家庭菜園以外の“百姓”ならどなたでも」という多彩な顔触れが舞台に大集合した。中学時代、賢治の『セロ弾きのゴ−シュ』に魅かれて、楽器を手にしたという白取さんはいま、弘前市の岩木山のふもとで有機農業を営んでいる。舞台ではハイライトの「歓喜の歌」が始まろうとしていた。
「ここには合唱団を含めて、総勢150人以上の“ゴ−シュ”たちが勢ぞろいしました」―。指揮者で合唱団「じゃがいも」(山形県、2017年、イ−ハト−ブ奨励賞受賞)を主宰する鈴木義孝さんが挨拶をすると、ほぼ満席近い会場からどよめきが起こった。農民楽団の先輩格、「北海道農民管弦楽団」(2018年、イ−ハト−ブ賞受賞)を創設した牧野時夫さんも第1バイオリン(コンサ−トマスタ−)に陣取っている。賢治と林さんはきっと客席のどこかで、一緒に身を乗り出しているにちがいない。そういえば、賢治の十八番(おはこ)もベ−ト−ベンの「田園」や「運命」だったことを思い出した。
「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)―。客席の片隅から賢治のつぶやきが聞こえたような気がした。旧総合花巻病院の中庭には賢治が「Fantasia of Beethoven」と名づけた花壇があった。移転・新築に伴うその病院跡地はいま、賢治に特化したライブラリ−の建設候補地として注目を浴びている。「イ−ハト−ブ図書館をつくる会」という市民運動も立ち上がった。この日の会場となった花巻市文化会館はかつて、賢治が教鞭を取った花巻農学校の跡地である。そしてふたたび、賢治ゆかりの土地が図書館用地として、白羽の矢が立つという巡り合わせ…
「植物医師」や「ポランの広場」など賢治戯曲4部作の公演(2月18、19日の両日)に続いたこの日のゴーシュたちの大熱演、そしてさらには直木賞受賞作『銀河鉄道の父』(門井慶喜著)の映画化…。賢治没後90年の今年はご本人もてんてこ舞いの忙しさになりそうである。「おれたちはみな農民である」という序論で始まる『農民芸術概論綱要』は、「われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力である」という結語で閉じられる―
「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」…賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」が口をついで出た。どうかすると、口からこぼれ落ちるのがこの歌である。ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」もちゃっかりとこの歌からの無断借用である。その大合唱で舞台はフィナ−レを迎えた。帰路、自宅近くにある「雨ニモマケズ」詩碑に立ち寄った。「賢治さん、よろしくお願いします」と妙に殊勝になっている自分がなんだかおかしくなった。
「いま世界では、ロシアとウクライナの戦争が激しさをましております。『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』。今こそ、賢治の精神を世界へ発信していかなければなりません。本日の東北農民管弦楽団の演奏は『心を耕す』演奏会であります。世界平和を願う演奏会だと思います」―。パンフレッの中には故林住職のあいさつ文が載っている。生涯、平和を希求し続けた林さんの文字通りの“遺書”である。
(写真は会場を揺るがすような「第9」の大合唱。その迫力に圧倒された=2月26日午後、花巻市文化会館で)