上田3選「市政」語録……一般質問が閉幕。そして、宿怨ふたたび!?:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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花巻市の上田東一市長が3選を果たした後の初めての市議会定例会の一般質問が3日、3日間の日程を終えた。激戦だった選挙戦の余韻を引きずる中、複数の議員から僅差(1884票)の勝利や初当選時に比べた大幅な減票(9073票)、さらに投票率の急落(前回比8・65%減)などの要因について、市長自らの認識をただす質問が相次いだ。その中から、印象に残った言葉を「上田」語録として採録したい。
「投票率が極端に低かったことについては、市政への関心度の低さの反映だと思う。それは私だけではなく、相手候補にも共通することだ。いずれ、信頼度を高める努力をしたい」、「(“パワハラ”疑惑や職員の病気休職など争点が多様化した点について)ご指摘のことは謙虚に反省しなければならない」、「私自身、冗談も言えない質(たち)で、かた苦しい性格だと自覚している。つまり、短気。職員に厳しく当たったとすれば、そうだったと思う。重く受け止めたい」、「その一方で、職員の創意工夫は8年前(前市政時代)より、格段に向上していると思う。その証拠に前市政では本音を言いにくかったが、上田さんになってからは胸襟を開いて話ができる。そういってくれる職員もいる」(すかさず、質問者が「その逆もあるということではないか」と反論)…
こんな丁々発止が繰り返されたが、すでに触れたように「強気」一辺倒の市政運営は今後ますます、加速しそうな気配である。一方、「さらば、おまかせ民主主義」(花巻版「見張り番」)の設立を呼びかけたが、3日間の傍聴者数は延べ30人に止まり、こちらの先行きもそう簡単ではなさそう。
(写真は投票率の低さを取り上げた大原健議員(無所属)=3月3日午後、花巻市議会議場の再質問席で、インタ−ネット中継の画面から)
《追記》〜宿怨!!??
個人的な人間関係を言挙げするのは本意ではないが、この人物だけは例外である。2日付当ブログで言及した花巻市議の照井省三議員(平和環境社民クラブ=社民党系)のことである。上田市長の“パワハラ”疑惑について、本来ならその真相解明の先頭に立つべき”革新”政党に身を置きながら、あえて見て見ぬふりをし、なかんずく後援会事務局長として、獅子奮迅の働きをしたこの人の振る舞いを見せつけられているうちに、忘れかけていた往時の光景が突然、脳裏によみがえった。
18年前のちょうど今ごろ、私は市内の障害者施設の理事長をしている有力者の来訪を受けた。会社定年後にふるさとに戻り、ひなが一日、読書三昧に耽っていた私に対し、初対面のその人は深刻な表情でこう話した。「実はいま、施設の入所者と職員の間がうまくいっていない。虐待まがいのことも起きており、親たちが心配している。ひとつ力を貸してもらえないだろうか」―。まったく未知の分野だったが、“現場病”という新聞記者の性(さが)がむっくりと頭をもたげた。「自信はないが、やってみましょう」
2004(平成16)年3月1日、園長の辞令を受けた私は若干、緊張した面持ちで施設に向かった。玄関先で数人の男性が待ち受けていた。「本日付でここの施設職員で労働組合を結成することになった」―。当時、組合専従の書記だった照井議員はこう言って、結成通知書を手渡した。「入所者の人権保護に組合も立ち上がってくれた」と私は胸が熱くなったが、それはぬか喜びだった。職員の賃金などの労働条件を確保するための組合結成だったのである。それ自体は正当な行為である。だが、「人権闘争」という観点からは双方の立ち位置はまるで、天と地だった。
上田市長が初当選を果たした2014年、今度はこの人も市議会議員として登場した。2期目だった私と議席が隣り合わせだったというのも不思議なめぐり合わせだった。新聞記者時代、私は「三池と安保」と言われた60年代の時代に立ち会った。当時、「総資本対総労働」と呼ばれたこの大争議は日本の変革を予言するものでもあった。しかし、「泣く子も黙る」と言われた三池労組の幹部が銀座で豪遊していることを私はある時、取材で知った。以来、私はトラウマのように”労働貴族”を忌み嫌うようになり、この記憶を忘却の彼方に遺棄してきたつもりだった。今回の市長選で遭遇したのが、まるで“亡霊”のように目の前に立ち現れたこの人物だった。18年前と少しも変わっていなかった。