「百年の計」という時間軸…「狂気」と「正気」の狭間にて:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
「百年の計」という時間軸…「狂気」と「正気」の狭間にて


 

 monumentum aere perennius」というラテン語が裏表紙に記してある。「青銅よりも永遠なる記念碑」という意味だという。迷走を続ける「新花巻図書館」問題を考え続けるなか、絶えず頭を離れなかったのが「百年の計」という時間軸のことである。そんな折しもまるで天の啓示みたいな形でめぐり合ったのがずばり『100年かけてやる仕事―中世ラテン語の辞書を編む』(小倉孝保著、プレジデント社)。英国が準国家プロジェクトとして100年をかけて完成させた『英国古文献における中世ラテン語辞書』の誕生の物語を追ったドキュメンタリ−である。

 

 「自分たちの生きている時代に完成しそうもない、つまり自分たちが使うあてもない辞書をつくることになぜ、それほど精力を傾けたのか」―。著者は執筆の動機をこう書いている。この事業がスタ−トしたのは第1次大戦が始まる前年の1913年で、完成したのは2013年。ひと口に「100年」といわれてもその時間軸はピンとこない。著者は新聞記者らしい感覚でその時空間をこんな風に説明する。「日露戦争前に辞書の必要性が叫ばれ、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が亡くなった大正2年にプロジェクトが始動。そして、第一次、第二次大戦、戦後の混乱と経済復興、バブル経済とその崩壊を経て初めて辞書が完成している」―。それにしても、この気の遠くなるような「世紀をまたぐ」事業を支えた心意気とは一体、何だったのか。

 

 「英国では中世、公文書や教会の文書、そして研究発表はすべて中世ラテン語で書かれていました。そうした文書を現代人が正しく理解するには完全な辞書が必要です。中世ラテン語の辞書なくして英国の古文書は一つも理解できません。近代に入っても書き言葉としてラテン語は広く使われ、ニュ−トンが万有引力の法則を発表したときのレポ−トを理解するにも辞書が必要です」―。オックスフォ−ド大学でラテン語を教えるリチャ−ド・アシュダウンは本書の中でこう語っている。また、第二代編集長を務めたデビッド・ハウレットは辞書つくりの醍醐味を「ハチ」にたとえて言う。「辞書編集はハチが花の上を飛ぶのに似ています。こっちの文献をのぞいたら、次は別の文献を探ります。図書館が森、書棚が樹木、文献が花だとすれば編集者はハチです」

 

 意外な登場人物だったが、米国生まれの詩人で俳人でもあるア−サ−・ビナ−ドさんがインタビュ−の中でこんなことを口にしている。「アイヌ語が滅びてしまったとき、日本語がわからなくなる。英語の源流がアングロ・サクソンの民族語とラテン語にあるのと同じように、日本語にはアイヌ語が影響しています。カミはアイヌ語でカムイでしょう」―。ハタと心づいた。「辞書つくりとは、言葉の背後に堆積した記憶の古層を掘り起こす発掘作業ではないか」―と。

 

 ちなみに私の手元にも数冊のアイヌ語辞典が常備してある。試しに「津波」を引いてみる。『萱野茂のアイヌ語辞典』によれば、「津波」はアイヌ語で「オレプンペ」(o-rep-un-pe)と表記される。語源分析をすれば、「オ=それ、レプ=沖、ウン=住む、ペ=者」となり、アイヌ民族にとっての津波とは「沖に住んでいて、しばしば陸地にやって来るもの」という共通認識があった。一方、日本語の解釈では「津」には船着き場や港などの意味があり、文字通り港を襲う波だから「津波」と名づけられた。森羅万象(自然)をカムイ(神)として敬うアイヌの精神世界では「津波」は抗(あらが)えない自然現象として、そのことを言葉に刻印して後世に伝えたのだと思う。日本語にしても「津波」よりは「海嘯」(かいしょう)という古語の方が自然の脅威が伝わってくる。

 

 ところで、米国映画「博士と狂人」(P・Bシェムラン監督、2019年)は、初版の発行まで70年の歳月を費やした世界最高峰の『オックスフォ−ド英語大辞典』(OED)の誕生秘話(実話)を描いた作品である。原作はベストセラ−となったサイモン・ウインチェスタ−の同名のノンフィクションで、メル・ギブソンとショ−ン・ペンが初共演して話題を呼んだ。貧しい家庭に生まれ、学士号を持たない異端の学者(ギブソン)。エリ−トでありながら、精神を病んだアメリカ人の元軍医で殺人犯(ペン)。この2人の天才が辞典つくりという壮大なロマンを共有し、固い絆で結ばれていく…

 

 「ワ−ドハンタ−」(言語採取者)―。こうした英国の辞書プロジェクトの背後には古典から言葉を探し出す無数のボランティアたちの姿があった。ある日、精神病院から大量の語彙カ−ドがギブソンの手元に届けられる。罪への贖罪(しょくざい)からなのだろうか、それはワ−ドハンタ−の鬼と化したペンからのものだった。犯罪者が大英帝国の威信をかけた辞書つくりに協力していることが明るみとなり、時の内務大臣ウィンストン・チャ−チルや王室をも巻き込んだ事態へと発展してしまう…。こんな手に汗を握る展開に私は「百年の計」とはある意味で”狂気”のなせる業(わざ)ではないかとさえ思った。

 

 「いまの時点で将来に向けた過大な計画を策定すること自体が逆に『絵に描いたモチ』になる」―。花巻市議会の6月定例会で「Mr.PO」(上田東一市長)はまちのグランドデザインを問われたのに対し、こう答えた。るる紹介してきた「夢の辞書つくり」とは真逆の発想である。辞書つくりが百年の計であるとするならば、それを収蔵する「図書館」はそれ以上の時間をかけても一向におかしくない。将来の遺産とはいつの時代でも、そうした世代を超えたリレ−が生み出すものである。残念ながら、Mr.POにはそのどちらの資格もない。つまり、このご仁には「狂気」どころか「正気」さえも感じられないということである。

 

 

 

(写真は映画「博士と狂人」のポスタ−。左がギブソン=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》〜危機に瀕する先住民の言語

 

 7月7日付「朝日新聞」に「よみがえれ/豪州先住民の言語」と題する特集記事が掲載され、先住民(アボリジナルピ−プル)の言語復活の努力が紹介された。参考までにその一部を以下に転載する。中世ラテン語の辞書編纂に国を挙げて取り組んだ英国がかつて、自国の植民地下にあった豪州先住民の言語を奪う立場にあったという歴史の皮肉を肝に銘じておきたい。

 

 

 豪州では6万5千年前から先住民が暮らす。250以上の言語が話されていたとされるが、18世紀後半以降の入植の過程で多くが失われた。政府の昨年の報告書は、現状で1千人超が話す言語は20だけだとする。すべての世代が第1言語として話しているのは、12言語にすぎない。一方で、ガーナ語など復活の動きがある10の言語を紹介している。

 

 政府は20〜21年に各地の取り組みに計2千万豪ドル(約17億円)を助成した。メルボルン大のレイチェル・ノードリンガー教授(言語学)は「言語が失われることは、先住民の知識や文化の一部が失われることでもある」と指摘。ユネスコ国連教育科学文化機関)によると、世界にある6700言語の40%が消失の危機にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2021.07.06:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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