緊急報告―「花巻城址」残酷物語その4…「おらが駅舎」物語:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「あきらめるのはまだ早い。駄目か駄目じゃないか、やって見なければ分らない。花巻百年の大計のために、我われの子孫のためにもう一度やろうじゃないか」(渡辺勤著『新花巻駅物語り』―。昭和60年3月、念願の東北新幹線「新花巻駅」が全国初の全額地元負担の「請願駅」として開業した。現代版「百姓一揆」とも呼ばれた、その苦闘の足跡を辿った元開業医の渡辺さん(90歳=当時)の著書には「甚之助と万之助」という副題がついている。甚之助とは一揆の頭領―「東北新幹線問題対策市民会議」の議長を務めた小原甚之助、万之助とは開業時の市長、藤田万之助(いずれも故人)のことである。
「花巻への停車ならず」―。昭和46年10月、新駅実現が夢と果てた瞬間、市民の間には落胆と怒りが爆発した。2人を先頭にした「官民」一体の誘致運動が巻き起こった。「まるで山賊か虎が住んでいるから、恐ろしくて花巻は通れないと、そんな仕打ちを国鉄にされたんじゃないのか」、「現代の政治というものは1人の英雄に頼るものではない。点と線の政治から面の政治、大衆動員の政治となっているのであります」…。「甚之助語録」の中には血気盛んな言葉がずらりと並んでいる。
ある日、国鉄理事のネクタイをつかみ、語気鋭く迫る甚之助の姿があった。「俺たちの隣町の横川(省三)を知らないか。日露戦争の時、シベリア鉄道を爆破した男だ。あなたがそう云うなら、我われにも考えがある」、「何したど、もう一度云って見ろ。岩手135万県民を馬鹿にする気か」
前述した横川省三は日露戦争の開戦時、密偵として旧満州に潜入。鉄道爆破を図ろうとしたが、ロシア軍に捕えられ、ハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。鉄道の名前は正しくは東清鉄道で、爆破は未遂に終わったのだったが、その誤りはご愛嬌としても当時の熱気が伝わってくるエピソ−ドである。この迫力満点の“演技”に居並ぶ国鉄の役員連中もたじたじとなった。余談だが、日露戦争の激戦地、旅順攻略をめぐる攻防を描いた映画「二百三高地」(舛田利雄監督、1980年)はラマ僧に身を隠した2人の日本人が銃殺刑に処せられるシ−ンから始まる。その1人が横川である。
総工費約42億円。県が三分の一を負担することになり、残りの約12億円は市民や団体から寄せられた寄付金だった。大将、参謀、行動隊長、主計、先鋒…。国鉄本社に乗り込む面々の何とも時代がかった肩書もまた甚之助流だった。“喧嘩陳情”と呼ばれたこの時の大将はもちろんこの人である。目抜き通りの市民会議事務所には壁一面にこんな檄文(げきぶん)が貼ってあった。
「政治が曲げた路線なら/民意で正すが民主主義/我ら花巻市民団/今ぞ赤穂の義士のごと/まなじり決して起ちました」
(写真は「新花巻駅」の設置に至る経緯を記した石碑。時代がかった巻物風の形もなんともユ−モラスである=10月末、花巻市矢沢で
《追記》〜隔世の感…「おらがまちの幸せ」はおらがトップの“気概”の持ち次第
「所有者と解体業者との訴訟が生じるなど複雑な状況の中、がれきが放置された状態は腹立たしを感じる」とまるで“あさって”の答弁をした上田東一・現花巻市長は「市民の大切なお金であり、跡地を取得するのは困難」と続けた。12月8日付当ブログ「『花巻城址』残酷物語…猛毒PCBが所在不明に!?」に関連し、地元紙「岩手日日」(9日付)は上田市長のこんな言葉を伝えていた。わずか35年前に君臨した「おらがトップ」の赤穂浪士の“気概”とはまさに雲泥の差である。