コロナ禍の中の“ルイ14世”と「非常の時」の危うさ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,360件
限定公開 0件 合計 3,360件 ■アクセス数
今日 1,022件
昨日 2,857件 合計 18,122,182件 |
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,360件
限定公開 0件 合計 3,360件 ■アクセス数
今日 1,022件
昨日 2,857件 合計 18,122,182件 |
「コロナ大戦争」―。国家や民族、宗教などの対立がきっかけとなった従来の「戦争」がとりあえず終わりを告げ、人類はいま共通の敵である未知なるウイルスとの間で“戦闘状態”にあるというのが一般的な認識である。とすれば、旧来型とは違った戦法・戦術が出てくるのは当然である。相変わらず、大国間での責任のなすり合いはあるものの、そんなことにかまっていては、全地球の滅亡さえ招きかねない。人類はどこに向かおうとしているのか―
「非常の時、人安きをすてて人を救ふは難きかな/非常の時、人危きを冒して人を護(まも)るは貴いかな/非常の時、身の安きと危きと両(ふた)つながら忘じてただ為すべきを為すは美しいかな」―。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883―1956年)は戦中・戦後にかけて花巻に疎開し、敗戦5日前の8月10日、48人が犠牲になった空襲に遭遇した。負傷者の救護に当たった医師や看護学生の勇気をたたえのが、この詩「非常の時」である。毎年5月15日、花巻高等看護専門学校の生徒たちによって朗読されるのが恒例となっていたが、今年はコロナ禍の影響で中止された。一方でこの詩に触発され、手作りマスクにその一節を添えるなど共感の輪が広がりつつある。
「フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕(ちん)は国家である』という中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない」―。その一方で同じ日、検察庁法改正に反対する検察OBの意見書が法務省に提出された。虚を突かれた。そうか、コロナ大戦争の陣頭指揮に立つのはかの“暴君”に比肩(ひけん)される我が安倍晋三首相だったというわけである。現下の状況に照らせば、医療や介護従事者、ライフラインを維持する人たちがコロナ最前線の「兵士」だとすれば、そのほかのすべての国民は「銃後の守り」に付かなければならない―という構図である。
暴君が何の手も下さずに事が済むという意味では、随分とグロテスクな光景ではないか。戦前なら国家総動員法などの強権発動が必要だったが、いまや「3密を避け、自粛にご協力を」というだけで、現場兵士に対するエ−ルが澎湃(ほうはい)として湧き上がってくる。それだけではない。いつの時代にも権力者に歯向かいたくなる“不届き者”はいるのだが、いまやその監視役も銃後がきちんとやってくれる。かつてなら「自警団」と呼ばれたであろう“自粛警察”を名乗る善良なる一群がル−ル違反者をつるし上げ、県外ナンバ−の車を密告する。そして、こんなどさくさに紛れて、権力者は憲法や法律の改悪を目論む。作家の真山仁さんは「コロナと正義」というタイトルでこう書いている。
「自粛要請があっても、ル−ルを守りながらギリギリの中で営業を続ける人は『非国民』とでも言うのだろうか。戦前の隣組の密告というのは、こんな雰囲気だったのだろうか、と思ってしまう。なぜ、こんなに『正しさ』に縛られてしまうのだろうか。『悪い人』が見つかる方が、安心するからかも知れない。しかし、残念ながら、新型コロナウイルス感染に悪者はいない」(5月16日付「朝日新聞」)―。その通りだと思う。旧来の戦争は「勝者」と「敗者」を生み出して決着するのが常だった。しかし、今回の「コロナ大戦争」の“敵”は目には見えない。それどころか、その神出鬼没ぶりは闘う側の自陣を混乱の極に陥れる。
たとえば、「非常の時」に共感するのは例外なく「善意」に満ちた人たちであろう。しかし、私たちはこの善意が突然、「正義」に変貌する瞬間もすでに目撃している。最前線の兵士たちが感染した瞬間、「もうこっちには近寄るな」という視線の変貌を。私自身、そんなおのれの危うさにうろたえてしまう。「被害」と「加害」の内なる同居…誰しもがウイルスに感染する可能性を持っているというこの二重性こそが「コロナとの闘い」の宿命的な難しさである。この闘いには勝者も敗者もいるはずはない。
「コロナの時代の新たな日常を取り戻していく。今日はその本格的なスタ−トの日だ」―。安倍首相は緊急事態宣言の一部解除を発表した今月14日、こう胸を張った。真山さんは怒りをにじませながら、書いている。「馬鹿馬鹿しいしい提案だろう。なぜなら、今は異常事態で非日常の真っただ中なのに、これを『新たな日常』などというなんて。首相は生活ル−ルの細部にまで言及した。それによってまたひとつ、新しい『正しさ』が生まれてしまった気がする。我々はいま、新型ウイルスより恐ろしい『正義』という伝染病に立ち向かう勇気を持つべきなのだ」(同上紙)
「パラダイムシフト」(価値の大変革)という人類史上最大の岐路に立たされているいま、私たち一人ひとりが「ポストコロナ」の試練の中にいる。「新しい日常」はその試練の中から自分たちの手で見つけ出さなければならない。
(写真は“正義の味方”月光仮面を思わせる貼り紙。全員が「正義」という麻薬に取りつかれてしまいかねない=インターネット上に公開の写真から)