「他山の石、以て玉を攻むべし」…明石市長の「パワハラ」始末記:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「他山の石、以て玉を攻むべし」…明石市長の「パワハラ」始末記


 

 花巻市の上田東一市長の“パワハラ”疑惑に関連し、3月4日付当ブログ(「『ハラスメント』問題が市議会へ…メンタル疾患の休職者が急増!?」)の中で、いわゆる“怪文書”の一部を紹介した。その際、言及しなかった部分に「明石市長どころでない状況です」という文言があった。兵庫県明石市の泉房穂(ふさほ)市長(56)は自らの暴言などの責任を取って、いったん辞職した後の市長選で返り咲いたことで一躍有名になった。その顛末(てんまつ)については、以下に新聞記事(要旨)を掲載するが、奇跡の復権をとげた時の言葉が印象的である。

 

 「明石市政の混乱を招いた責任は私にあり、本当に深く反省している。職員としっかり信頼関係を築き、明石のまちづくりをしっかりやっていきたい…。自分自身の欠点は、苦手分野を後回しにすることと感情のコントロ−ルの2つ。苦手分野は、これから職員から学び取り組んでいきたい。感情のコントロ−ルについては、この1ヶ月以上日記を付けたり、専門講座を受け続けて、55歳にして改めて自分自身の至らなさを知った。その点についてもしっかりと改めていきたい」(当時の新聞報道などから)

 

 

 ところで、こんな職種があることにも驚かされるが、「謝罪」コンサルトによると、この種のハラスメントの解決法のひとつに「す・き・か・な〜」方式があるという。「す」=スピ−ド(即決)、「き」=聞く、「か」=感情(+情熱)、「な」=泣く…の頭文字を取った命名である。

 

 一度、政治生命を失いかけた泉市長が市民の支持を受けて再選された背景には、この方式を忠実に実行したこともあるらしい。辞職会見の中で、泉市長は涙ながらにこう謝罪した。「私の行為は許されないことであり、すべて私の責任。リ−ダ−としての資質を欠いているのは明らかで、処分を受けるのは当然。申し訳ありません」―。まさに……「批判の直後に素早く記者会見を開き(スピ−ド)、会見での質問にしっかりと受け答えをし(聞く)、自分の言葉(感情)で涙ながらに話した(泣く)」というマニュアル通りの行動である。

 

 本日18日、花巻市議会の3月定例会が閉幕するに当たり、上田市長に対して、詩経の「他山の石、以て玉を攻(おさ)むべし」という教えを献上しておきたいと思う。広辞苑などによると、よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石をみがく役には立つという意。転じて、他人の誤った言行でも、自分の修養の助けとなるという意味だという。私自身にとっても、肝(きも)に銘じておかなければならない至言である。

 

 

 

 

●職員への暴言で市長が辞職したことに伴う兵庫県明石市の出直し市長選が(2019年3月)17日に投開票された。前市長で無所属の泉房穂(ふさほ)氏(55)が、元市長で無所属の北口寛人(ひろと)氏(53)、元県議で共産新顔の新町美千代氏(71)を破り、3選を果たした。泉氏は前回選挙での得票(5万1千票)を大きく上回る8万票余りを獲得した。泉氏は2期目満了(4月30日)を待たず辞職したため公職選挙法の規定で辞職前の任期となり、4月の統一地方選で市長選がある。

 

 暴言問題は今年1月に録音デ−タで発覚。泉氏は2017年6月、国道用地の買収の遅れに激高し、「(建物に)火つけてこい」「燃やしてしまえ」と職員に怒声を浴びせた。発言を全面的に認め「パワハラよりひどいこと」と謝罪。先月2日に辞職した。録音には「市民の安全のためやろ」との発言もあり、市役所には泉氏を擁護する意見が批判より多く届いた。一方パワハラ問題の専門家は「目的の正しさで暴言を正当化するのは危険」と指摘するなど議論を呼んだ。

 

 泉氏は告示3日前に立候補を表明。辞職後、怒りの感情をコントロ−ルするアンガ−マネジメントの勉強会に通ったとし、選挙戦では「(暴言は)選挙結果で許されるものではない」と謝罪を繰り返した。泉氏は2期8年で、中学生までの医療費を所得制限なしで無料化するなどの子育て支援策を実現。街頭演説や集会では「人口や税収が増えた」と訴え、「税収で高齢者施策に取り組みはじめた段階。明石の未来に責任がある」と呼びかけ、出直しへの理解を広げた。

(2019年3月18日付「朝日新聞」)

 

 

兵庫県明石市の泉房穂市長(56)は(2020年1月)15日、市内で開かれた新年会の席上、催しの開催をめぐって市議と口論になり、「やめてまえ」と暴言を浴びせていたことを明らかにした。泉市長は昨年1月、市職員に対する暴言が問題化して市長を辞職、出直し選挙で再び当選した経緯がある。同日会見した泉市長らによると、市長は13日昼ごろ、市内の公民館であった地域住民らの新年会に招かれて出席。花火大会見物客らが死傷した2001年の歩道橋事故の影響で中止された「市民まつり」再開の可否をめぐり、自民系会派の市議と言い争いになった。

 

 市長は、再開を求める市議に「(事故の)遺族ら関係者がおり、軽々には判断できない」と説明したが、市議がさらに再開の提言書を3月市議会に提出する考えを述べたことに立腹。「やめてまえ」と2回怒鳴り、直後に市議に謝罪して発言を撤回した。市長は「飲酒していたが、酔ってはいなかった」としている。市議は取材に「市長はすぐ我に返ったようだ」と語り、翌14日にも改めて謝罪があったとして「(謝罪を)受け入れる」と話している。泉市長は会見で「言動には慎重であるべきなのに、感情的になって不適切な発言をしてしまい、申し訳ない。改めて強い自覚を持って対応していきたい」と話した。

 

 泉市長は旧民主党の衆院議員を経て11年に市長に転身。昨年1月、道路拡幅工事に伴う建物の立ち退き交渉をめぐり、部下職員に「火つけて捕まってこい」などと暴言を浴びせていたことが発覚した。引責辞職した後の同3月にあった出直し市長選に再び立候補して当選、任期満了に伴う翌4月の市長選でも無投票で4回目の当選を果たした。暴言問題発覚後、怒りをコントロ−ルする「アンガ−マネジメント」講習を受けたと明らかにしていた。

(2020年1月15日付「朝日新聞」)

 

 

 

(写真は出直し選挙で復権を果たした泉市長=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記》〜ある市民からの投稿(3月14日付)

 

 今の市長が最初の選挙に出たとき、高学歴で経験豊富な割に腰が低く「市民の声を大事にする」との主張であったので期待していました。選挙では「市長になっても市長と呼ばずに『上田さん』と親しみをもって呼んでほしい」ともおっしゃっていました。予想通り当選しましたが、その後のオ−ル与党(市長派)化する議会の動きを見て「危ないな」と感じていました。今の「市長」を生み出したのは我々市民であり、最たるは議会ではないかと思います。健全な二元代表制を取り戻し、市民の代表者としての議員には是々非々で市長と向き合っていただきたいと強く願います。そして「上田さん」には当選当初の思いを取り戻していただきたいと、切に願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2020.03.18:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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