「令和」狂騒曲と骨踊り:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
「令和」狂騒曲と骨踊り


 

 「ゴキッ」と骨が外れる音がして、まるで骨格標本みたいな骨たちが突然、カタカタと踊り始めた。時は2019年4月1日、スポ−ツジムでの出来事。ウォ−キングマシ−ンの前に取り付けられたテレビは国をあげての「祝祭」の幕開けを告げようとしていた。「新しい元号は令和(れいわ)であります」―。この瞬間、列島全体は元号フィ−バ−一色に包まれていった。「令和」にことさら違和をとなえるものではないが、喜色満面のわが宰相の講釈を聴きながら、何かいやな予感がした。安倍晋三首相はこう言ってのけたのだった。要旨にしては少し長くなるが、後世にとどめなくてはならない言葉である。

 

 「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい…元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、千四百年近くにわたる我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています。この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っております」

 

 美しすぎる文体である。であるが故に、私には「何でこの人が…」という思いが頭をもたげるのである。元号(天皇)を利用した今回の政治ショ−に異議申し立てをするメディアはほとんど見当たらない。たとえば、この日も沖縄県の辺野古新基地建設現場では土砂の投入が続けられた。本土側のお祭り騒ぎをよそに、いつものように抗議のカヌ−を漕ぎ出した作家の目取真俊さんは自身のブログにこう書きつけた。「新元号が制定されたとマスコミが馬鹿騒ぎしているが、そんな日にも辺野古では新基地建設工事が強行されている現実を伝えてほしいものだ。平成から令和に変わっても、沖縄に米軍基地を押し付ける日本政府の政策は何も変わらない」(4月1日付「海鳴りの島から」)―。安倍首相がいう「日本(人)」の中に果たして、「沖縄(とそこに住まう人たち)」は含まれているのか。「否」であろう。

 

 歯が浮くような虚飾に彩られた首相談話を耳にしながら、骨踊りはまだ、やむ気配がない。どうも、この一大祝祭を前に刊行された一冊の本に取りつかれているらしい。タイトルはずばり、『骨(こつ)踊り』(幻戯書房、2019年2月刊)。作者は反骨の“ゲリラ”作家と言われた故向井豊昭さん(1933〜2008年)で、未発表の作品も収録された635ペ−ジに及ぶ大著である。この作品は後に『BARABARA』(ロ−マ字表記もバラバラになっている)と改題され、1993年に62歳で早稲田文学新人賞を受賞し、話題になった。

 

 小説の舞台は昭和天皇の崩御によって、「昭和」から「平成」へと代変わりする「昭和64(1989)年1月7日」―。「自粛」ム−ドが高まる中、そんな空気に抗(あらが)おうとする「もう一人の自分」が際限なく、自己解体していく物語である。最後はこう締めくくられる。「戻ろう。戻ってこい。外れていった22人の自分たちよ。踊って踊って踊り続けた骨踊りの一日は終わったのだ」。一部内容に手を加えた改題作ではこの部分が「ならば、これからも、BARABARAと外れ続けてやろう。種子のように外れては、不逞の輩をバラ撒くのだ」と差し替えられている。「不逞(ふてい)の輩(やから)」とは大政翼賛的な装いに対し、「ノ−」を突き付ける者たちを指すのであろう。

 

 「平成」から「令和」へ―。ふと我に返ると、万葉賛歌に彩られた祝祭ム−ドに飲み込まれようとしている自分がいた。一方で、「こうした同調圧力に屈してはいけない」と自らを叱る「もう一人」がいる。ゴキッ、ゴキッ、ゴキッ……。自己解体はまるで腑(ふ)分けのような勢いで進んでいく。私はスポ−ツジムに通い始めた時の気持ちをこう書いた。「これって、現代版の『タ−ヘル・アナトミア』(解体新書)ではないのか」(1月29日付当ブログ参照)。胸や腕、腹、背中、肩、臀部(でんぶ)。所狭しと置かれた健康器具にはまるで、腑分けした人体解剖図のような写真が張り付けられていたのである。そしていま、腑分けされたわが身の中では骨踊りに熱中する分身がいる。

 

 「25年間、ボクが小学校の教員をやった北海道の日高地方は、アイヌの人口が最も多い土地だった。ボクは日本語という血の滴(したた)る刃(やいば)を持って授業を続け、同化教育の総仕上げに加担したのである」(本文から)―。私は生前の一時期、向井さんからその稀有なる文学論を拝聴する機会があった。丸い眼鏡をかけた柔和な口元から時折、こんなギクッとするような言葉が飛び出した。終生、「自己韜晦(とうかい)」を貫き通した作家だった。

 

 そういえば、この日(4月1日)は「エイプリルフ−ル」だったな、ふと心づいた。同じ日、遠く九州の地で「忖度(そんたく)」発言をした国土交通副大臣が辞任に追い込まれ、被災地を蔑視する発言をした五輪担当大臣の更迭がこれに続いた。「四月馬鹿」ともいう。支持率の上昇にほくそ笑む安倍首相、その配下にはソンタクが習い性になってしまった国会議員や官僚たちがいる。騙(だま)した方が馬鹿だったのか、いや騙された方がもっと馬鹿だったのかもしれない。そのどちらにも与(くみ)しないため、私はこれから先も「骨踊り」を踊り続けなければならないと思っている。中世ヨ−ロッパでも「死の舞踏」と呼ばれた“骸骨踊り”(ダンス・マカブル)が流行(はやっ)たそうである。

 

 

(写真は向井豊昭小説選と名づけられた『骨踊り』の表表紙)

 

 

《追記》〜若い感性

 

 新元号「令和」に関連して、18歳の女子高校生のこんな投書が13日付「朝日新聞」声欄に載った(要旨)。「5月1日から新元号『令和』の時代が始まる。このような今の日本の状態では、『美しい調和』の時代を生きていけない。調和というより、むしろ人々の意見が対立している。『令和』の時代は、政府が国民の意見を聞き入れて政治が行われる、民主主義らしい日本になってほしい。そのためにはまず『辺野古反対』の意見を政府が聞き入れるべきだ」

 

 


2019.04.13:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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