“三無主義”と散骨の風景:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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“三無主義”と散骨の風景
2018.11.01:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「ア−・マイ・ティ−チャ−」(a My Teacher)、やめましょう」―。私の中学時代のことだから、もう60年以上も前のことになる。旧花巻市内の中心部にある寺の本堂から、こんな場違いな声が流れていた。「所有格(My)の前に冠詞(a)をつけたら間違いですよ」―。読経ならぬ英語学習の“寺子屋”が開かれていたのは浄土真宗(本願寺派)の専念寺。私も塾生の一人だったが、この寺の長男だった山折哲雄さんが時折、ピンチヒッタ−で教壇に立つのが何よりの楽しみだった。当時は東北大学でインド哲学を学ぶ学生だったが、その型破りな講義は鮮明な記憶として残っている。そういえば、花巻の中学生の英語力が県内で群を抜いていることが話題になったのもこの頃のことだった。
大分遠回りをして、この“恩師”との再会を果たしたのは新聞社を定年退職した後である。当時の山折さんは著名な宗教学者として、すでに名を成していた。2002年、秋田を拠点に活動している劇団「わらび座」が蝦夷(えみし)の英雄・アテルイをミュ−ジカルに仕立てた公演を企画した。仲間と相談し、当時、国際日本文化研究センタ−所長だった山折さんを引っ張り出すことした。わらび座の公演(11月14日、花巻市文化会館)の前後に全5回の「アテルイ没後1200年企画・連続公開講座」を開催し、そのメ−ンに山折さんの講演会を据えた。タイトルは「いま、なぜアテルイなのか」―。
「ブ−ム先行のきらいがある中で、その背景に広がる精神史を浮き彫りにする。宮沢賢治の詩『原体剣舞連』の中になぜ、『悪路王』(アテルイ)が登場するのか。その分析を通して、縄文から古代東北、さらには現代へとつながる東北の原像に迫る」―。事務局長役だった私はチラシにこう書いた。いま考えれば、随分と力の入った文章だと思うが、大ホ−ルに立ち見が出るほどの盛況だった。縄文ブ−ムの相乗効果が思わぬ形で実証されたのかもしれなかった。その後も東日本大震災をきっかけに講師を依頼したり(2018年9月1日付当ブログ「ヒカリノミチ」参照)、「死生観」を語る諸著作に刺激を受け続けてきた。その山折さんに“異変”を感じたのはいつ頃のことだったろうか。
「葬式はしない。お墓は作らない。遺骨は散骨する(残さない)」―。僧職の資格を有する山折さんがこうした“三無主義”を公に口にするようになった時は正直、面食らった。「兄貴があっちこっちで吹いて回るもんだから…」と現住職の弟さんも苦笑いを隠さなかった。そりゃ、そう。「檀家追放」宣言に等しいからである。でも、私はいつしかこのしなやかな「型破り」に賛同したくなっていた。英語教師だったころの恩師の面影がよみがえったのである。『わたしが死について語るなら』と題する著作の中で、山折さんは宮沢賢治の文章の一節「われら、まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」(『農民芸術概論綱要』)―を引用して、こう記している。
「死んだときは、私は故郷の寺(専念寺)の墓に入るのではなく、『散骨』(さんこつ)にしてほしいと望んでいます。散骨というのは自分の遺体が、焼かれたあと、その骨灰を粉にして自然の中にまくということです。海や山や川にすこしずつまいてもらえればそれでいいと思っているのです。…妻と私のどちらか生き残った方が、ゆかりの場所をたずね歩き、灰にしたのを一握りずつまいて歩く。遺灰(いはい)になったものはじつに浄(きよ)らなものです。やがて土に帰っていくことでしょう」―。児童向けと、山折さんが好んで使う「末期高齢者」(年長者)向けに書かれたこの本は87歳になる宗教学者の文字通り、型破りの”遺言状”なのかもしれない。
亡き妻は孫たちが住む沖縄・石垣島を訪れるたびに沖縄伝統の魔除けの「シ−サ−」を買い集め、わが家のウッドデッキはそのオンパレ−ドである。大きな口をあいて豪傑笑いをするもの、茶目っ気たっぷりにウインクするもの…。こんなシ−サ−たちに見守られ、妻は12月1日、石垣島沖のサンゴ礁の海に旅立つ。大勢の“護衛”を従えての別離だから、もう心配は無用である。妻も私もいつの間にか、“三無主義”の信奉者になっていたのだった。
ついでにひと言…山折さんは今秋、花巻市の名誉市民の第1号に選ばれた。常識にとらわれない破天荒な理論を展開してきたこの老学者の今回の栄誉を喜びたい。が一方で、個人情報を理由に選考委員会は非公開とされ、選考理由についても詳細は市民に知らされていない。「この条例は、市勢の発展又は市の名誉・名声の高揚に著しく貢献した者に対して、花巻市名誉市民の称号を贈り、その功労に報いるとともに後世までその功績を顕彰することを目的とする」(平成30年6月制定「花巻名誉市民条例」)―。6人の選考委員がたとえば、この異端ともいえる“三無主義”にいかなる意見を開陳したのか、小生などは興味が引かれる部分である。
(写真はユ−モアたっぷりの表情のシ−サ−たち。亡き妻の先導役をよろしく=花巻市桜町の自宅で)