●私の2011年3月12日:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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かじやではガスは復旧していましたが、相変わらず停電は復旧しておらず、とりあえず情報収集のため避難所となっている市民体育館に行ってみる。避難所にはたしか300人程が昨夜から身を寄せており、夜通し活動していたであろう、疲れた様子の市役所の職員を中心に、赤十字の方々などのボランティアチームが協力して朝食の炊き出しを行っていました。体育館の壁には新聞の号外が何枚も貼られており、沿岸部の被害の甚大さを知りました。
「これは大変な事になったな、観光客もこれなくなるし、かじやの経営も危うい」と思いました。
とにかく避難所には沢山の方がいて、私も何かできることは無いかと思い、かじやのそばを炊き出ししたいと市役所の方に申し出、何食用意できるか確認しにかじやに戻る。体育館の出入口では避難所の方々のスリッパが散乱していたので、通る度に綺麗に整えたり、目に付いた自分にできる事を片っ端からやったのを覚えている。
かじやに戻り薄暗い厨房でそばとつゆの量を確認。ところが、ガスがきているのだから大丈夫と思っていたそばを湯がくための大釜のメインバーナーが、停電の為に使用できないことが判明。この時は本当にガックリした。これでは大量の避難所の方々に炊き出しは不可能。とりあえずまた避難所に戻りその旨を伝えた。それでも何かできることは無いかと避難所を見渡すと、温かいお茶はあっても「お湯」が無い事に気がついた。お湯があればカップラーメンやカップスープなど食べることもできるし、子どものミルクを作るにも役に立つ。かじやには普段お茶を入れているポットが沢山あるし、ガスはきているので(水も出た)お湯を沸かして避難所に届けることにしました。また、その12日の営業のために用意していたご飯を、かじやのスタッフの協力を得て炊いて持っていく事ができました。営業再開の目処が立たないので、かじやのスタッフの家を回り、様子を確認しながら明日以降の連絡を待ってもらう。いわゆる自宅待機だ。スタッフにはカップラーメンやおにぎりを分けていただき感謝。屋根でソーラー発電をしているスタッフには携帯の充電もしていただいた。
市内では停電の為信号機も機能しておらず、既にガソリンを求める交通渋滞も発生していました。私は市民ボランティアに登録し、花巻青年会議所の方々に混ざって市内各所の交通整理にあたりました。私は「シャロン菓子店」さんと二人組になって、マルカン前の交差点の交通整理をしていました。初めての経験でしたが割とすぐに慣れ、中には暴言を浴びせる方や、静止を振り切って自己中心的に無理矢理通行する方もいて、大変な時もありましたが、二人でアイコンタクトを取りながら何とか交通事故もおこらないようにする事ができました。
交通整理は夕方で終了。避難所で空いたポットを回収し、夜に備えてお湯の補充をしにかじやへ。市役所の職員の方が手伝ってくれた。ろうろくの火の灯りの中、厨房で湯を沸かし、再びポットを満タンにして避難所へ。減ったお湯の分だけ誰かの何かの役に立ったと実感。
その後、再び青年会議所の方々と合流し、夜は市内の夜警にでる。沿岸部では震災後治安が悪化し、強盗や空き巣、強姦などがおきていると聞いていたので気を引き締めて臨んだが、青年会議所の方々の和やかウキウキムードに少し気が抜けたを覚えている。でも、何もしないよりはマシだったし、気を張ってばかりでは身が持たなかったと思うので、あれはあれで良かったとも思う。
貴重なガソリンを使った夜警を終え、青年会議所のその日のボランティア活動が終了。市内では場所によっては停電も復旧し始めていましたが、かじやや自宅アパートはまだ停電が続いていました。夜に備えて避難所のポットの残りをチェックし、再びかじやの駐車場で車中泊。不思議な事に震災後は常に何か動き回っていたのにあまりお腹が空かず、ちょっとお菓子を食べる位でした。沿岸部では満足に食事も取れないと聞いていたので、それもあって食事を取る気にならなかったのかも。
仙台空港は津波により水没、いわて花巻空港は震災救助の拠点となり、京都の家族が帰ってくる目処も立たない。相変わらず続く余震の中、多分11時位には就寝。
たしかこんな感じの一日でした。