映画「福田村事件」…「いま」を照射する関東大震災と朝鮮人虐殺:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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映画「福田村事件」…「いま」を照射する関東大震災と朝鮮人虐殺


 

 花巻祭り初日の8日、コロナ禍を経て4年ぶりの全面開催となったお祭り広場の喧騒(けんそう)を避けるようにして、私は宮古市の映画館に向かった。100年前、同じように村祭りを祝ったはずの地方の寒村でなぜ、あのような凄惨な事件が起きたのか。“群集心理”の暴走を描いた映画「福田村事件」(森達也監督、2023年9月1日公開)にその記憶の根っ子を探りたいと思ったのだった。道中、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた海岸沿いの防潮堤が実は災害防止というよりも、巨大な記憶の“忘却装置”のようにさえ見えた。歴史から消された「過去」を知りたいと思う渇望がいや増しに強くなった。

 

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生。首都東京を含めた近県で、死者・行方不明者が10万5千人をかぞえる大惨事となった。戒厳令が発令される中、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた。略奪や放火をしている」といった流言飛語(りゅうげんひご)がまたたく間に広がった。監督官庁の内務省(当時)も暗にこのことを認め、マスコミもこのデマ情報をいっせいに垂れ流しした。民間人で組織された「自警団」などによって殺害された朝鮮人は最大で6千人に達するというデ−タもある。

 

 「福田村事件」は大震災発生の5日後の9月6日、首都圏から約30キロ離れた千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で起きた。映画の前半では村の寄り合いや冠婚葬祭、無念の帰還をした出征兵士の出迎えなど、当時は全国のどこにでも見られた光景が延々と映し出される。同じころ、四国・香川から親子や縁者など15人で編成する薬の行商団が内地に向けて出発した。前年の1922年には被差別部落の解放を目指した「水平社」宣言が発せられている。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」…日本で初めての人権宣言と言われるこの宣言文がまるで、通奏低音のようにスクリ−ンに流れる。その頃、一方の福田村にも首都圏からの避難民が続々と押し寄せ、あのデマ情報があっという間に口伝えで拡散していった。

 

 利根川沿いの村境に達した時、異変が起きた。「(讃岐弁を耳にした村人が)聞いたことのない言葉だ。朝鮮語だ。こいつら朝鮮人だ」―。このひと言が村人たちの疑心暗鬼に火をつける結果になった。にわか仕立ての「自警団」が襲いかかり、幼児や妊婦を含む9人が殺された。村の駐在が「(鑑札を調べた結果)この人たちは日本人だ」と仲裁に入ったが、すでに遅かった。行商団の団長が殺害される直前、宙を仰ぐようにしてつぶやいた言葉が耳にこびりついている。「朝鮮人なら殺してええんか」―。映画の中で自らを「エタ」(被差別部落民)と呼ぶ行商団と日本の植民地下にあった朝鮮人…。その「差別」の重層構造に打ちのめされた。

 

 「群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色、国籍、民族、信仰、そして言葉。多数派は少数派を標的とする。悪意などないままに、善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ、知らなくてはならない。凝視しなくてはならない」と森監督は語り、パンフレットには「これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語」という言葉が刻まれている。

 

 そう、私たちはつい半年前まで「自粛警察」とか「マスク警察」などといった現代版「自警団」に翻弄(ほんろう)されていたのではなかったか。その意味では、100年前の福田村事件こそが足元を照らし出す貴重な記憶ではないのか。

 

 花巻祭りの最終日、私はその時に目にした光景を正直な気持ちでつづった(10日付当ブログ参照)。祭り好きは人一倍のつもりであるが、目の前の祭りの“熱気”と当時の福田村の村人たちの“狂気”とが一瞬、重なり合うような気持になったからである。たとえば、それがひとつの塊(かたま)りになった時の”熱狂”みたいな…

 

 風流山車の先導役を務めるその人物を見つけた市民が「あれ、なんであの人が」と口走った言葉を私は耳に聞き取っていた。“エッフェル”事件で批判の渦中にある国会議員が”神域”ともいうべきその行列の中にいた。しかも、神輿まで担いでいたとは。本来なら、この種の神聖な場に身を置いてはならないはず…その市民の不信感に私も同意した。「“不都合な真実”はなかったことにする」―。気の遠くなるような時空を経てもなお、あの時と同じような「空気」の色合いにギクリとした。福田村事件の犠牲者追悼慰霊碑が建てられたのは事件から80年が経過した2003(平成15)年のことである。

 

 車で片道3時間も要した映画鑑賞の帰路、映画館がひとつもない足元の貧しさにハタと我に返った。まるで、文化が果てるまちではないか。その「イ−ハト−ブはなまき」ではいま異論を排除するかのような形で、新花巻図書館の「駅前立地」が強引に進められようとしている。森監督は「集団に埋没しないためには、一人称で自分を語ることが大事だ」とテレビのインタビュ−で話していた。ネット社会のいま、フェイクニュ−スは瞬時に世界を席巻(せっけん)する。船頭の「倉蔵」や元教師の「智一」が意を決したように止めに入る場面が大写しになった。「二人の勇気」に身震いを覚えながら、「一人称」の大切さを改めて実感した。

 

 

 

 

(写真は映画「福田村事件」のポスタ−)

 

 

<註>〜事件の背景やその後(ウキペディアなどより)

 

 この事件に関連し、8人が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」と主張した。全員に実刑判決が言い渡されたが、昭和天皇の即位による恩赦で釈放された。出所した中心人物の1人は後に選挙を経て村長になり、村の合併後は市議会議員を務めた。背景としては事件の4年前、日本からの独立を求める「三・一運動」が起きた際、それを弾圧するためにメディアを総動員して、日本に歯向かう「不逞(てい)の輩」という宣伝が流布(るふ)された。関東大震災時、朝鮮人虐殺につながった流言飛語の背後には「権力」に従順な善良な国民たちの“群集心理”が潜んでいた。

 

 

 

《追記―1》〜伊藤野枝・大杉栄没後100年記念シンポジウム

 

 関東大震災の混乱に乗じ、社会主義者や自由主義者などが検束・殺害される事件(亀戸事件や甘粕事件など)が相次ぎ、社会運動家の大杉栄と妻の伊藤野枝、甥の橘宗一の3人は9月16日、憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺害された。今月24日には明治大学(東京)駿河台キャンパスで、作家の森まゆみさん(「『青踏』時代の伊藤野枝」)とルポライタ−の鎌田慧さん(「大杉栄 自由への疾走」)らが自著をベ−スに「現代における震災100年」を語る。なお当時、自警団などによる犠牲者は朝鮮人と間違われた中国人や言葉のなまりを疑われた沖縄や秋田の人まで広範囲に及んだ。

 

 

 

《追記―2》〜「分断すらない日本人」

 

 公開中の映画「国葬の日」を監督した大島新監督が「世論を分断させたかのように報じられた(安倍元首相の)国葬を映画化してみて、むしろ『分断』すらなかった実態が明らかになった」と次のように語っていた。顕在化しない分だけ、事態は100年前もより深刻なのかもしれない。「お上が決めたら素直にすべて従う『お上主義』の人は、かなりいると思う。周囲と違うことをやらない。同調圧力が強い。日本全体の『ムラ社会』的な空気や土壌が影響している。もっと一人ひとりが自立している世界。そういったことを望みたい」(9月17日付「朝日新聞」)

 

 

 

《追記―3》〜市民力、全開!!

 

 花巻市内でフェアトレード店を経営する新田史実子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」が今回の岩手知事選で全開、“市民力”の大切さを教えた。次は夢の図書館を目指した全国規模の署名運動へとフットワークの軽い市民運動を展開中。以下のアドレスからどうぞ

 

おいものブログ:SSブログ (ss-blog.jp)

 

 

 

 

 


2023.09.15:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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