「世界NO2」の背景に市民の力…盛岡のまちづくり〜さて、イーハトーブでは「もう、黙っていられない」!!:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「世界NO2」の背景に市民の力…盛岡のまちづくり〜さて、イーハトーブでは「もう、黙っていられない」!!
2023.01.24:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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米ニュ−ヨ−クタイムズ紙が「2023年 訪れるべき世界の都市52選」のひとつとして、盛岡城址(現盛岡城跡公園=岩手公園)を中心にしたまちづくりを手がけている盛岡市をロンドンに次ぐ2番目にリストアップ―。最近のビッグニュ−スと言えば、これに勝るものはないが、「NO2」に押し上げた陰に粘り強い“市民力”があったことはあまり、知られていない。
そのきっかけになった動きは東日本大震災の2日前の2011年3月9日にさかのぼる。その日、盛岡城址に隣接する桜山神社参道地区の町内会長や商店主らは約3万3千人の署名簿を手に盛岡市役所へ向かった。前年9月、市側は「史跡復元構想」を公表し、参道地区の商店街を撤去する方針を打ち出していた。その計画の白紙撤回を求める議会への請願行動だった。「3・11」に見舞われたのはその2日後。行政も市民も被災者受け入れや支援活動に忙殺された。こんな中、市議会常任委員会は請願の不採択を決定したが、逆に180度の方針転換に踏み切ったのは行政側の方だった。津波がもたらした余りにもむごい破壊の光景がそうさせたのかもしれない。
「古くからの懐かしさと暖かさをもつ昭和の風情を残す魅力ある商業地区として、中心市街地活性化にも大きな役割をもっており、この機能を維持する必要があります」―。震災さ中の2011年7月、市側は計画の実質な白紙撤回を表明し、地元側と現状維持の合意に達した。「史跡復元構想」が実は“勘定所”を模した飲食や土産物を販売する観光施設だったことも反対運動に火をつける結果になった。当時、町並み保存の支援活動をした市民団体「応援し隊」のメンバ−はこんな言葉を残している。
「何よりもこの桜山界隈に寄せられる大勢の人たちの愛こそが、この地を守っていくのだと。今、3月11日の震災を経て、桜山界隈はまた新たな価値を顕しています。震災直後には炊出しの舞台として、その後は復興イベントや沿岸部支援のバザ−、復興祈願祭など、数々の催しの舞台として。かつて戦後盛岡の復興を支えた町は、今、東日本大震災からの復興を支える舞台の一つとして、あの日以来の幾度もの揺れにも負ける事無く、この桜山の地に立ち続けています」(「応援し隊」のブログから)
以来、盛岡市は盛岡城址を中心にした周辺整備事業を継続。昨年は「盛岡城復元調査推進委員会」を設置し、資料提供者に対する報奨金制度も発足させた。一方、同じ中心市街地に位置する花巻城址(旧新興製作所跡地)に目を転じると―。解体された建物の残骸が放置されたまま、すでに5年以上の時が流れた。この無惨な光景が「当り前」になりつつあったその時、隣接する旧花巻病院跡地の背後に霊峰・早池峰の遠望が姿を現した。消えつつあった「歴史の記憶」がふいに呼び戻された瞬間だった。「この地にこそ図書館を」と呼びかける「イ−ハト−ブ図書館をつくる会」(瀧成子代表)の設立趣意書にはこうある。
「花巻の課題の一つは、言うまでもなく、中心市街地の活性化です。宮沢賢治をまちづくりの核に捉えている市が、賢治ゆかりのエピソ−ドが豊かな病院跡地をなぜ選ばないのか、不思議です。コロナ禍を経験した私たちが求めるのは、深呼吸のできる自然豊かな場所です。花巻の象徴とも言 える早池峰山を望む、広く静かな場所に図書館があれば、これまであまり利用しなかった人も足を運ぶようになるのではないでしょうか」
懐かしい喫茶店やジャズが流れるスナック、酒房、書店、麻雀店、名物食堂…。「いにしえが香る、人情実感通り」を売り物にする”桜山横丁”(愛称「サクヨコ」)には、こんな風情の店がひしめき合い、その数はざっと100店。そして、大陸からの引揚者が戦後を生き延びるために開いた“昭和レトロ”が78年という歳月を経て、「歩いて回れる珠玉の街NO2」に堂々とノミネ−トされた。かつての敵国の有力紙から賞賛を受けるというのも考えて見れば、”歴史の妙”ではある。霊峰・早池峰が100年ぶりにひょいと、顔を見せたみたいに…
「愛する桜山界隈の魅力を開拓し、広く伝えるために行動していこう」―。「応援し隊」は結成当時の決意をこう述べている。一方の「つくる会」の設立趣意書にも「世界一賢治の資料が集まる『賢治ライブラリ−』を…」という文面が見える。さらに、この会のメンバーの一人である「3・11」の被災者、日出忠英さん(81)の目が移住先の当市の”埋もれた宝”(21日付当ブログ参照)を再発見してくれたというのも縁(えにし)の不思議と言うしかない。こうした瑞々(みずみず)しい感性こそが未来を予言するということなのかもしれない。「駅前か病院跡地か」―。イ−ハト−ブ“図書館戦争”はいよいよ、渦中を迎える。
「なんぼしたって、おかしいよね。なんぼしたって、もう黙っていられないよね」―。「つくる会」の瀧代表は21日のシンポジウムのあいさつの中で、自身のこれまでの”無関心”を叱るような口調でこう述べた。
(写真は昭和のたたずまいが残る桜山参道商店街。奥が盛岡城址の中に位置する桜山神社=インタ−ネット上に公開の写真から)