「むかしむかし」から『ミライミライ』へ―「挑発的な思考実験}:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「むかしむかし」から『ミライミライ』へ―「挑発的な思考実験}


 

 「むかしむかし、詩人たちは銃殺された」―。作家、古川日出男さんの最新作『ミライミライ』はこんな衝撃的な書き出しで始まる。時は1972年2月上旬、場所は札幌市内を流れる豊平川河畔。処刑されたのは「北海道の日本人」でその数は全部で32人。一方、刑を執行する側はソ連兵で、罪状は「アイヌ文化の搾取や掠奪(りゃくだつ)」などとなっている。「あったかもしれないもうひとつの歴史」―。第二次世界大戦後、敗戦国である日本はアメリカとソ連に分割統治され、ソ連に統治される北海道では旧日本軍の兵士らが抗ソ連のゲリラ戦を展開していた。さて、本書では被処刑者も処刑者も「アイヌ」に対しては植民者と措定(そてい)されているようである。だとしたら、何故!?

 

 古川作品のスケールは途方もない。だから、想像力の射程を能(あた)う限り広げ、合わせてそれ相応の胆力(たんりょく)も準備しなければならない。「ソ連、北海道を占領」(1945年)、「抗ソ武装組織、網走刑務所を強襲」(1950年)、「印日連邦(インディアニッポン)誕生」(1952年)、「ヒップポップグル−プ『最新“』(サイジン)結成」(200X年)、「日本州への核武装要求」(2016年)…。冷戦下で主権を回復した日本はインドとの間で連邦国家を形成する。本土復帰後もロシアの基地が残った、その北海道の地で産声を上げた4人の若者による「最新”」。新しいリズムの「ニップノップ」が生まれ、それが世界を席巻(せっけん)する。日本列島縦断公演の途中、世界中に名声をはせるMC(司会&ラッパー)が盛岡で誘拐(ゆうかい)されるが、公演は続行される。

 

 「小説は本当に読まれなくなってきている。読むのに体力が要るから。それでも生き残っている強者(つわもの)の読者向けに、その強者が唸って卒倒するような本を書けるようでなければ…」(新潮社『波』)―。作者は本作の執筆に当たって、こんな挑発をしている。「むかし―いま―みらい」…。まさに卒倒しかねないほどの目まぐるしい展開である。その一方で、冒頭の不気味な一節が頭にまとわりついて離れない。文中にはアイヌ語に由来する地名があちこちに散りばめられ、そもそもヒット曲「ニップノップ」もいかにもアイヌ風ではないか。以下のような会話が交わされる部分がある。

 

 「北海道がなかった。そこにアイヌがいた。それから、北海道が現われて、そこに和人(わじん)が入植した。和人っていうのは、日本人だ。入植っていうのは、侵出だ。さて、こういうのは、ソ連と何が違うのか?お父ちゃんが考えるにな、これはつまり、ソ連と同じだ」―。「最新“」に危急が迫る時に決まって、現われるのはヒグマと化した”熊人間”である。アイヌ民族にとって、羆(ひぐま)は最高神(キムンカムイ)に位置づけられる。だから、銃殺刑に処せられた罪状には、「たとえば羆の霊を歌うにせよ、それをアイヌ人の熊送り(イヨマンテ)の儀式を下敷きにして語る」(本書)―という詩作の手法も「搾取や掠奪」とみなされるのである。

 

 「日本州に核を配備しろ。日本州は核武装しろ。それを私は要求する」―。最終公演地の沖縄・那覇で「最新“」は誘拐されているMCからのメッセ−ジを受け取る。「人質解放か、核武装化か」―。行政トップが苦渋の表情で語る場面がある。「本土復帰の前にはね、核が、あったからねえ。あったんだ。アメリカの基地の敷地内にあった。嘉手納(かでな)の空軍基地に、それから辺野古(へのこ)。あと、この那覇にも、核兵器は貯蔵されてましたからねえ。それが、日本州に核ミサイル配備、となると、沖縄には再配備になる。なんのための復帰だったかねえ。翻弄(ほんろう)されてばかりだねえ」

 

 「最新“」は決死の覚悟で人質になっているMCの救出作戦を練り上げる。「核武装を阻止するために」…とここまで読み解くのが精一杯だった。古川さんは「沖縄を見るということになったときにもう、鏡の中で反転された像みたいに北海道が見えてきた」(『波』)と書いている。作者は「もうひとつの歴史」―つまり「ソ連占領」という”偽史“を描くことによって、「北」と「南」の、言葉の真の意味での「正史」(植民地化史とその抵抗史)をよみがえらせようと目論んだのではないのか。作家で読みの達人でもある佐藤優さんが総合文芸雑誌『新潮』(5月号)で、古川さんの「ミライミライ」論を展開している。さっそく、注文した。私の浅読みの部分はこの論作で補ってもらうことにする。

 

 最近、北と南を行ったり来たりする自分にふと、気が付くことがある。”みちのく”(東北=蝦夷)と呼ばれた、かつてのプレ植民地ー「化外(けがい)の地」(王化の及ばない地)に生を受けた末裔の宿命なのかもしれない。両眼にヒグマとジュゴンが群れ遊ぶ姿が浮かんでは消える。

 

 

(写真は古川さんの最新作『ミライミライ』の表紙。未来を見つめる少女の視線が深い=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》〜「挑発的な思考実験」

 

 「優れたテキストは複数の解釈を可能にする。それだから、この小説を書評することはとても難しい。切り口によって、まったく異なる姿が浮かび上がってくるからだ。パラレルワ−ルド(並行世界)を描いた作品と読むこともできるし、地政学を加味した国際インテリジェンス小説と解釈することもできる。音楽小説でもある」(『新潮』5月号)―。本日(4月9日)届いた文芸誌の中で、作家の佐藤優さんは「挑発的な思考実験」のタイトルでこう書いていた。そのうえで、「最新”」のヒット曲「ニップノップ」の思想の土着性に着目、その多様性に未来を展望している。

 

 本書のテ−マでもある「核」について、作者の古川さんはある対談でこう述べている。「個人的には、沖縄で米軍ヘリが落ちたことより、核開発をしている国が発射したミサイルが上空を通過したことの方が大騒ぎになるのは不思議な気がします。通過しただけで落ちていないわけですからね。その意味では、核は人間が持っている恐怖心やネガティブな感情を映し出す鏡だといえます。今の世界で最も巨大な問題だからこそ、そこに映し出される妄想の量たるやすさまじいものがある。できることは冷静に考えることしかありません。誰かが考えた『悪いシミュレ−ション』に合わせて現実は動きます。それに対抗できうるのは『良きシミュレ−ション』だけで、そこには小説の可能性がある」ー。そして、こうした心理状態を作品の中で「パラノイア」(偏執症)と位置付けている。

 

 「(古川さんの)直感と感情を、仮想の歴史の中で展開した観念小説として読んでみたい」という佐藤さんは『ミライミライ』の読後感をこう結んでいる。「本作品のテーマである日本の核武装要求もパラノイアの具現化だ。本稿を執筆している2018年3月時点でも、トランプ政権の北朝鮮政策や、森友学園問題をめぐる財務省の公文書改竄(かいざん)問題にしても、きれいに解析することを試みるとパラノイアになってしまうのである。その意味で『ミライミライ』は、優れた小説にとどまらず、現下日本と国際社会のリアリティを読み解くための手引きの書でもある」(同書)―。「思考実験」こそが小説読みの醍醐味である。そこには百態百様の切り口がある。そのひとつが佐藤さんのいう「パラレルワールド」(北=北海道vs南=沖縄)の視点に立った私の読みなのかもしれない。

 

 

 

 

 


『ミライミライ』
読みました。すげえなあとのけぞった。このスケールの馬鹿でかさはなんだ、と。つまりは僕自身の日常がふやけているんじゃないかと。これはラップ小説だ、じゃ自分の日常をラップで叫べ、と。 よかったら、『ルポ川崎』を読んでみてください。
2018.04.11:西田 敬一:URL
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