チビチリガマ―野仏に祈りを込めて…その一方では「アッ」と驚く事態も:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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チビチリガマ―野仏に祈りを込めて…その一方では「アッ」と驚く事態も


 「ガマ(洞窟)を荒らした少年たちと合宿しながら、野仏を造ろうと思っているんだ。見に来ないか。ちょっと急だけど、明日からなんだよ」―。沖縄県読谷村在住の彫刻家、金城実さん(79)さんから電話が入ったのはその前日の今月22日。せっかちな金城さんにしても、あまりにも急だ。その光景を想像しながら、ジリジリ待つこと4日間。26日付の地元紙2紙(電子版)に記事が載った。米軍が沖縄本島に上陸した翌日(昭和20)の4月2日、チビチリガマに避難した約140人のうち、83人の住民が非業の死を遂げた。肉親が殺し合いを余儀なくされた「強制集団死」の現場である。ガマの入口には金城さんらが制作した「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が建っている。

 

 まだ、遺骨などが残っているガマが荒らされたのは、昨年9月12日。数日後、県内に住む16歳〜19歳の少年4人が器物損壊の疑いで逮捕された。少年たちは「肝(きも)試しだった」「心霊スポットに行こうと思った」と自供。「過去の歴史は知らなかった。大変なことをしてしまった。遺族の方々の心を傷つけてしまった」と反省の言葉を口にした。金城さんが保護司に任命されたのは、約1ケ月後。「少年たちとどう向き合おうか」と考えた時、制作中の野仏のことを思い出した。事件が起きる4カ月前、私はたまたま、金城さんのアトリエを訪れていた。

 

 ツノが生え、目玉をギョロリとむき出した新作の鬼の像がアトリエに置かれていた。怖い形相をしたその胸にまるい袋状のものが抱かれている。「鬼の遺伝子だよ。抵抗の遺伝子は必ず、進化する。そのことをイメ−ジさせた」。すぐかたわらには柔和な表情をした「野仏」(お地蔵さん)が並んでいた。顔と手足にはきれいにヤスリがかけられ、撫(な)でるとスベスベした感じがした。二つの像の間に挟まるようにして、金城さんが言った。「いいかい、まるで形相の違う像を一人の人間が作ったということだ。つまり、人間は時には鬼のように抵抗し、また時にはツノを収めて野仏のように穏やかにならなければならない。そのことを訴えたかった」―。

 

 私は事件の報に接した時の気持ちをブログに次のように記した。先の大戦で唯一、地上戦が戦われた「沖縄戦」の実態を、私も含めたヤマトンチュはどれほど知っているだろうか。そんな自責にかられたのである。…●「平和学習の成果がなかったのではないか」、「沖縄戦の風化がここまで進んでいるとは…」、「遺族たちは3度、殺された」、「よりによって地元の子が…肝試しをという動機の落差に、世代の溝の深さを思う」。このショッキングな出来事をめぐって、沖縄内外では様々な意見が相次いだ。その内容にはいちいち納得できたが、一方で「果たしてそのことを言い募るだけで事は解決するのだろうか」という思いも頭をもたげた。「その事実自体を不問に付すつもりはないが、今回の不祥事を引き起こした遠因は私たち(ヤマト)の無知・無関心ではなかったのか」(2017年9月27日付「キジムナ−とチビチリガマの”受難”」参照)

 

 あの事件から4カ月余り―。遺族や金城さんたちの願いがかない、ガマの周辺にはずらりと野仏が安置された。「作業には保護者の1人も加わった。3日間の仏像造りを終えた少年たちに安どの表情が広がった。参列者から拍手が起こった」…こんな報告をする受話器の向こうの金城さんの声もうれしそうだった。地元紙は以下のように伝えた。

 

 

 沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平の自然壕チビチリガマを損壊した少年4人が25日、ガマ入り口にある「世代を結ぶ平和の像」を制作した金城実さん(79)らとガマ周辺を清掃し、新たに仏像12体を設置した。沖縄戦や「集団自決」の事実について、チビチリガマ遺族会(与那覇徳雄会長)から話を聞き、沖縄戦最大の悲劇に数えられる「集団自決」を語り継ぐ大切さを学んだ。

 

 少年たちは23〜25日、保護観察所のプログラムの一環で保護司らと共にチビチリガマを訪ねた。あらかじめ遺族会や金城さんが土台部分を制作した仏像に顔や腕を付けて完成させ、ガマ周辺に12体を設置した。3日間、ガマの中の遺骨にも手を合わせた。与那覇会長によると、少年たちは活動を終えて「歴史を知らず、大きなことを犯してしまった。今後、このような事件がないようにしたい。沖縄戦を伝えていきたい」などと述べ、改めて謝罪した。遺族の言葉にも真剣な表情でうなずいていたという。
 

 与那覇会長は「自分たちで仏像を設置したことで、これからもガマを訪ねて手を合わせてほしい」と語り、「少年たちは反省していた。作業を通して変わったと感じた」と振り返った。金城さんは「作業着を着て、黙々と仕事をしている様子を見てうれしかった。少年たちが後世に沖縄戦を伝えることを期待している」と話した。少年たちは昨年9月にガマ内部の折り鶴を引きちぎったり、遺品や看板などを破壊したりして、器物損壊の罪で逮捕され、保護観察処分を受けた。ガマの入り口に設置された平和の像にも損傷が及んでおり、遺族会は今後、少年たちと修復作業を進めていくことを検討している(26日付「琉球新報」電子版)

 

 

(写真は少年たちの手で制作された野仏たち=1月25日、沖縄県読谷村波平で。琉球新報の紙面から)

 

 

 

《追記−1》〜「安倍官邸と自民が沖縄に襲いかかる」

 

 この日(26日)発行の『週刊金曜日』はこんなタイトルの特集を組んだ。近づく「名護市長選」(2月4日投開票)と「石垣市長選」(同3月11日)…。米軍普天間飛行場の「(名護市)辺野古」移設や陸上自衛隊のミサイル配備計画で揺れる両選挙に国は”総力戦“で臨んでいる。「襲いかかる」という表現がぴったりの激しい攻防をレポ−トしている。昨年3月、152日間に及ぶ不当勾留の末に保釈された、沖縄平和運動センタ−議長の山城博治さんは特集の中でこう語っている。

 

 「(翁長雄志・沖縄県知事は)もっと先の沖縄の姿を見ていた。私たちの拠(よ)って立つところは、基地ではないんだと、平和に向けての夢なんだと。武器を持たずにアジアと交歓するんだと。1千万観光客って大変ですよ。すごいですよ。そこにはヘリパッド不要、辺野古基地の邪魔、米軍はいらないんだ。基地のない美しい海、青い空から人間が降り立つ。だから、私も賭けたんです。そういう夢に」

 

《追記―2》〜「何人、死んだんだ!」

 

 25日の衆院本会議で代表質問に立った共産党の志位和夫委員長が、沖縄県で相次ぐ米軍機の事故や不時着の問題を取り上げていた際、自民党の松本文明内閣府副大臣が議員席から「それで何人死んだんだ」とやじを飛ばしたことが分かった。共産党の小池晃書記局長は26日の記者会見で「本当に許しがたい発言。言語道断だ」と非難した。小池氏によると、やじは本会議場の自民党席から上がり、共産党機関紙「しんぶん赤旗」の記者が直後に取材したところ、松本氏が「僕の発言だ」と認めたという。西村康稔官房副長官は記者会見で、発言は確認していないとした上で「必要に応じて本人が発言の趣旨をしっかり説明する」と述べた(26日付「時事通信」電子版)

 

 この人物はたぶん、「チリチリガマ」の悲劇を知らないのだろう。いや、かりに知っていたとしても「どこ吹く風」ではないのか。そういえば以前、「差し入れ」を要求する失言もあった。各紙によると。同大臣は26日夕、安倍晋三首相に辞表を提出し、受理された。

 

※なら幾人亡くなりゃ国は動くのか(1月30日付「朝日川柳」

 

 

《追記―3》〜巨星、墜(お)つ

 

 官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務(のなか・ひろむ)氏が26日に死去した。92歳だった。(中略)戦争中の召集経験があり、党内では「ハト派」として弱者への配慮を持ち続け、イラク戦争などで自衛隊の海外派遣に抵抗。親中派で北朝鮮との関係改善、沖縄問題などに尽力した(26日付「毎日新聞」電子版)。

 

  「米軍(駐留軍)用地特別措置法改正」(1997年)に際し、特別委員会の委員長だった野中さんは可決に先立って異例の発言をした。沖縄に寄り添う発言として、今も語り継がれている。「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わりにします」ー。『週刊金曜日』がその予言が的中したことを明らかにしている。

 

※情けないヤジを憂いつつ古老逝く(同上)

 

《追記−4》〜ゴルバチョフ・旧ソ連大統領からのメッセージ

 

 冷戦終結という世界史に残る偉業を成し遂げ、ノ−ベル平和賞を受賞した旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領(86)から沖縄の新基地反対派を激励するメッセ−ジが届けられた(1月30日付「AERAdot」より)。以下に全文を転載する。

 

 冷戦時代、オキナワに多数配備されていた核兵器に関する情報がNHKの番組(「沖縄と核」)等で明らかになったと知ったと同時に、現在もなお、オキナワに保管されているかも知れないという危惧で私は心を痛めている。この問題は県民に真実を公開する必要がある。私はこれまで「核兵器の削減」もちろん最終目標としての「核兵器の完全撤廃」および「国際問題に軍事力を使用しない」という点を主張してきた。1985年ジュネ−ブでのソ米首脳会談(私とレ−ガン大統領)で、“核戦争は一切起こしてはならない”、“核戦争下での勝利者はいない”という共同宣言を採択し、世界に発信した。

 

 こうした観点からオキナワでの軍事基地拡大に対する県民の闘いをこれまでも支持してきたし今後も支持する。オキナワは世界に類を見ない豊かな自然と独特な文化を有している。従ってオキナワは軍事基地の島ではなく、人々の島であり続けなければならない。

 オキナワは自然・文化・観光資源のほか、地政学的にも恵まれており、世界の人々、文化、貿易が行き交うターミナルとしての環境が整っていると私は思う。オキナワの将来の世代のためにも、この豊かな環境を活用し平和的な発展をめざされることを切に願う。

「戦争の文化から平和への文化の移行が必要だ!」今年1月のロ−マ法王のこの言葉に私は心から賛同する。

ミハイル・ゴルバチョフ

2018年1月23日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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