近代沖縄民衆史―「眉屋私記」と「ヒストリア」:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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近代沖縄民衆史―「眉屋私記」と「ヒストリア」


 選挙の狂奔に耳をふさぐようにして、2冊の大著を読んだ。合わせて1167ペ−ジ。一冊は九州・筑豊を拠点に地底の闇を穿(うが)ち続けた記録作家、故上野英信の『眉屋私記』(1984年)で、もう一冊は沖縄出身の新進作家、池上永一の『ヒストリア』(2017年)。いずれも中南米などに新天地を求めた「沖縄移民」の物語である。33年という時空を隔てているにもかかわらず、この2冊は現下の「オキナワ」を射抜き貫いているという点では表裏をなす「姉妹編」とも言える。

 

 現在、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先(新基地建設)とされる名護市の西海岸に位置する名護湾に「眉屋」という屋号の貧しい家があった。始祖が眉の美しい人だったので、こう名づけられたという。19世紀の半ば、眉屋の末裔たちは「山入端」(やまのは)の姓を名乗った。「大和世」(ヤマト)の治世下、貧苦のどん底にあったウチナンチュ(沖縄人)は移民会社の甘言に乗せられ、ブラジルやペル−、キュ−バなど中南米を目指した。炭鉱やサトウキビ畑での過酷な労働…。死者や逃亡者が相次いだ。残された一族の女たちは那覇の辻(芸娼)に立ち、細々と生きる糧を得た。「移民と辻売り」という近代沖縄の底辺をテ−マとしたこの本はその後の受難の前奏を奏でているようでもある。

 

 4代目にあたる山入端萬栄(まんえい=1888〜1959)がメキシコの地を踏んだのは1907(明治40)年6月15日、19歳の時である。時あたかもメキシコでは革命の嵐が激しさを増し、萬栄もその渦中に巻き込まれた。数年後、キュ−バに逃れ、奇しくもカストロが革命政権(キュ−バ革命)を樹立したその年に異国の土になった。この間、ドイツ人女性と結婚し、子どもにも恵まれた。しかし、日米開戦によって夫婦とも「敵国人」とみなされ、捕虜収容所に収監された。萬栄が地球の裏側で数奇な運命に翻弄(ほんろう)されていた時、遠いふるさとの地も戦火の下に没しようとしていた。作者の上野は本書の末尾にその歴史を端的にこう記している。

 

 「1946年1月29日、いけにえの島の民が飢えとマラリアにさいなまされているまっただなかで、連合軍最高司令官マッカ−サ−元帥は北緯30度以南の南西諸島を日本から分離すると宣言した。1609年には薩摩藩に侵され、1879年には天皇政権に侵された南西諸島は、いままたアメリカ世を迎えたのである」

 

 「魂込め」(まぶいぐみ)―。木から落ちたり、海でおぼれかけたりした時などふとしたことで子どもが元気をなくすことがある。こんな時、沖縄では「マブイ(魂)が落ちたな」といい、ユタ(霊的な人)などの力を借りて、マブイを元の体に戻す―その「巫術」(ふじゅつ)をこんな風に表現した。『ヒストリア』の主人公、「知花煉」(ちばなれん)は沖縄戦とそれに続くアメリカ世の中で、魂と肉体が離れてしまった「一人にして二人」ながらの人物である。移民船に乗り込み、南米ボリビアに新天地を求めた「煉」の前には想像を絶する苦難が待ち受ける。霊魂Aと肉体Bに分離してしまった「煉」の振る舞いはまるで壮大なエンタメの装いである。入植地が洪水や疫病で壊滅したかと思えば、今度は山入端萬栄の遺志でも継ぐかのように、カストロとともにキュ−バ革命を戦ったチェ・ゲバラと恋に陥ったり…。

 

 作者はインタビュ−でこう語っている。「沖縄は米軍基地に農地を奪われ、雇用の場もない。人々はなかば追い払われるように南米のジャングルに移住していた。この歴史も含めて沖縄の戦後。沖縄の空は今も爆音が響き、何も解決されていない。キュ−バ危機や冷戦など世界の構造が変わっても、人生が流転しても、戦争の体験は変わらない。いろいろな戦争のイメ−ジを想起させながら、沖縄戦を描くことが小説ならできる」(9月13日付「朝日新聞」電子版)。マブイを取り戻すために沖縄に帰った「煉」は作中で以下のように独白する。

 

 「長年私を苦しめてきた悪夢の正体がやっとわかった。爆弾と機銃の音は沖縄戦の記憶ではなく、実弾射撃訓練場に変わり果てた現在の村だった。私のマブイは戦後も休みなく砲撃と銃弾を受け続けていたのだ。『こんなバカな。今も狙われていたなんて…』。村は戦後もずっとアメリカ軍に蹂躙(じゅうりん)されていた。私は黒焦げの少女のまま、死ぬに死ねない無間地獄に落とされてしまった。榴弾の砲撃は容赦なく続く。山肌が赤く爛(ただ)れている。大地に火薬が焦げついている。私の『死後のマブイ』が基地のなかで泣いている。…現在も、私の戦後は終わっていない」

 

 私は気宇壮大なエンタ−テイメントという手法の裏にウチナンチュの意地を見たような気がする。「万国津梁」(ばんこくしんりょう)―。琉球王朝時代、国際社会に羽ばたいた際のスローガンが一瞬、頭をかすめた。沖縄受難史」に背を向け続けるヤマトンチュ(本土人)に対する、その意趣返しは爽(さわ)やかでさえある。「事実は小説よりも奇なりというが、(『眉屋私記』が)あまりにも話ができすぎているので、私が作り話を書いているのでは、と思われないか心配だ」―。生前、上野がこんな述懐をしていたのを懐かしく思い出す。

 

 

(写真は姉妹本ともいえる「沖縄移民史」の大作。ゲバラの肖像をあしらった表表紙にはドキリとさせられる)

 

 

 

 

 


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