”人づくり革命”という悪夢(続):はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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”人づくり革命”という悪夢(続)



 「韓国人元戦犯の闘い―日本人として動員/捕虜監視の軍属に/苦しんだ死刑判決」(8月18日付「朝日新聞」)―。昨日の今日とはまさにこのこと、前日に表題の原稿をブログアップしたと思ったら、この日の紙面にはこんな大見出しが躍っていた。「8・15」の全国戦没者追悼式で、「アジア」「反省」「不戦」のひと言もなかった安倍晋三首相には目を皿にして、この特集記事を読んでいただきたい。ここにはかつて、我が日本国が好き放題に“人間をつくり替えた”―負の歴史の詳細が記されている。「心からの許しを乞う」という、その謝罪のあるべき作法をあなたにはきちんと学んで欲しいと思うからである。

 風雪が刻まれたこの人は韓国人元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さん(92)。李さんは太平洋戦争中、日本の植民地下にあった朝鮮半島から連合国捕虜の監視員として徴用され、泰緬(たいめん)鉄道(タイ・ミャンマ−間)の敷設現場へ。映画「戦場にかける橋」(1957年公開、英米合作)で知られる苛酷な現場では捕虜5万5千人のうち、1万人以上が死亡したと言われる。戦後の連合国によるBC級裁判(通例の戦争犯罪あるいは人道に対する罪)で、李さんは「捕虜虐待」の容疑で死刑を求刑されたが、その後減刑されて釈放された。「いつ自分の順番が来るのか、花壇の赤い花が咲くまで生きているだろうか。日本人なら無理にでも『日本のために死ぬ』と考えたでしょう。でも私は何のために、誰のために死ななければいけないのか。苦しかった」と李さんは記事の中で語っている。

 「朝鮮人」でありながら「日本人」として裁かれ、釈放後はサンフランシスコ講和条約の発効で、日本国籍が剥奪された「外国人」として、日本の補償や援護の対象からも外された。さらに祖国からは「対日協力者」として“国賊”などの烙印を押され、帰国も果せないまま現在に至っている。植民地下の朝鮮半島から軍属として徴用されたのは約3千人で、タイやジャワ、マレ−などの捕虜収容所に配属された。戦犯とされ148人うち、23人に死刑が執行され、台湾出身軍属も173人の戦犯のうち7人が処刑された。一方、イギリスやオランダ、オ−ストラリア、アメリカなどの連合軍兵士約13万2千人が捕虜となり、うち27%に当たる約3万6千人が死亡した。

 「被害者でありながら、加害者として詫(わ)びなくてはならない。本当につらい旅だった」―。1991年、李さんはBC級裁判の告訴人の一人だった当時の捕虜に許しを乞うため、オ−ストラリアに向かった。私はこのつらい道行きに同行取材した。「にらみつける元捕虜もいましたが、握手もできました。その一人が外科医で作家のエドワ−ド・ダンロップさん(故人)です。彼は収容所時代の日記を戦後発表し、私を『トカゲ』と呼び、『本当に心の小さいやつだ』と書いています。でも私が死刑判決を受け、戦後帰国できなかったことは知らなかった」。李さんは当時の思い出を今回の記事でこう語っている。

 26年前の記憶は私にとっても鮮明である。ダンロップさんは見上げるような大男だった。李さんは「ノ−・モア・ヒントク(李さんが配属された捕虜収容所)/ノ−・モア・ウォ−」と刻んだ時計を贈った。ダンロップさんは「許しと理解を込めて」とサインした自著『戦争日記』を手渡し、がっちりと李さんの手を握りながら言った。「正直、『コリアンガ−ド』に殺意を抱いたこともありました。でも、あなた方朝鮮人には責任はないのです」。当時の私の取材メモにはこう書かれている。「李さんがなぜ、日本の『戦争責任』を肩代わりさせられなければならなかったのか。なぜ、連合国の捕虜に『許し』を乞わなければならなかったのか。こんな不条理を強いたのは誰か、真に裁かれなければならないのは一体、誰なのか…」。紛れもない日本人の一人である私はその時、いたたまれない気持ちでその場に立たされていたことを今でもまざまざと思い出す。

 謝罪の旅を終えたその年の11月、李さんらは朝鮮人・韓国人戦犯たちへの謝罪と補償を求め、日本政府を相手取って裁判を起こした。99年12月、最高裁は「(救済の)立法措置が講じられていないことに不満を抱く心情は理解し得ないものではない」と述べたものの、解決は立法府の裁量的判断に委ねられるとして請求を棄却した。BC級戦犯たちにとっては、最高裁での2度目の棄却だった。「人間の尊厳」を取り戻す李さんら元戦犯のたたかいは今、超党派の国会議員連盟による救済法案づくりに引き継がれ、次の国会での成立を目指している。

 安倍首相よ!あなたは韓国・朝鮮人元BC級戦犯の刑死者が処刑時に日本国籍だったというただそれだけの理由で、靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)されている、この不条理をどう理解するのか。相変わらず、1965年の日韓協定で「対日請求権」は消滅、一連の問題は「解決済み」とシラを押し通すつもりなのか。あなたには、憲法改正の前にやり遂げなければならない重要課題が残されている。


(写真は二つの“祖国”に翻弄され続けた李さん。深い皺がその苦難の一生を物語っている=インタ−ネット上に公開された、8月18日付「朝日新聞」から)


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