芸術や文化による地域の再生は可能か…但馬からのメッセージと「賢治精神」!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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芸術や文化による地域の再生は可能か…但馬からのメッセージと「賢治精神」!!??
2024.05.30:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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表題のキャッチコピーに魅(ひ)かれて、『但馬(たじま)日記―演劇は町を変えたか』(岩波書店)というタイトルの本を取り寄せた。著者は宮沢賢治への造詣(ぞうけい)も深い劇作家で演出家の平田オリザさんである。ちなみに「オリザ」とは賢治の代表作『グスコーブドリの伝記』に出てくる言葉で、ラテン語で「稲」を意味するという。さて、東京で生まれ育ったオリザさんは5年前、「コウノトリの郷」で知られる兵庫県北の小さな町・豊岡市(旧但馬国)に移住した。本書は「演劇」による町おこしに立ち上がったまさに、たわわに実る稲穂さながらの奮戦記である。
「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」―。こんな長ったらしい名前の大学が2021年4月、豊岡市に開学した。芸術文化と観光をコラボした全国初のこの4年制大学の初代学長に就任したのがオリザさんである。国際アートセンターの開設、市内小中学校へのコミュニケーション教育の導入、旧役場庁舎を改築した河畔劇場の開業、コロナ禍の中で開催された豊岡演劇祭…。開学に先立って着々と地固めをしてきたオリザさんは思わぬ“逆風”に見舞われた。開学の2か月後、町を二分した市長選挙で「演劇のまちなんかいらない」と主張した新人候補が僅差で勝利したのである。逆にこのことが“全身演劇人”のこの人を奮い立たせたみたいだった。
2年前の1月、市内の観光スポット「玄武洞」を舞台とした『十五少年・少女漂流記』と題する演目が河畔劇場で披露された。オリザさん自身が手掛けた脚本で、「たじま児童劇団」の旗揚げ公演だった。子どもたちの楽しそうな演技を思い浮かべていた私は突然、幼少期の記憶に一気に引き戻された。先の大戦の敗戦直後、空襲によって廃墟と化した花巻のまちに「花巻賢治子供の会」という児童劇団がうぶ声を上げた。賢治の教え子である照井謹二郎さんと妻の登久子さん(ともに故人)は賢治童話を劇にして、戦後の混乱に巻き込まれた子どもたちを励まそうとした。焼野原の中で焼失を免れた馬小屋がけいこ場だった。
当時、東京から疎開した詩人で彫刻家の高村光太郎が郊外の山荘で独居生活を続けていた。照井夫妻は第1作目の『雪わたり』を携え、親類や近所の子どもたち十数人を寄せ集めた“にわか劇団”を引き連れて、慰問に出かけた。「(分校の)校長さんも先生方も部落の子供達も大工さんも製板さんも通りがかりの村の人達もみんな温かい気持に満たされて、うれしさうに見えました。現世では数へるほどしか数の少い幸福をつくり出すお仕事は何といふいいものでせう」―。光太郎からこんな感謝の手紙が届いた。会の命名はこの大芸術家からのプレゼントだった。
「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」。オリザさんは劇作家、井上ひさしのこの言葉を引用しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」―。そういえば、オリザさんは『銀河鉄道の夜』の海外公演でも知られる“賢治通”である。最近では「演劇のまち」を訪れる海外からのインバウンド(観光客)も増えつつある。さらに、全都道府県や海外からも人材が集まる異色の大学としても注目が高まっている。
「駅前か病院跡地か」―。その一方で、賢治が「イーハトーブ」(夢の国=理想郷)と名づけた当地はいま、新図書館の建設場所をめぐる“立地”論争に明け暮れている。そんな迷走劇を横目にしながら、私の関心事はもっぱら、病院跡地にその雄姿を見せるであろう「まるごと賢治」図書館の構想を思索することである。「ここ豊岡に世界の風を吹かせて、その風で小さな風穴を開けるのだ」―。オリザさんは本書をこんな言葉で結んでいる。瞬間、賢治のあの歌が唱和した。そう、『風の又三郎』に登場する風たちの主題歌である。
「どっどど どどうど どどうど どどう/青いくるみも吹きとばせ/すっぱいかりんもふきとばせ/どっどど どどうど どどうど どどう」―。賢治がこよなく愛した霊峰・早池峰…生者に舞い戻った”賢治”がいままた、産土(うぶすな)のこの地に降臨し、あっちへこっちへとを闊歩(かっぽ)している。手を後ろ手に組む、ベートーベンを気取ったらしい、あのお馴染みのポーズで…。この天才芸術家は今度は何を企(たくら)んでいることか。
(写真は光太郎(2列目右から3人目)と記念撮影におさまる「花巻賢治子供の会」のメンバー。=撮影年月日と場所は不明。インターネット上に公開の写真から)
《追記》〜ガザの悲劇と「賢治精神」
「子どもたちが殺されていく」―。『週刊金曜日』(5月31日号)の表紙にはパレスチナ・ガザの悲劇を特集する大見出しとともに、息絶えようとしている幼児を抱きかかえる母親らしい女性らの写真が添えられていた。そして「言葉の広場」と題するコーナーまで読み進むと、今度は「今こそ宮沢賢治の想いを受け継ごう」という投稿が目に飛び込んできた。79歳の男性はこの中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)というあの有名な言葉で文章を閉じていた。「賢治精神」が時空を超えて息づいていることになぜか、ホッとさせられた。