「失われた10年」…上田市政と凡庸なる悪、そして忖度!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「失われた10年」…上田市政と凡庸なる悪、そして忖度!!??
2024.05.19:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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最近、「上田市政」と一括(くく)りにすることに抵抗を覚えるようになった。『<悪の凡庸さ>を問い直す』(大月書店)と題する本を読んだせいかもしれない。人心を引き付けるこの魅惑的なキャッチフレーズの生みの親はドイツの哲学者、ハンナ・アーレント。先の大戦でユダヤ人の大量虐殺に関わったナチス親衛隊の高官、アイヒマンが「上からの命令に従っただけだ」と語ったことに関連し、アーレントはこう述べた。「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」(『エルサレムのアイヒマン』)
「悪の凡庸(ぼんよう)さ」はアーレントの意図とは別にある種の“免罪符”の装いを保ちつつ、今の世にもひょいと顔を出すことがある。例えば、自殺者まで出した「森友学園」問題で、当時の財務省理財局長は「私は組織の歯車のひとつに過ぎなかった」と自己保身の弁明を繰り返した。果たしてそうなのか。本書を乱暴に一括りするとこうなる。総統・ヒトラーひとりで、ナチスドイツを統括することは可能だったのか、否、実はアイヒマンのような取り巻き連中の確信犯的な“意志”(例えば、出世欲)がナチスという堅固な組織を底支えしたのではないか。単なる「歯車」論では片付けられないのではないか。そして、現代風に言えば「悪の凡庸さ」は「忖度(そんたく)」と表裏一体の関係にあるのではないのか…
「失われた10年」とでも呼びたくなる「上田市政」の失政の数々は”上田東一”という一個人の責任にすべて帰してよいのだろうか。その周辺に現代の「アイヒマン」たちはいないのか…。本書を読みながら、ふと身近な行政の姿がそれに重なった。上田市長は地元の高校を卒業後、東大法学部を出て大手商社の三井物産に就職。その後10年ほど、アメリカの大手企業で法務関係の仕事に従事した後、家業の廃棄物処理会社を継ぐため、2005(平成17)年にふるさと花巻に戻った。市長に就任したのは約9年後の2014(平成26)年で、この空白の期間に行政経験を積んだという話は聞かない。
今年3月、総合花巻病院の経営不安が表面化し、市側が約5億円の財政支援を決定した。実は上田市長が最初に手掛けたのがこの病院の移転・新築事業だった。一方いまなお迷走を続ける、もうひとつの大プロジェクトである新図書館の立地場所の選定を巡っては「中立的なファシリテーター」なる得体の知れない言葉が突然、ひとり歩きを始めている。
金融畑を歩いてきた新市長とはいえ、地方自治の現場は初体験であり、足元の事情にも疎(うと)かったにちがいない。ここに登場するのが「総統の意を体して働く」というアイヒマン的な人物たちである。「他人の内心を推し量り、その意図を汲んで行動する、ある意味で主体的な行為」―という本書の解説を借用すれば、こんな構図が浮かんでくる。
市長の「意を体する」形で用意されたメニューこそが病院や図書館ではなかったのか。補助金行政にどっぷりつかった「市長とその取り巻き」による市政運営はこうして、始まったのではなかったのか。あれから早や10年―。“やらせ要請”が取り沙汰された駅橋上化(東西自由通路)と利権が噂(うわさ)される新図書館建設を含め、「三大プロジェクト」と呼ばれるこれらの事業は一見、”上田案件”とも見えるが、その実は佞臣(ねいしん=和製アイヒマン)から市長への“上納品”(貢物)の色合いが強いのはそのせいである。“パワハラ”疑惑がささやかれる上田市長の個人的な“資質”が後押ししているにせよ、その背景に浮かび上がるのは見事なまでの「忖度」の構図である。そこにはもはや「市民への目線」のひとかけらも存在しない。
アイヒマンを扱ったドキュメンタリー映画「スペシャリストー自覚なき殺戮者」(2000年公開)について、当時の朝日新聞「天声人語」(同年3月5日付)はこう書いている。「服従は、個人にとって常に不本意であるとは限らない。他人の言うなりにやり過ごす日常は、一面で気楽であり、時には甘美ですらある。何も考えないですむし、いっさいの責任から逃れられるようにも思えるから…」
(写真は旧料亭「まん福」跡地。「ヒルズエリア」と名づけられた跡地には電気やガス、水道はもとより専用トイレや駐車場もない。こんな“無用の長物”(上田失政)の爪痕は市内のあちこちに=花巻市吹張町で)
<註>〜佞臣(ねいしん)とは!?
新渡戸稲造は代表作『武士道』』の中でこう語っている。「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にするものに対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣』すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣』(ちょうしん)すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」(奈良本辰也・訳解説)
上田市長は初当選した直後の2014年3月定例会で私の質問に対し、尊敬する人物のひとりに新渡戸の名前を挙げていた。