コロナ禍の中で、「アイヌ新聞」記者のことを思う:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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コロナ禍の中で、「アイヌ新聞」記者のことを思う
2021.04.29:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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『「アイヌ新聞」記者 高橋真 /反骨孤高の新聞人』(合田一道著、藤原書店)―ドキッとするようなタイトルの本が送られてきた。時を経ずして、敬愛するアイヌの古布絵作家、宇梶静江さん(88)から電話があった。「あなたも同業の記者経験者。差別に苦しみ続けるアイヌ民族の実態をきちんと伝えてね」。今年3月中旬、ある“アイヌ差別”をめぐって、ネット上は炎上していた。まるで、この騒動を察知したかのようなタイミングの刊行に身震いした。
「この作品とかけまして、動物を見つけた時と解く。その心は、“あっ、犬”」―。3月12日、日テレ系の情報番組でアイヌ民族を描いたドキュメンタリ−を紹介した際、お笑い芸人がこんなナゾかけ問答をした。“あっ、犬”が「アイヌ」を連想されるとして、アイヌ民族などから抗議が殺到し、局側が謝罪すると同時に当人も「今回の件で僕の勉強不足を痛感しました。知らなかったとはいえ、長い年月にわたりアイヌの皆さまが苦しまれてきた表現をすることになってしまいました」と素直に頭を下げた。私は一連の騒動の中で「無知」ということを考えた。無知がもたらす「罪深さ」ということについて…
冒頭に掲げた本はこの騒動のさ中の3月30日に発刊された。主人公の高橋真は北海道・幕別にアイヌを両親として生を受けた。警察官を志して、帯広警察署の給仕になったが、アイヌは警察官にはなれないと知り、新聞記者を目指した。「十勝新聞」や「十勝農民新聞」などの記者を経て、敗戦の翌年に「アイヌ新聞」を刊行。終刊するまでの1年余りに第14号まで続いた。前年、GHQ(連合国軍最高司令部)にアイヌ問題解決のための請願書を提出した高橋は高まる気持ちを創刊号にこう、書き付けた。「日本の敗戦は逆に日本人の幸福を招く結果となって、今やアイヌ同族にも真の自由が訪れ、我々アイヌは解放されたのである」(1946年3月1日付)―。
「一万七千余のアイヌ民族の敵、それはアイヌから搾取を欲しい儘(まま)にする悪党和人である」(第2号、同年3月11日付)―。1976(昭和51)年、56歳の若さで亡くなった高橋の短い人生は差別と同化を強制した「北海道旧土人保護法」(1899=明治32年)の撤廃を求める血みどろの戦いだった。その過激な言動は差別の激しさの裏返しでもあった。「アイス」という看板を目にしただけでも足がすくんでしまう…私自身、こんな苦悩をアイヌの友人から直接、聞いたことがある。「止伏寒二」のペンネ−ムで高橋は「大東亜十億民衆の解放」という独自の視点の「アイヌ差別廃止論」(1946年6月11日付)を展開している。以下に筆者の合田さん(元北海道新聞記者)の解説を引用する。
「日本国土にいるアイヌ民族をはじめ、(植民地下で)日本人として取り扱われている台湾人、半島人(高橋の原文のママ。朝鮮半島の人々)を解放せずして、東南アジア人の解放などない、と論じる(高橋)真の視点は明快で鋭い」―。同書の出版と前後して、この世を去った元韓国人BC級戦犯、李鶴来(イ・ハンネ)さんの面影がこの文章に重なった(3月7日付当ブログと同29日付当ブログ「追記」参照)。救済と名誉回復を果たせないままに逝(い)ったこの「不条理」をいち早く見抜いていたのがアイヌ民族だったことに胸を突かれた。
“あっ、犬だ”発言をめぐっては、放送倫理・番組向上委員会(BPO)が放送倫理違反の疑いで審議することを決めたらしい。(おのれの感染に気が付かない)無症状者群がコロナ禍を一挙に拡大したように、「そんな倫理なんかの次元じゃないよな」と私はブツブツと自問を繰り返す。ふいに、かのソクラテスの名言「無知の知」を思い出した。「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深い―という例のやつである。そういえば、連続射殺事件を起こした死刑囚、永山則夫の獄中記のタイトルも『無知の涙』だった。4月3日付朝日新聞のコラム「多事争論」にこの差別発言に触れた文章が載っていた。ほぼ同感である。
「無数の言葉が咀嚼(そしゃく)を拒み、より硬度と速度を増してネット空間を飛び交っている。腑(ふ)に落ちる前の言葉を次から次へと交換し、『いいね』とうなずきあう。私たちは、そんな幻想の連帯の時代を生きている。言葉を吐く前の逡巡(しゅんじゅん)をショ−トカットし、吐いてしまった言葉を悔いる人が増えるのは、当然のなりゆきだろう。ざらついた心が生む侮蔑の表現も、分断を分刻みに再生産し続ける。ネットという目に見えぬ異界から、大量のつぶてを浴びる。そんな新しい風景を耐え抜く胆力を、現代の私たちはまだ鍛え切れていない。心がすくむ」
戦後、「北海タイムス」の記者などをした高橋は自らが主宰するアイヌ問題研究所の紀要に「アイヌ残酷物語」(1961年)と題する長文の論考を掲載している。血の吐くようなこの叫びから今回の差別発言に至るまで、わずか60年の時空しか隔たっていない。
(写真は「アイヌ記者」高橋真の苦闘の足跡を追った話題本)
《追記》〜柏葉講演会の動画
4月25日に開催され、好評をいただいた童話作家、柏葉幸子さんのオンライン講演会「図書館と私」の動画を「新花巻図書館ーまるごと市民会議」のフェイスブックにアップしました。どうぞ、ご覧ください。