号外―ルポ「としょかんワ−クショップ」その1…“イ−ハト−ブ図書館戦争”:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
号外―ルポ「としょかんワ−クショップ」その1…“イ−ハト−ブ図書館戦争”
2020.08.23:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,360件
限定公開 0件 合計 3,360件 ■アクセス数
今日 1,002件
昨日 2,857件 合計 18,122,162件 |
「新花巻図書館」構想への意見集約をするための「としょかんワ−クショップ」(一般編)が23日から始まった。この日は私を含めた一般公募枠の12人のほか、地域婦人団体協議会や母親連絡会、PTA連合会、商工会議所、青年会議所、ボランティア団体の関係者など22人が出席。花巻、東和両図書館を見学した後、図書館アドバイザ−の早川光彦・富士大学経済学部教授(図書館学)の「図書館って、どんな場所?」と題する基調講演を聴いた。今月に入ってからは市議会の「新花巻図書館整備特別委員会」による市民との意見交換会も相次いで開かれ、「集合住宅付き図書館」という当局案の是非をめぐる“イ−ハト−ブ図書館戦争”の論戦の火ぶたが切って落とされた。
早川教授は講演の中で、自らが副館長を務めた経験がある福島県の南相馬市立図書館の事例などを取り上げ、「図書館が成り立つ要素は人と資料、建物の三つに加え、利用者こそが欠かせない要素である」とし、未来の図書館像を先取りしたような同図書館の姿を写真入りで紹介した。講演に耳を傾けながら、私は“カリスマ店長”の言葉をふと、思い出していた。ベストセラ−の発掘や先駆的なポップ広告で全国に名を馳せ、「新一関図書館整備計画」の委員を歴任した伊藤清彦さんは今年2月17日、急逝した。65歳の若さだった。原発の放射能禍に見舞われた図書館の復活について、伊藤さんはこんな言葉を残している。「(南相馬市立図書館では)一冊一冊の本が生きている。棚のジャンル融合などは見事と言うしかない」(『盛岡さわや―書店奮戦記』)
花巻図書館を見学していた時、新着図書の一冊が目に飛び込んできた。作家、李恢成(りかいせい)さんの近刊『地上生活者』である。「ホ−ムレスが歓迎され、コンピュ−タ−やインタ−ネットを使うことができ、(騒ぎを起こさない限りは)一日中いることが許される数少ない場所のひとつが公共図書館だ」―。最近、読んだばかりの『炎の中の図書館―110万冊を焼いた大火』(ス−ザン・オ−リアン著、羽田詩津子訳)の中にこんな一節がある。「地上生活者」という表現が「ホームレス」に重なったせいかもしれない。ペ−ジを繰ってまた、腰を抜かした。今度は「パラダイム・システム」という文字が…。コロナ禍のいま、「パラダイム・シフト」(価値観の大転換)という横文字が四六時中、頭の中を駆けめぐっている。
単なる目の錯誤に過ぎないのだが、偶然にしては余りの符合に“天啓”(てんけい)とはこのことではないかという思いにとらわれた。早川教授は講演の最後にジョージ・ワシントンの一般教書演説(1790年1月8日)の一部を引用した。「知識はすべての国において、国民の幸せのもっとも確かな基盤である」。まったく同感である。「イ−ハト−ブの図書館もこんな風であって欲しいなあ」―。早川教授の話を聴きながら、よだれが出そうになった。なお、ワ−クショップは今後、9月13日と同27日、10月11日と同25日の計4回開かれる。
それにしても、処女作の『またふたたびの道』を読んだ程度の記憶しかない私の前に、どうしてまた李さんはふたたび、忽然と姿を現わしたのだろうか…….「書物の方がシグナルを送ってくる、そんな不思議な空間が図書館だと思う」―。フランス文学者で思想家の内田樹さん(69)がどこかでそんなことを語っていた。これなんだろうか。
(写真は図書館司書から説明を受ける参加者たち=8月23日午後、花巻市東和町の東和図書館で)
《追記》〜ブログ号外について
7月12日付当ブログで閉鎖のお知らせをしましたが、今回の図書館問題など市民に関わる事案が相次ぐような状況になったため、今後も「号外」の形でその都度、経過などを報告したいと思います。よろしくお願いします。