「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則
2020.04.27:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「共生への道」というサブタイトルに引かれ、『感染症と文明』(岩波新書)を取り寄せた。著者は長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎さん。ペ−ジをめくる前にまず、あとがきの記述に目を奪われた。本書の初版発行日は東日本大震災の約3ケ月後の2011年6月21日。「3・11」のその日、山本さんは本書の編集担当者との打ち合わせを終え、東京・神田の古本屋に立ち寄った。足元が大きく揺れて書棚から本が音を立てて崩れ落ちた。世界各地で感染症の現場に立ち続けてきた山本さんは震災直後から被災地に入った。ある晴れた日、地震と津波が残した残骸の上にはあくまでも青い空が広がり、目の前の海には渡り鳥が羽を休めていた。
「心地よくない妥協の産物だとしても、共生なくして、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。その上で、人類社会の未来を構想したいと、その時海を眺めながら改めて思った」(あとがき)―。まるで現下のコロナ禍を予知するような洞察力と想像力、そして軸足のぶれない思考に思わず、居ずまいを正した。「文明は感染症の『ゆりかご』であった」というテ−マに引き込まれながら、読み進むうちに「パンデミックこそが想像と創造のゆりかごではないか」という思いを強くした。山本さんはさりげない形でこんなエピソ−ドを紹介している。
「この時期(17世紀ロンドンのペスト)、ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒(お)えたばかりの一人の青年がいた。ペストの流行によって、青年の通っていた大学も何度かの休校を繰り返した。休校中、大学を離れて故郷の街ウ−ルスソ−プに帰った青年は、ぼんやりと日を過ごすうちに微積分法や万有引力の基礎的概念を発見した。青年の名前はアイザック・ニュ−トンといった」―。のちに、この期間は「創造的休暇」とか「已むを得ざる休暇」とか呼ばれたという。ニュートンが「リンゴが木から落ちる」瞬間を目撃したのは、ペスト禍による休校がもたらした”偶然”だったというのである。
コロナ禍の中でいま、世界中が同じような休暇を余儀なくされている。“巣ごもり”生活のノウハウが垂れ流されるそんなある日、「ホットケ−キにのって空をとぶ」と題した8歳の少女の新聞投書が目にとまった。「新がたコロナウイルスのせいで学校がお休みです。そこでわたしは、新しいあそびを考えました。頭の中でお話を作ることです。この間は『やかまし村』シリ−ズのリ−サ−になりました。ホットケ−キにのってスウェ−デンの空をとんでみました。ただ一つざんねんなのは、このあそびをしていると、家ぞくには私がぼ−っとしているように見えることです。この前も楽しくあそんでいたのにお母さんに『ぐあいでもわるいの?』と言われてしまいました」(4月26日付「朝日新聞」要旨)―。私は嬉しくなって、膝を打った。これこそが「創造的休暇」ではないか―
「人類は、自らの健康や病気に大きな影響を与える環境を、自らの手で改変する能力を手に入れた。それは開けるべきでない『パンドラの箱』だったのだろうか。多くの災厄が詰まっていたパンドラの箱には、最後に『エルピス』と書かれた一欠片(ひとかけら)が残されていたという。古代ギリシャ語でエルピスは『期待』とも『希望』とも訳される。パンドラの箱を巡る解釈は二つある。パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残されたとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説である。パンドラの箱の物語は多分に寓意的であるが、暗示的でもある」―
山本さんが10年前に記したこの呪文のような世界を私たちはいま、生きているのかもしれない。中世のペスト禍がルネサンスのゆりかごであったという逆説のように、そして、未来に向かって生きる少女に対して夢の物語を紡ぐよう促しているように、私自身も「コロナ」という来訪神の前でのたうち回るしかない今日この頃である。齢(よわい)80歳にして、このパンデミックに遭遇したのは果たして幸だったのか、そうではなかったのか……
(写真はペストの脅威を描いた16世紀の絵画。ペストに模された骸骨が鎌を手に人間の命を刈り取っている光景=インタ−ネット上に公開の資料から)