ユヴァル・ハラリからのメッセ−ジ…その2:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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ユヴァル・ハラリからのメッセ−ジ…その2
2020.04.16:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「新型コロナウイルス後の世界―この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」―(原題:the world after coronavirus―This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)」(3月20日付「英フィナンシャルタイムス紙」より=要旨というより、剽窃(ひょうせつ)まがいの私的メモランダム)
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●人類は今、グロ−バルな危機に直面している。それはことによると、私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。私たちは迅速かつ決然と振る舞わなければならない。だが、自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ。さまざまな選択肢を検討するときには、眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすことになるかについても、自問する必要がある。
●この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグロ−バルな団結か、というものだ。
●感染症の流行を食い止めるためには、各国の全国民が特定の指針に従わなくてはならない。これを達成する主な方法は2つある。1つは、政府が国民を監視し、規則に違反する者を罰するという方法だ。今日、人類の歴史上初めて、テクノロジ−を使ってあらゆる人を常時監視することが可能になった。今や各国政府は、生身のスパイの代わりに、至る所に設置されたセンサ−と、高性能のアルゴリズム(算定式)に頼ることができる。
●油断していると、今回の感染症の大流行は監視の歴史における重大な分岐点となるかもしれない。一般大衆監視ツ−ルの使用をこれまで拒んできた国々でも、そのようなツ−ルの使用が常態化しかねないからだけではなく、こちらのほうがなお重要だが、それが「体外」監視から「皮下」監視への劇的な移行を意味しているからだ。新型コロナウイルスの場合には、関心の対象が変わる。今や政府は、あなたの指の温度や、皮下の血圧を知りたがっているのだ。
●ぜひとも思い出してもらいたいのだが、怒りや喜び、退屈、愛などは、発熱や咳とまったく同じで、生物学的な現象だ。だから、咳を識別するのと同じ技術を使って、笑いも識別できるだろう。企業や政府が揃って生体情報を収集し始めたら、私たちよりもはるかに的確に私たちを知ることができ、そのときには、私たちの感情を予測することだけではなく、その感情を操作し、製品であれ政治家であれ、何でも好きなものを売り込むことも可能になる。
●たとえ新型コロナウイルスの感染数がゼロになっても、デ−タに飢えた政府のなかには、コロナウイルスの第2波が懸念されるとか、新種のエボラウイルスが中央アフリカで生まれつつあるとか、何かしら理由をつけて、生体情報の監視体制を継続する必要があると主張するものが出てきかねない。近年、私たちのプライバシ−をめぐって激しい戦いが繰り広げられている。新型コロナウイルス危機は、この戦いの転機になるかもしれない。人はプライバシ−と健康のどちらを選ぶかと言われたなら、たいてい健康を選ぶからだ。
●だが、プライバシ−と健康のどちらを選ぶかを問うことが、じつは問題の根源になっている。なぜなら、選択の設定を誤っているからだ。私たちは、プライバシ−と健康の両方を享受できるし、また、享受できてしかるべきなのだ。全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。
●今は平時ではない。危機に際しては、人の心はたちまち変化しうる。兄弟姉妹と長年、激しく言い争っていても、いざという時には、人知れずまだ残っていた信頼や親近感が蘇り、互いのもとに駆けつけて助け合うこともありうる。監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている。
●このように、新型コロナウイルス感染症の大流行は、公民権の一大試金石なのだ。これからの日々に、私たちの一人ひとりが、根も葉もない陰謀論や利己的な政治家ではなく、科学的デ−タや医療の専門家を信じるという選択をするべきだ。もし私たちが正しい選択をしそこなえば、自分たちの最も貴重な自由を放棄する羽目になりかねない―自らの健康を守るためには、そうするしかないとばかり思い込んで。
●私たちが直面する第2の重要な選択は、ナショナリズムに基づく孤立と、グロ−バルな団結との間のものだ。感染症の大流行自体も、そこから生じる経済危機も、ともにグロ−バルな問題だ。そしてそれは、グロ−バルな協力によってしか、効果的に解決しえない。
●戦時中に国家が基幹産業を国有化するのとちょうど同じように、新型コロナウイルスに対する人類の戦争では、不可欠の生産ラインを「人道化」する必要があるだろう。新型コロナウイルスによる感染例が少ない豊かな国は、感染者が多発している貧しい国に、貴重な機器や物資を進んで送るべきだ。やがて自国が助けを必要とすることがあったなら、他の国々が救いの手を差し伸べてくれると信じて。
●人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、グロ−バルな団結の道を選ぶのか?もし不和を選んだら、今回の危機が長引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くことになるだろう。逆に、もしグロ−バルな団結を選べば、それは新型コロナウイルスに対する勝利となるだけではなく、21世紀に人類を襲いかねない、未来のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。
(写真は2千万部を超える世界的なベストセラ−になった代表作=インタ−ネット上に公開の写真から)