神話崩しの時代…偉人伝説のいま:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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神話崩しの時代…偉人伝説のいま
2019.11.22:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「隠された風景を見る/消された声を聞く」―。こんなキャッチコピ−にひかれて、『北海道大学 もうひとつのキャンパスマップ』(北大ACMプロジェクト編)なる本を入手した。当市花巻と北大とは切っても切れない縁がある。たとえば、北海道帝国大学(当時)の初代総長に就任した佐藤昌介(1856−1939)は当市に生を受けた。また、第6代学長の座についた島善鄰(しまよしちか=1889−1964)は父の実家の当市で幼少期を過ごし、のちに“リンゴ博士”として名をはせた。さらに、『武士道』で知られる当市ゆかりの新渡戸稲造(1862−1955)も佐藤とほぼ同時代を生き、北大の前身である札幌農学校で教鞭をとっている。
「北大の植民地主義を考える」という章の中に佐藤と新渡戸が登場する。札幌農学校1期生の佐藤はのちに近代日本における「植民学」の基礎を築くことになる。ニュ−ジ−ランドの先住民族・マオリやネイティブアメリカン(インディアン)の統治に学びながら、佐藤は北海道開拓のありようを展望する。同書はこう指摘している。「佐藤の議論は、『植民地』である北海道に『資本』と『人(植民)』を投入することによって、発展段階を一足飛びに『進化』させることを目標とした」―。郷土の偉人伝説として語り継がれてきた「北大の父」が一方で、先住民族であるアイヌの「同化」政策の先駆けを果たしたことは地元ではほとんど知られていない。
「われ、太平洋のかけはしにならん」と宣言し、国際連盟事務次長を務めた新渡戸は一般的には「平和・人道主義者」として認識されている。しかし実は佐藤と同様、植民学の系譜に属することに言及する論述はほとんど見られない。新渡戸は1906年に朝鮮を訪問した際、「枯死国朝鮮」と題する論文を残している。同書はその闇に踏み込んでこう喝破する。「新渡戸は朝鮮を『枯死国』と称し、自力で民族を発展させることができず、日本の『世話』がなければ『消滅する運命』、『亡国』に至るしかないものと認識している」―。朝鮮の植民地支配と現在に至る朝鮮蔑視の源流は、新渡戸のこの言にさかのぼることができるのかもしれない。
郷土・花巻の偉人伝説(神話)の頂点に君臨するのは言うまでもなく「宮沢賢治」である。神話にはいつの時代でもタブ−(禁忌)がつきものである。つまり、それに異議を唱える側を排除しようという作用である。逆に言えば、その種の神話は誰かにとって必要であるからこそ、維持されるものでもある。「人間になった筈(はず)だがまた神に」という川柳が新聞に載っていた(11月16日「朝日新聞」)。大嘗祭(だいじょうさい)を皮肉った内容だったが、「天皇の政治利用」という意味ではその神格化ほど時の権力にとって、都合の良いものはなかろう。
こんなことをつらつら考えていたら、唐突に賢治の「利権」という言葉が脳裏に浮かび上がった。賢治を「聖人君子」に祭り上げることによって、その恩恵に浴しようという風潮が最近ますます、勢いを増してきたような感じがする。花巻在住の在野の賢治研究者である鈴木守さんは『本統の賢治と本当の露』と題する著作で、こうした賢治“神話”(聖者伝説)の虚構に向き合い続けてきた稀有(けう)な人である。そのブログ「みちのくの山野草」(11月18日付)の記述に目を引かれた。私宅の近くにある「雨ニモマケズ」詩碑の写真が添えられ、こう書かれていた。
「賢治さんが生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露さんです。ところがどういうわけか〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているというのが実態です。そこでこのことについて、主に『仮説検証型研究』という手法に依って再検証をしてみましたところ、それは単なる虚構であり、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを検証できました。よって、このことは重大な人権問題ですから、ここに報告します」―。神話に身を寄せる側にとっては、“不都合”な真実である
詩碑の向こうから、賢治の声が聞こえたという。「そうなんです、露さんからはオルガンや讃美歌を教わったりしたことを始めとしていろいろと大変お世話になったというのに、露さんがとんでもない〈悪女〉にされているという実態を知り心を痛めています。これではまるで『恩を仇で返した』ということになり、残念でなりません。ですから、鈴木さんの論文が採用され、そのことによって、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを広く知ってもらえることを祈っておりますよ」―。鈴木さんのこうした地道な研究を黙殺し続けてきたのが、賢治精神の継承を標榜する他ならぬ「宮沢賢治学会」だった。
そういえば、こんなことがあった。「被災地に住む者として、少しでも賢治精神を実践しようではないか」―。3年ほど前、鈴木さんら地元の賢治愛好家らが中心になって、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた大槌町を支援しようと「募金運動」を立ち上げた。ところが、学会側(富山英俊代表理事=当時)の全面支援が得られると思いきや、逆にイチャモンをつけられるという前代未聞の事態が発生した。その時の代表理事当人が今年の宮沢賢治賞(奨励賞)に選ばれるという“椿事”(ちんじ)まで起きている。何かが倒錯している。賢治(の”利権”)を食い物にしていると言うほうが端的でわかりやすい。
足元の「偉人」列伝をざっと見ただけでも、偉人は永遠に偉人でなければならないという、ある種の「法則性」が浮かび上がってくる。そして、その偉人をさらに偉人たらしめていくためには、異端者を排除し続けなければならないという悪循環を繰り返すしかないのだろう。これをひと言で言ってしまえば「差別」ということである。私たちはいま、こんな息苦しい「神話の時代」を生きているのかもしれない。「オレの本当の姿を見てほしい」という賢治の声が私の耳にも聞こえてくる。“聖者”扱いされることに一番、辟易(へきえき)しているのは当の賢治であるはずである―
(写真は北大構内に立つ佐藤昌介の胸像=インタ−ネットに公開の写真から)