“歴史修正主義”という妖怪が…:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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“歴史修正主義”という妖怪が…


 

 「何度もくりかえされる『解決済み』のことば。胸が苦しくなる。目にうかぶのは、炭鉱で亡くなった朝鮮出身の人々。私はそんな人たちの家族に囲まれて育った。いまだ日本各地には祖国にもどれないままの遺骨がある。名前のない骨は語りかける。植民地支配さえなければ、日本に来ることはなかったと」―。在日韓国人のピアニスト、崔善愛(チェ・ソンエ)さんは『週刊金曜日』10月11号にこんな一文を寄せている。私にとっても頭の奥底に刻印された既視感のある光景である。時は半世紀近くも前、日本有数の産炭地だった九州の「筑豊」を守備範囲に持つ新米記者だった当時にさかのぼる。

 

 朽ち果てた骨箱からこぼれ落ちそうな頭骨の破片、まだ頭髪がこびりついたままの骨も…。点在する寺の本堂の裏手にはホコリにまみれた骨箱がうずたかく積まれていた。「炭鉱で事故死したり、過酷な労働で生き倒れた朝鮮の人たちの亡骸(なきがら)です。引き取り手もなく、出身地さえ不明の骨も多くあります」と当時、取材に応じた住職は言葉少なに言った。筑豊一帯の約300寺を対象に“放置”遺骨のアンケ−ト調査をした。“浮かばれない霊”があちこちの寺に放置されたままになっていることが明らかになった。この歴史を追って、何度か朝鮮半島まで取材の足を延ばした。私が「朝鮮人」問題にかかわるようになった原点こそが、当時の薄暗い寺の片隅のこの光景である。

 

 「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」―。1910(明治43)年8月29日に「韓国併合詔書」が公布され、朝鮮半島は日本の植民地下に置かれた(日韓併合)。岩手が生んだ歌人、石川啄木はその直後の9月9日、そのことを痛烈に批判する気持ちをこの一首に託した。あれから一世紀以上を経たいま、日本列島全体にヘイトスピ−チ顔負けの「韓国(朝鮮)」バッシングが吹き荒れている。その直接のきっかけは韓国大法院(日本の最高裁判所に当たる)が昨年秋、強制連行(徴用)された元韓国人徴用工に対して、当時の雇用主である日本企業に賠償を命じた判決だった。日韓請求権協定(1965年)で「解決済み」と主張する日本政府にマスメデイアも同調するかのような大合唱が列島をおおい尽くした。

 

 「台風も日本のせいと言いそな韓」―。相次ぐ台風被害に見舞われた8月27日付の毎日新聞「万能川柳」欄で、この一句が選者のコピ−ライタ−、仲畑貴志さんによって「秀逸」に選ばれた。「嫌韓(けんかん)」をあおるのではないかという批判に対し、同紙は翌28日付で「嫌韓をあおる意図はなかったが、(そう)受け止められた方がいらっしゃったという事実については、真摯に受け止めております」という文章を掲載した。「これではまるで、失言閣僚に対する政府の弁解と同じではないか」などとウェブ上は逆に炎上した。啄木の悲痛とこの川柳の浅はかさとを比べながら、私はあるおぞましい光景を思い出していた。

 

 あの筑豊時代のある日、閉山に伴って炭鉱マンが住む「炭住」(長屋)が取り壊されることになった。重機が崩していく漆喰(しっくい)壁の中から、人骨がにゅっと飛び出していた。思わず、後ずさりした。「父親は農作業中に日本軍のトラックに無理やり乗せられて、日本に連れて行かれた。生きたのか死んだのか、その後の消息はわからない」―。私の脳裏にはその時、現地取材で得た苦悩の証言が走馬灯のように去来したのだった。このヤマは朝鮮人や中国人などを酷使し、“圧政ヤマ”として有名だった麻生財閥が経営していた。いうまでもなく、麻生太郎・副総理兼財務大臣の系列を引くヤマである。

 

 共産党宣言序文(「一匹の妖怪がヨ−ロッパを徘徊している―共産主義という妖怪が」)――のひそみにならえば、「一匹の妖怪が世界中を徘徊している―歴史修正主義という妖怪が…」とでもなろうか。写真に掲げた二冊の本に最近、目を通した。『独ソ戦―絶滅戦争の惨禍』(大木毅著)は「戦場ではない。地獄だ」という推薦文に引かれて、購入した。人類史上最大の惨戦とも呼ばれるこの戦争についても「ネオナチ」(反ユダヤ主義などの人種差別)などの歴史修正主義が勢いを増しつつある。『朝鮮人強制連行』(外村大著)は「強制性はなかった」とする世論操作に対し、膨大な資料を基にその「ウソ」を暴く力作である。その一節にこんな文章がある。

 

 「朝鮮人強制連行は、朝鮮民族にとっては、たとえ自分自身が被害の当事者とならなかったとしても“他人事”ではなかった。植民地末期に青年期にあった在日朝鮮人の歴史家である朴慶植(1922―1998年)は、幼くして両親に連れられて渡日し、強制的に動員された経験はなかったが、厳しい労働を強いられ遺骨すら放置されている被動員者や離散状態に陥っている家族の境遇を同じ被圧迫民族としての苦しみをとして捉えて、朝鮮人強制連行の研究を行った」―。実は“加害”の側に身を置く私自身が、放置された遺骨の実態を知ったのは朴さんのこの本によってである。そして、ピアニストである崔さんの受難はいまさらに重くのしかかりつつある。

 

 自然災害さえも他国のせいにしようとする精神の「退廃」から私たち日本人は一体いつになったら、脱することができるのであろうか……

 

 

(写真は歴史修正主義に鋭く対峙する二冊の力作)

 

 

 

 


2019.10.14:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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