地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
地図から消される街…そして、サンゴ礁の海では


 

 「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが激減した」と著者の女性記者(朝日新聞)、青木美希さんは自著『地図から消される街―3.11後の「言ってはいけない真実」』のはじめにの中にこう書き、エピロ−グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。…あとには何もないまち。名前をなくすまち」―。福島第一原発事故の「その後」を地べたを這いまわるようにして取材してきた「言ってはいけない真実」の告発書である。

 

 「『すまん』原発事故のため見捨てた命」(序章)、「声を上げられない東電現地採用者」(第1章)、「なぜ捨てるのか、除染の欺瞞」(第2章)、「帰還政策は国防のため」(第3章)、「官僚たちの告白」(第4章)、「『原発いじめ』の真相」(第5章)、「捨てられた避難者たち」第6章)…。たとえば、帰還率「4・3%」の実態や全国各地をさ迷う数万人単位の避難者、母子避難者の自死―など、人や街そのものが「消されていく」過程が生々しく語られている。私にも既視感がある。

 

 石炭から石油、そして原発へ―。いわゆる「エネルギ−革命」は「スクラップ・アンド・ビルド」政策とも呼ばれ、ある地域社会をそっくり、葬り去ることよって可能になった。そのひとつ―「筑豊」は九州北部の日本最大の産炭地の代名詞だった。写真家、土門拳の『筑豊のこどもたち』(昭和35年)は底辺の子どもたちの、貧困の中にありながらも明るさを絶やさない表情をとらえた代表作である。駆け出しの記者だったころ、閉山炭住の一角である「いじめ」を取材したことがある。セ−ラ−服を身に着けないで登校したことが原因だった。夫が炭鉱を追われ、無一文になった母親がこの制服を質に入れていたことが後でわかった。「筑豊」からはもうとっくに炭鉱は姿を消し、その名を知る人も少ない。

 

 「この中には漁師の声がいっぱい詰まっている。おまえにはペンがあるだろうが…」―。記者として千葉に赴任した時、私はある漁協組合長から膨大な資料を託された。綴りは全部で二十数冊。感圧紙を使って書かれた、ゴツゴツした字面は海が奪われていった軌跡を克明に記録していた。14年前、この時の資料をもとに『東京湾が死んだ日―ルポ/京葉臨海コンビナート開発史』と題した単行本にまとめた。「村で何が起こったか」(第1章)、「追いつめられる漁師たち」(第2章)、「狂騒の浜」(第3章)、「埋め立てその後」(第4章)、「世紀末の光景」(第5章)…。章立ての骨格が青木さんの著書と余りにも似ていることに驚いた。私はこの本のプロロ−グに「不可視の領域」というタイトルでこう書いた。

 

 「ふと、思った。炭鉱であろうと、(石油)コンビナ−トであろうと、その空間を支配するものにとっては、無法と悪意が保障された自由の空間―それが『不可視』の領域ではないのか。高度経済成長はこうした『不可視』の領域を増殖させることによって、初めて可能になったのだと思う、そして、それを促してきたのは、私たちの側の記憶の風化あるいは喪失といったものである。私たち日本人は『忘却』こそが『進歩』だという錯誤を繰り返してきたように思う。いや、『忘却』こそが『進歩』を可能にするという錯誤といった方がいいかもしれない」―。この領域にいまさらに、原発被災地を加えなければならない。

 

 福島県南相馬市のJR常磐線原ノ町駅近くの真宗大谷派原町別院に安置されている4人分の遺骨について、青木さんは『地図から消される街』の中にこう記している。「引き取り手がない、九州などから出稼ぎに来た除染作業員たちのものだ。除染作業は、放射性物質に汚染された草を刈ったり、表土を取り除いて袋に入れて運んだりするのが主だ。悪質な業者も多く、除染手当の不払いも横行していた。被爆を防ぐマスクがない。ほとんどの作業員が泣き寝入りした」―。ゼネコンが除染作業を仕切り、政府は「除染―復興」を口実に帰還を促し、その最前線では非業の死が積み重なっていく。そして、五輪音頭のラッパの最前線にはマスメディアが勢ぞろいしている。

 

 作家、山本周五郎の代表作『青べか物語』の中に「鱸(すずき)拾い」という話がある。「鱸という魚は相当ぬけたところがあるそうで、汐(しお)の退(ひ)くときに汐が退くことをど忘れして、気がついてみると干潟の中の汐溜りに残されていまい、そこから遁(のが)れ出ようとしていたずらに『あばける』のだという。それを見つけて捕るのだから、字義通り『拾う』のであって、私もしばしば、鮭くらいの大きさの鱸を、肩にひっかけて帰る労務者を見かけたことがあった」―。かつて「沖の百万坪」と呼ばれた魚介類の宝庫だったこの海の上にはいま、東京ディズニ−ランドが鎮座し、周五郎の世界はその足下に没している。

 

 決して消すことができないのは「消された地図」の背後から聞こえてくる呪詛(じゅそ)のような声たちである。青木さんは今日もその声を拾い集めている。そして、私の脳裏にはアメリカ直輸入の巨大レジャ−ランドのたたずまいが、沖縄の「辺野古」新基地建設の暴力的な現場と重なりながら去来する(2018年12月14日付当ブログ「日本一の無法地帯…辺野古から」参照)。「沖の百万坪」がそうであったように、サンゴ礁の海も日々土砂の下に消えていく。「パクス・アメリカーナ」(米国の覇権=つまりは日本の属国化)が足元から忍び寄ってくる。それを後押ししているのはここでも青木さんが指摘する、多くの国民の「無関心」である。

 

 

 

(写真はゴ−ストタウンと化した被災地。無人の通りを野放しの家畜がわがもの顔に歩き回る=福島県浪江町で。インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 


2019.02.02:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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