「征伐」から「処分」、そして「保護」へ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「征伐」から「処分」、そして「保護」へ
2018.12.21:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「名誉と尊厳を保持して、次世代に継承することは多様な価値観が共生し、活力ある社会を実現するために非常に重要」(12月19日)―。こう発言した同じ人物がわずか5日前には「辺野古移設が唯一の解決策。(沖縄の民意無視という指摘は)まったくあたらない」と述べている。前者はアイヌ民族を支援するための立法化、後者は米軍普天間飛行場の辺野古移設(新基地建設)をめぐり、土砂投入を強行した際の発言である。「ジキルとハイド」、いや古代ロ−マの「双面神」(ヤヌス)も顔負けのこの人物こそが影の総理ともささやかれる菅義偉官房長官である。二つの顔を使い分けることによって、この国の中央集権化(ヤマト化)は推し進められてきた。それは次のような三段階を経て、現在に至っている。
【第1期】〜征伐期
古代東北において、朝廷が蝦夷(えぞ=現在の東北地方)に対して行った征討。774年から811年まで続いた戦いは「38年戦争」とも呼ばれ、現在の中央集権化の基礎を築いた。「蝦夷征伐」とも。
【第2期】〜処分期
明治政府は1872(明治5)年、琉球国を廃して琉球藩とし,中央政府の管轄とした。 1875年には中国との関係を廃絶することを要求するなど政府の処分の方針を伝え、79年3月、琉球藩を廃して沖縄県を設置する旨を通告した。ここに琉球王国は約500年にわたる歴史を閉じた。
【第3期】〜保護期
1899(明治32)年、アイヌ民族の同化政策を進める「北海道旧土人保護法」が制定された。「保護」の美名に隠れたこの法律は1997年に「アイヌ文化振興法」が制定されるまで100年近く続いた。
「征伐」→「処分」→「保護」…。巧妙に装いを変えながら、その根っこに貫徹するのはヤマトの揺るぎない「支配原理」である。「そう、この列島の北と南からヤマト(本土=内地→中央)の支配原理をあばき出す。その原点の戦いがいま、始まったのさ」(12月11日付当ブログ「沖縄―弔いの旅路」参照)―。旧知の沖縄・読谷村在住の彫刻家、金城実さん(79)の絞り出すような言葉がまだ、耳の底に響いている。
京都大学(旧帝大)の人類学者らが1929年、今帰仁村(なきじんそん)の百按司(むむじゃな)墓から持ち出した遺骨の返還を求めて、「琉球民族遺骨返還研究会」(松島泰勝代表)は今月4日、京都地裁に提訴した。原告のひとりに金城さんも名前を連ねている。これに先立つこと6年前の2012年9月、北海道浦河町のコタン出身の小川隆吉さんら遺族3人が北海道大学を相手に、遺骨の返還と1人当たり300万円の慰謝料支払いを求める裁判を札幌地裁に起こした。2年前に大学側と和解が成立、12体分の遺骨が墳墓の地に再埋葬された。このほかにも全国12大学に1636体と、特定できない515箱分のアイヌの遺骨が収蔵されていることが判明している。金城さんが「この列島の北と南から…」と言ったのはそのことを指している。
『武士道』の著作で知られ、国際連盟事務次長を務めた「新渡戸稲造」(1862−1933年)は、蝦夷征伐の拠点のひとつである岩手県の出身である。「願はくは/われ太平洋の/橋とならん」というメッセージや五千円札の肖像画など明(めい)の部分に光が当てられることが多いが、実は北海道大学の前身である札幌農学校時代に「殖(植)民学」を講義していたことは余り知られていない。こんな記述を残している。「北海道の殖民が大した困難を伴わなかったのは、原住民のアイヌ民族が、憶病で消滅に頻(ママ、「瀕=ひん」の間違いか)した民族だったからである」(『新渡戸稲造全集』第2巻)。北大名誉教授の井上勝生さんは自書『明治日本の植民地支配―北海道から朝鮮へ』の中でこう指摘する。
「この頃(1895年)の形質人類学では、欧米の影響を受けて、文明発展史や民族の優劣と関連させて、頭骨の形の解剖学的比較研究が、最新の学問として流行していた。…新渡戸は、頭骨の比較研究に知識と強い関心を持っていた」―。金城さんの言葉の歴史的な意味が輪郭を伴って、せりあがってくる思いがする。「征伐・処分・保護」という支配原理を同一線上で同時に思考しなくてはならない。戦後日本の「知性」はそうした営為を怠ってきたのではないか。
沖縄はもうすでにして、現代版「征伐」の段階に入っていると言わざるを得ない。そして、それに加担しているのが最初の征伐の対象だった、この蝦夷の地の民だったとしたら…。被差別者が差別者に容易に変身する「被支配原理」もまた、歴史が教えるところである。
(写真は土砂の強行投入に抗議する人たちに連帯を誓う玉城デニ−・沖縄県知事=12月15日午前、沖縄県名護市の米軍キャンプ・シュワブ前で。インタ−ネット上に公開の写真から)
《追記—1》―アメとムチ
【東京】政府が2019年度の沖縄関係予算案に、沖縄振興一括交付金の補完を名目にした「沖縄振興特定事業推進費」を盛り込むことが20日、分かった。事業費は30億円。関係者によると、県が市町村への配分額を決める一括交付金と異なり、県を通さない新たな交付金として、国が市町村へ直接費用を充てられるという。市町村事業への予算配分で国の直接関与を強め、沖縄県の自主性を弱める懸念も含み、今後議論になりそうだ。
同推進費は予算案で新たに盛り込まれた。新設の目的として、市町村の事業に迅速・柔軟に対応して推進するとしている。政府は19年度沖縄関係予算案を3010億円とする方針を固めている。総額では18年度当初予算と同額となるが、このうち一括交付金は前年度比95億円減の1093億円と縮減され、12年度の制度創設以降、最も低い額となる。(12月21日付「琉球新報」)
《追記―2》〜民意はお構いなし
沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向け、沖縄防衛局は20日、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部で埋め立て土砂の投入を続けた。着手から21日で1週間。県民や国民の批判をよそに、作業を加速させている。20日は名護市安和の琉球セメントの桟橋にダンプ498台で土砂を、シュワブに車両261台で石材やセメントを、それぞれ搬入。2日連続で2カ所同時の作業となった。2カ所で県警が抗議の市民を規制した。土砂の運搬船は従来の4隻態勢から6隻態勢に増えた。順番に安和桟橋で土砂を積み込み、シュワブ沿岸の「K9」護岸に陸揚げした。その後、ダンプが辺野古崎近くの「N3」護岸に運び、埋め立て区域内に投入した。(12月21日付「沖縄タイムス」)
《追記―3》〜「征伐」の手法(芥川賞作家、目取真俊さんのブログ「海鳴りの浜から」=12月23日付)
目取真さんは2016年10月、大阪府警から派遣された機動隊員から「土人」発言を浴びせられた。連日のように埋め立て反対のカヌ−を漕ぎ出し、辺野古の海で何が起こっているかの詳細なレポ−トをブログにつづっている。そこにはむき出しの暴力の実態が克明に記されている。「日本一の無法地帯」の現場で一体、何が起きているのか。
※
22日(土)はカヌ−16艇で松田ぬ浜を出発した。抗議船2隻と合流し、午前中はK9護岸で陸揚げされる赤土混じりの岩ずり(土砂)の陸揚げ作業の様子を監視したあと、ランプウェイ台船が入れ替わるのに合わせてフロ−トを越え、抗議行動を展開した。埋め立て用に使用されている「岩ズリ」の赤土の含有量が問題となっている。下記のブログで詳しく検証されている。https://blog.goo.ne.jp/chuy/e/62f6664d09e564244df9daf72b66a525。K9護岸の近くで見ていると、ランプウェイ台船に積まれている「岩ズリ」は、土が流れ落ちたのか表面は岩が多く見えるが、ショベルカ−で掘り崩すと大量の赤土が含まれているのが分かる。
22日は天気がよかったので、K9護岸をダンプカ−が往復するたびに、赤い土ぼこりが舞い上がっていた。沖縄防衛局は沖縄県の行政指導に従って、埋め立てに使用している土砂の投入を即座に中止し、県の立ち入り検査に応じるべきだ。安倍政権は新基地建設のために法も論理も倫理も踏みにじっている。安倍首相や管官房長官は、よく恥ずかしげもなく「法治国家」という言葉を使えるものだ。
抗議をしているさなかは自分もカヌ−を漕いでいるのでカメラを扱えない。拘束後にしか写真を撮れないのがもどかしいが、カヌ−メンバーは工事を止めるために、みな必死でカヌ−を漕ぎ、海保に拘束されたあとも抵抗を続けている。空になったランプウェイ台船が離岸して沖に移動したあと、次の土砂を積んだ台船がK9護岸に向かっていく。午前中でK9護岸の近くまで移動すると、午後1時頃から土砂の陸揚げ作業が再開された。
K9護岸での土砂陸揚げと並行して、朝早く大浦湾に入ってきたガット船から、空になったランプウェイ台船に土砂を移し替える作業が進められた。2隻のランプウェイ台船を交互に使い、1日にガット船3隻分の土砂を陸揚げし、埋め立て現場に投入するサイクルができてきている。このサイクルをどう遮断し、遅らせていくかを玉城知事まかせにしてはいけない。
沖縄県が行政権限を駆使して、工事を止めるために尽力するのは当然として、それをあれこれ評論するだけで、自分は各工事現場で行動しなければ、工事が止まるはずがない。辺野古のゲ−ト前、海上、安和の琉球セメント桟橋、高江のヘリパッド建設現場と抗議現場が増えることで、より多くの人手が必要となっている。 抗議行動を分散させるのは沖縄防衛局の狙いでもある。年末の忙しい時期だが、時間のやりくりをして各現場に駆けつけましょう。
午後は抗議船に乗って辺野古側の状況を見に行った。N3護岸では土砂を積んできたダンプカ−がやってきて、投入のために海の方に降りていく。ドロ−ンで空撮された映像を見ると、海の破壊が進んでいて胸が痛むが、それで諦めて目をそむけてしまえば、破壊は拡大する一方だ。残された海の生き物の命を救うのは、私たちの努力しかない。
K4護岸の上ではクレ−ン車やショベルカ−を使い、護岸の修復作業が進められていた。この護岸の高さはまだ半分でしかない。この高さまで土砂を入れて満杯にしても、さらにその倍までかさ上げしないといけないのだ。さらにその先には水深の深い大浦湾の工事がある。その大浦湾側の護岸工事を日本政府は2020年以降に先延ばししている。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-852512.html?fbclid=IwAR1BsISiNbfaVNjU-oJ2weDnYTaCXnXfxxwteZ6v2UPHBYkpWrnHlSrugLs
軟弱地盤の問題について目途も立たないまま、辺野古側での埋め立てを進めることは、莫大な予算の浪費でしかない。展望もないまま暴走し、ブレ−キも効かない安倍政権の「あおり工事」を許してはならない。これは「沖縄問題」ではなく、日本全体に打撃を与える「日本問題」なのだ。