現代版「新附の民」と歴史修正主義:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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現代版「新附の民」と歴史修正主義
2018.11.09:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「民族とは何か、国家とは何か、人間とは何か。魂に突き刺さる、骨太のエンタ−テイメント」―。久しぶりに私好みのキャッチコピ−に出会った。文芸評論家の斎藤美奈子さんが推奨する『凍てつく太陽』(葉真中顕著)である。この人の書評にはほとんど外れはない。さっそく、読んでみた。読み進むうちに、同書は形を変えて現代にまで続く「皇国臣民化」政策…差別の最前線をえぐり出す稀有のエンタメ小説ではないかと思った。
舞台は戦争末期の北海道・室蘭―。特高警察の前に現れた連続毒殺犯「スルク」(トリカブト)とは何者か。陸軍の軍事機密「カンナカムイ」(雷神)をめぐり、軍事工場の関係者が次々に毒殺されて行く。この中には朝鮮半島出身の朝鮮人も…。この片仮名語は言うまでもなくアイヌ語である。そして、事件を追う特高刑事はアイヌの血を引いている。「新附(しんぷ)の民」という呼び方がある。近代化に伴う富国強兵政策の中で、日本は台湾や朝鮮半島など植民地下の国民や沖縄の琉球人、北海道のアイヌ民族を「皇国臣民」の先兵に位置づけた。そして、日本の敗戦によって、その皇国臣民化の虚構が白日の下にさらされる。
アイヌの特高、日崎八尋は「オイ、土人」というさげすみの言葉を浴びながらも「皇国の繁栄がアイヌに幸福をもたらす」と信じてきた。志願して内地(当時)に渡ってきたヨンチュンも皇国臣民にあこがれる愛国心の持主だった。そのヨンチョンが言う。「案外、服みてえなもんかもしれねえよ、国だの民族だのってのは。裸で歩き回るわけにはいかないから、何か着ることは着る。その服が気に入ってんなら大事にすりゃいいさ。でもよ、俺たちは服に着られてるわけじゃねえし、服のために生きてるわけじゃねえ。いざとなったら、自分の都合に合わせて、適当に着たり脱いだりしたっていいんだ。まあ、要するにだな。関係ないってことさ」
斎藤さんは「冒険小説のテイストを保ちつつ『もうひとつの戦場』から日本の暗部が浮かび上がる」(11月3日付「朝日新聞」読書欄)と書いている。ふと、米軍基地の建設をめぐって無法状態が続く沖縄の光景が目の前に浮かんだ。「ボケ、土人」「シナ人」…。反対運動に立ち上がるウチナンチュ(琉球人)に向かって、こんな罵声が投げつけられたのはちょうど2年前のこと。現代版「新附の民」は姿を変え、いまに至るまで温存されている。そして、かつての「皇国臣民」たるヤマトンチュ(本土人)側も相変わらず、盟主気取りの強権支配をほしいままにしている。植民地支配という構図は70年以上たったいまも変わりはない。
身近な人を亡くしてもう「百ヶ日」(卒哭忌)が過ぎた。「泣き悲しむのを止めよ」という仏法の教えに悪態をついたりもしたが、このエンタメ小説を読んで頭をガツンと殴られた気がした。私にとっての特効薬は「時間」ではなく、やはり香辛料が効いたこの種の「読書」みたいである。さて、次は何にしようか?
(写真はエンタメを楽しみながら、歴史の暗部へと導かれる『凍てつく太陽』)
《追記》〜「慰安婦報道訴訟」で原告側が敗訴
元(朝鮮人)慰安婦の証言を伝える記事を「ねつ造」と断定され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆さんがジャ−ナリストの櫻井よしこさんや出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の判決で札幌地裁は9日、請求を棄却した。植村さんは控訴する方針。当ブログの文脈(「新附の民」)に立って分析すると、この判決の不当性がより浮き彫りになると思う。つまり、国だけでなく司法もまた「皇国臣民」史観(歴史修正主義)から脱却できていないということである。裁判所側は櫻井論文について「公益性がある」とまで断じ、修正主義にお墨付けを与えた。戦後裁判史上、過去に例を見ないほどの醜悪な判決である。