号外―ルポ「としょかんワ−クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な〜に?:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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号外―ルポ「としょかんワ−クショップ」その4…ソデ(?)にされたWS!、“市民参画”って、な〜に?
2020.10.11:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「図書館は民主主義の学校。今やっていること(ワ−クショップ=WS)はまさにそのもの。今度は皆さんから出されたアイデア(理念)を具体的に計画に落とし込んでいく段階。コロナ禍の時代、どういう図書館を実現し、維持していくのか。人との身体的な距離を保つという点では、従来の1・25倍の広さの図書館を視野に入れる必要がある。皆さんの期待に応えたい」―。市主催の「としょかんワ−クショップ」にアドバイザ−として参加している富士大学の早川光彦教授(図書館学)の時宜を得た適切な助言に意を強くしてきたが、10月1日発行の「広報はなまき」を見て、びっくりした。市民参画の対象から肝心なこのWSが外されているではないか。
広報によると、新花巻図書館整備基本計画に関する市民参画は、同基本計画素案が策定されることを前提として実施される―として「花巻市立図書館協議会での審議」(令和3年2月と4月の2回)、市民から広く意見を募る「パブリックコメント」(同年2月いっぱい)、「市民説明会」(同年2月から3月にかけて、市内4か所)の三つの方法で行われることになっている。他方、WSは7月25日の20代・高校生対象(計2回)を皮切りに始まり、現在は私など公募委員12人を含めた一般対象(8月23日から10月25日までの計5回)の部がこの日で4回まで終了した。あとは最終10月25日のテ−マ「レイアウト」(ハ−ド面)を残すだけになっている。
一方、まちづくりの“憲法”とも呼ばれる「花巻市まちづくり基本条例」(平成20年3月19日)は「市政への参画」について、こう規定している。「市の執行機関は、まちづくりに関する重要な計画の策定及び変更並びに条例等の制定改廃に当たっては、市民が自らの意思で参画できる方法を用いて、市民が意見表明する機会を保障する」(第12条)。また参画の方法としては「意向調査」、「パブリックコメント」、住民説明会や公聴会などの「意見交換会」、「ワ−クショップ」、「審議会その他の付属機関における委員の公募」(第13条)などを挙げている。さらに「市政への市民参画ガイドライン」(平成21年8月、市長答申)は、市民参画が必要な施策として具体的にこう記している。「公共の用(たとえば、体育館、運動公園、図書館)に供される重要な施設の建設計画の策定または変更」―
ところがである。今回の市民参画スケジュ−ルによると、基本計画の素案づくりはまるで“見切り発車”みたいに、WSの終了を待たないまま10月からスタ−トすることになっている。「先が決まっているから…」というのなら、手前勝手な言い分である。この点については、まちづくり基本条例で設置が義務付けられている「市民参画・協働推進委員会」(8月24日開催、佐藤良介委員長ら15人)でも複数の委員からこんな異論が相次いだ。「ワ−クショップを市民参画の方法の中に、図書館であるならば余計入れるべきだと思う」(会議録から)―
これに対して、市側の担当者は苦し紛れにこう答弁した。よ〜く、吟味して読んでいただきたい。まるで意味不明な文章である。これを称して、いま永田町界隈で流行(はや)っている“ご飯論法”というのであろう。つまりは質問に真正面から答えず、論点をずらして逃げるという論法である。スケジュ−ルによると、基本計画の策定・決定は来年4月中となっている。あと先が逆だから、こんな「ウソも方便」を口にせざるを得なくなろうというものである。
「確かに、市の市民参画ガイドラインの中では、ワ−クショップがひとつの手法として挙げられておりますので、市民参画の方法に入れるべきだということは、そのとおりだろうと思っております。しかしながら、図書館整備の基本計画をたてるために、まずは素案をつくらなければならないところ、まだ素案ができていないという状況にありますので、その素案ができた段階で、市民参画のガイドラインに則った市民参画を行おうと考えております。したがいまして、今、ワ−クショップをして意見を集約しながら、計画の素案をつくるという動きをしているところになります。ワ−クショップで出てきた意見すべてとはならないかと思いますが、十分に計画の中に入れ込んで、素案をつくっていきたいというものになります」(会議録から)
「新花巻図書館整備基本計画につきましては、素案ができてから市民参画ガイドラインに沿った市民参画を実施していきたいという計画で今回、お諮(はか)りしております。この手法については、市民参画ガイドラインにございますので、素案ができる前のワ−クショップを市民参画計画の中に盛り込んで行う場合も考えられますが、今回につきましては、先ほどご説明した(生涯学習部)担当課の考え方で、今回、お諮りしたところでございます」(同上)
「痛くもないハラ」を探られるのが不本意なら、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(米)は食べていない」(ご飯論法)などという詭弁(きべん)は止めた方がよろしい。一連の「としょかんワ−クショップ」には高校生から私みたいな老残の身まで世代を超えた顔ぶれが一堂に会している。それはそれは奇想天外かつ自由奔放な「図書館」論議が続けられており、アイデア満載。“箱もの”行政の見本みたいな「賃貸住宅付き図書館」(いわゆる“上田私案”)にはとても収まりそうにはない。ましてや早川教授がいみじくも指摘するように、強権的な「上田流」がコロナ禍のこの期(ご)に及んでもなお、通用するものなのかどうか。逆にだからこそ、かつてない規模のWSを目論(もくろ)み、安倍晋三前首相よろしく“やってる感”(既成事実化)を演出するしかないのであろう。口の悪い向きはこのテの手法を「アリバイづくり」などと揶揄(やゆ)する。
今回の一連の“図書館戦争”の発端になった、私が「幻(まぼろし)」と名づけるもうひとつの図書館構想がある。今年1月末、まるで青天の霹靂(へきれき)のように当局側から示された「新花巻図書館複合施設整備事業構想」(前記“上田私案”)である。どうしたわけか「最善の案」と位置付けるその構想は市のHPのどこを探しても見つからない。私はこの日、「WSの図書館論議には欠かせない重要な資料。最終回(10月25日)までに全員に事前配布してほしい」と要求、市川清志・生涯学習部長も渋々ながら了解した。さァ〜て、どうする!?“裸の王様”ぶりを遺憾なく発揮して、得意技の強行突破と来るのか。それとも……。「新花巻図書館」の行方からますます、目が離せなくなってきた。
(写真は世代を超えた市民が図書館の夢を語り合った。こんな大規模なWSは過去に例はない=10月11日、花巻市葛の市交流会館で)
《追記ー1》〜“ご飯論法”
「除外をしたのではない。今回、任命した方を任命させていただいた」、「結果として任命されない形で残った。残したのではない」―。日本学術会議の推薦候補者の“任命拒否”問題での加藤勝信・官房長官の発言(10月9日付「岩手日報」)。この論法の名手とも言われるご仁が国の広告塔の官房長官とはなにおかいわんや…。「イーハトーブ」の足元で、”ご飯論法”のまねごとをやりたいのなら、加藤御大のように堂々と木で鼻を括(くく)る覚悟を示してほしいものである。
《追記ー2》〜花巻城址(新興製作所跡地)に新図書館を!?
第4回WSで、私は新花巻図書館の立地場所として「花巻城址」(新興跡地)を候補地に挙げた。市の中心部に位置するこの場所は上田市政になってから譲渡問題が持ち上がったが、「利用目的が決まっていない」として、買取を拒否した経緯がある。その後、一帯は土地ころがしを業(ぎょう)とする不動産業者の手にわたり、今はがれきの荒野と化している。高台の「東公園」は桜の名所として知られ、花巻開町に尽くした先人の名前を刻した「鶴陰碑」や音楽堂などもあった。宮沢賢治の作品にも登場する由緒ある土地で、この地こそ「イーハートーブ図書館」の最適地だという思いである(意見交換の場での写真はコメント欄を参照)。なお、地元の賢治研究家、鈴木守さんは自身のブログ「みちのくの山野草」(2016年11月1日付)にかつての東公園の賑わいを伝えるある女性のエピソードを紹介している。
「桜の季節まるまる一カ月はお花見ですごく賑やかでした。坂を上って公園に入ってすぐの照井団子屋さんが大繁盛で、料理屋では御座敷や縁側で芸者さんのお相手でのんびり優雅にやっていました。大きな音楽堂があって、木造で床が高く、柱と屋根はありましたが後ろ以外の壁はなかったと思います。観客は前の草地に座って見たものです。あれが残っていれば音楽好きの今の若い人たちは喜ぶでしょうね」
《追記―3》〜東公園と賢治と啄木と
「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音風にまじり来(く)」―。宮沢賢治はこんな短歌を残している。この「城址」は東公園を指し、岩手県立大学名誉教授で、地理学者の米津文夫さんによると、石川啄木の有名な歌「不来方のお城の草に寝ころびて…」のオマ−ジュ作品ではないかという。
《追記―4》〜鶴陰碑と上田弥四郎
かつて、東公園にあった鶴陰碑は現在、市博物館に移設・展示されているが、この中に「上田弥四郎」(1768―1840年)という名前が刻まれている。説明文にはこうある。「花巻城の大改修工事(1809年=文化6年)の際に陣頭指揮をとり、『造作文士』とも呼ばれた。儒者としても知られる」。上田東一市長の先祖に当たる人物である。背丈ほどの雑草が生い茂る廃墟はまさに、芭蕉のあの句を思い出させる。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―。ご先祖の無念が思いやられる。