暖冬異変ならぬ、上田「異変」…新図書館の“怪”と如月の満月と:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
暖冬異変ならぬ、上田「異変」…新図書館の“怪”と如月の満月と
2020.02.06:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,361件
限定公開 0件 合計 3,361件 ■アクセス数
今日 2,901件
昨日 18,690件 合計 18,165,964件 |
公益財団法人「総合花巻病院」は医師不足や診療科目の縮小が解消されないまま、3月1日にオ−プンすることが正式に決まったが、今度はまさかと思っていた「本(理念)なし図書館」構想が明らかになった。人気(ひとけ&にんき)のない花巻中央広場や荒れ野と化した新興製作所跡地、旧料亭「まん福」の解体計画、かけ声倒れの中心市街地活性化…。そして、ついには「不動産」物件に姿を変えた“図書館”の出現である。上田(東一)ワンマン市政の無能ぶりを天下にさらすような今回の構想が公表されたのは1月29日。新年早々、「悪夢」が「正夢」になったという縁起でもない話である。ペテン、つまり詐欺まがいというのはこの種のことを言うのである。
宮沢賢治や萬鉄五郎など郷土を代表する先人を紹介しながら、「新図書館整備基本構想」(平成29年8月)にはその基本方針について、こう謳われている。「市民一人ひとりの生活や活動を支援することを基本的に考えながら、先人が育んできた『学びの精神』を受け継ぎ、図書館が次世代を担う子どもの読書活動を支援し、豊かな心を育てる施設として、また情報を地域や産業の創造に結びつける施設として、まちや市民に活力と未来をもたらす図書館を目指して…」―。ここには曲がりなりにも図書館のあるべき姿(理念)が示されているが、今回公表された「新花巻図書館複合施設整備事業構想」はそのねらいについて、冒頭にいきなりこう記す。
「本市は、将来を見越して効率的で利便性の高い暮らしやすい都市づくりに取り組んでいます。…駅前に賃貸住宅も併設する図書館複合施設を建設することは、市街地の人口密度を保ちつつ、市内の複数の拠点を公共交通でつなぐ『コンパクト・プラス・ネットワ−ク』構想の具体的な取り組みの一つです。複合施設の上層部に若者から高齢者まで対応できる様々なタイプの賃貸住宅を整備します。持続可能な街の都市形成に向けて、健康で快適な都市型生活環境を提供し、子育て世代など若年層にも魅力的なまちをつくります…」―。資料には建設予定地や整備手法、財源などの説明があるだけで、肝心の図書館の蔵書数やその種別、閲覧空間、書架の機能、司書の配置などのソフト面については一切、触れられていない。「主客転倒」―「本末転倒」とはこのことである。
「仏作って、魂入れず」―。とくに図書館のような文化施設の場合、「箱もの」行政を優先させるのは“鬼門”とされている。当たり前のことである。「知のインフラ」ともいわれる図書館づくりに当たってはまず、「そこの住民にとって、どんな施設が理想的か」という入口論からスタ−トしなければならない。どこに建てるのか、どんな規模にするのか―といった問題はそれからである。最初から逆さまなのである。宮沢賢治の理想郷「イ−ハ−ト−ブ」をまちづくりのスロ−ガンに掲げ、文化都市の実現を標榜(ひょうぼう)する自治体の貧相な素顔が透けて見えてくるではないか。しかし、上田市長は当初から、図書館にはあまり熱心ではなかったようなのである。たとえば、その心臓部に当たる蔵書数について―
前市政が平成25年5月、新図書館の建設に当たっての適正蔵書数を「50〜65万冊」と算定したのに対し、その後に就任した上田市長は半分の30万冊に見直す考えを示し、その理由をこう述べた。「人口減少が見込まれる中で利用者が蔵書数の増加ほどに増えるとは考えにくく、一層厳しさを増すと見込まれる財政状況を踏まえ、運営経費や従事者数が現状を大きく超えないよう計画の規模を見直す必要があります。蔵書数は県内他市の市立図書館と比較して突出して多いものでしたが、30万冊は花巻市の都市規模にもほぼ見合うものと考えられます」(「まちづくりと施設整備の方向」、平成26年11月)―
その後、蔵書数などのソフト面の論議が深められた形跡はなく、今回の不動産まがいの構想がいきなり表面化したというのが真相である。大学入学共通テストをめぐる某大臣の「身の丈」発言を髣髴(ほうふつ)させる言葉ではあるまいか。人口比と蔵書数とを単純に比較するという、その精神の貧困さに驚いてしまう。
商社勤務時代、ニュ−ヨ−クなどでの長い勤務体験のある上田市長は議会答弁などでそのことを自慢げに口にすることがあった。その大都市に世界最大級の“知の殿堂”と言われるニュ−ヨ−ク公共図書館(NYPL)がある。1911年に建てられ、いまでは黒人文化研究図書館や科学産業ビジネス図書館など4つの研究図書館と88に及ぶ地域分館で構成されている(2019年10月8日付当ブログ参照)。ドキュメンタリ−の巨匠、フレデリック・ワイズマン監督によって映画化(2017年公開)され、日本でも昨年5月に公開された。「図書館とはこうあるべきだ」という3時間25分に及ぶこの超大作は図書館関係者には必見の作品である。
NYPLには世界中から演劇人や俳優、作家、研究者、政治家など様々な人々が集まってくる。この知の殿堂から発信された芸術作品は数限りない。一方、賢治作品は遠くクロアチア語やルーマニア語などを含め、その翻訳国数は世界一を誇る。だからたとえば、「賢治ライブラリ−」を名乗るだけで国内だけではなく、全世界から賢治研究者や愛好家を呼び寄せるのも夢ではない。というよりも、想像力豊かで柔軟なこうした発想こそが実は、図書館づくりの醍醐味なのである。「仏に魂を入れる」―というのはまさにこのこと。「イ−ハト−ブはなまき」に足を運んでも賢治の作品や関連本がきちんと、整備されていないという不満は以前から聞こえていた。ましてや、ハ−ドやソフトを含め、図書館全体の枠組み作りを外部に丸投げするというやり方は邪道そのもの…いや、行政の責任放棄と言わざるを得ない。
行政トップを司る我が”宰相”よ、アメリカ時代に一度はNYPLに足を運んだことがあるとは思うが、もしなかったらば映画だけはぜひ、見てほしいと思う。いまからでも遅くはない。原点に立ち返って、構想を練り直してほしいと切に願いたい。図書館のようなビッグプロジェクトは文字通り「百年の計」だからである。ブログの再録になるが、ワイズマン監督はこう述べている。「ニュ−ヨ−ク公共図書館は最も民主的な施設です。すべての人が歓迎されるこの場所では、あらゆる人種、民族、社会階級に属する人々が積極的に図書館ライフに参加しているのです」(パンフレットから)―。米国では図書館を称して「ピ−プルズ・パレス」(people's palace)と呼ぶという。「人々がより集う」という意味では、まさに“人民宮殿”の名にふさわしい命名である。
貧すれば、鈍する…。軽佻浮薄(けいちょうふはく)にして、かつ強権的なご仁(じん)に行政を任せていては、我がふるさとは破壊されてしまいかねない。NYPLは当市でも導入を検討している「公民連携」方式で、運営費の約4割は民間からの寄付で賄(まかな)われている。この成功例に謙虚に学ぶことから出直したらどうか。
(写真は雲間から顔を出した満月。「花巻市政の”暗雲”も振り払ってほしい」と思わず、手を合わせた=2月9日、花巻市桜町3丁目の自宅から)
《追記−1》〜図書館の充実を!
身内のことで恐縮だが、沖縄・石垣島に住む小学5年生の長男の孫が最終学年の生徒会長に立候補する決断をしたとして、手書きのポスタ−の写真を送ってきた。「がんばるので、一票お願いします」と書かれ、公約には「マナ−を守り、元気で本をたくさん読む学校にします」とあった。で、結果のほどは?立候補者は全部で15人。この数もすごいと思うが、最初に5〜6年生の投票で6人にしぼり、最終的には3年生以上の投票で選出されるのだという。孫は第8位の次々点で涙を飲んだそうだが、「立候補しただけで偉い」とエール。親バカだと思い、ご寛恕(かんじょ)のほどを…。それにしても、孫の話になるとジジイの頬(ほほ)は緩みっぱなしになるもんですねぇ。「70歳になってから、市議に立候補した誰かさん(つまり私)に似たのかなぁ」とは娘の言
《追記―2》〜ある書評家の”遺言状”
岩手日報のコラム「青春広場」で14年間にわたって、本の魅力を伝え続けてきた花巻市在住の書評家・岩橋淳さんが難病の末に亡くなって、1年が過ぎた。私も彼の的を外さない書評をきっかけに何冊もの本を購入したひとりだが、その思いを共有する仲間たちがクラウドファンディングで制作費を募り、連載の書籍化に踏み切ったことを同紙が報じていた(2月7日付「風土計」)。私は生前、当市の図書館関係の部署に対し「一度図書館の理念について、意見を伺ったらどうか」と持ちかけたが、担当者は同じまちに住む、この”本の目利き”の存在すら知らなかった。岩橋さんはほどなく、旅立った。「風土計」は記事をこう結んでいる。「岩橋さんの情熱が本になる。その情熱に触れた若者たちが読書好きになり、自らの世界を広げ、本と一緒に大きく羽ばたく。そんな未来への旅行者があふれてほしい」
《追記ー3》〜スノームーン
2月9日午後5時45分ごろ、厚い雲間から2月(如月=きさらぎ)の満月が少しづつ、顔を出し始めた。そしてやがて、雲を吹き払った中天にぽっかりと…。ネイティブアメリカンが「スノームーン」と呼ぶ冬の月である。しんしんと冷え込む寒気の中に「雪月」はさえざえと浮かんでいる。真冬に欠かせない風物詩。いやな世情を忘れさせる一瞬でもある。そういえば、亡き妻のニックネ−ムも「満月」さんだった。ふと見上げると、さっきまで纏(まと)っていた雲の衣装を、満月はどこかに脱ぎ捨てたらしい。寒くないのかい、お前は…。はるか南の島の海に眠る妻をしのび、「月桃」(作詞・作曲、海勢頭豊)を聴く。ベッドにもぐりこむ前にまたひょいっと見上げると、な〜んだ、また綿入れみたいな“雲衣”にくるまっているではないか。だろう、やっぱり寒かったんだろう(上掲写真)