沖縄から(2)…やんばるの森の奥で:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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沖縄から(2)…やんばるの森の奥で
2019.12.29:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「森は海を/海は森を恋いながら/悠久よりの/愛紡ぎゆく」―。突然、目の前に開けた、まるで石炭の露天掘りのような光景を目にした時、冒頭の歌が不意に口をついて出た。もう50年近く前のことである。宮城県気仙沼市郊外のブナ林が広がる奥深い森を伐採し、治水・利水用のダムを建設する計画が持ち上がった。19年前にこの計画は中止されたが、建設反対の原動力になったのが、この歌をきっかけに生まれた「森は海の恋人」運動だった。
私が当地に赴任したのは、反対運動が盛り上がっていた時期である。「新月ダム建設反対同盟」に参加する顔ぶれにびっくりした。農業や林業に従事する人たちに交じって、潮焼けした漁師たちの姿があった。「名産のカキは森が育ててくれるのさ」という言葉にすぐ合点がいった。支局の前を大川という清流が流れ、アユが川面を飛びはねていた。釣り竿をひょいと肩にかつぎ、晩酌用の塩焼きを釣り上げるのが日課になった。そんな折、新月地区に住む歌人の熊谷龍子さん(76)と知り合った。「森」と「海」と引き合わせたのが熊谷さんのこの歌だった。「森は海の恋人」運動は教科書にも紹介されるなど全国的な広がりを見せ、第3歌集(1996年)には同名のタイトルが付けられた。
警備が手薄になる年末のある日、ヤンバルクイナなど希少生物が生息する山原(やんばる)の森に分け入った。採石場には大型重機がずらりと並び、亜熱帯の豊かな森は無残な姿をさらけ出していた。この一帯から掘り出された土砂は辺野古の海の埋め立て用に投入され、その数は1日だけで大型ダンプカ−172台分(12月27日付「琉球新聞」)に及んでいた。普天間飛行場の「辺野古」移設(新基地建設)に伴い、豊かな大浦湾のサンゴは次々に死滅し、ジュゴンも姿を見せなくなった。南の島では「森」と「海」とを分断する政治の暴力が大手を振るっている。
辺野古埋め立てから1年―。政府は当初予定した工期を5年から10年に延長、軟弱地盤の改良に要する費用などで工事費も3倍近いの9億3千万円に上るという試算を明らかにした。これに伴い、普天間飛行場の返還も1930年代に大幅にずれ込むことが確実となった。一方、新基地建設に必要な「埋め立て総土砂量」は2062万立方メ−トルで、これまでの投入量はわずか1・1%。森と海との破壊が今後、同時並行で進められることになる。
気仙沼湾にそそぐ大川の水源地に当たる室根山一帯(岩手県一関市)では30年前からブナやカエデの植林が続けられ、一帯は「ひこばえ(樹木の若芽)の森」と名づけられている。そして、この運動を支える母体はずばり「牡蠣(カキ)の森を慕う会」(畠山重篤代表)である。「辺野古」を孤立させてはならない。いまこそ、「森は海の恋人」運動の再燃を!!
「森と海と溶け合うという汽水域/朝靄のようならむ水の濃度は」(龍子)―
(やんばるの森に隠されるように荒涼たる禿山が広がっていた=12月29日、沖縄県国頭村で)