沖縄から(1)…辺野古座り込み、2000日:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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沖縄から(1)…辺野古座り込み、2000日
2019.12.27:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」―。作家の高橋源一郎さんは隣国・韓国のルポルタ−ジュ「歩きながら、考える」(12月19日付「朝日新聞」)の冒頭に詩人、茨木のり子(故人)の詩の一節を置いている。私自身、長旅にしのばせるのはこの詩人の詩集である。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の「辺野古」(名護市)移設(新基地建設)に反対する座り込みが27日、2000日を迎えた。この日も米軍キャンプ・シュワブでは埋め立て用の土砂の搬入が行われ、出入り口のゲ−ト前には大型ダンプの進入を阻止しようと数10人の人たちが座り込んでいた。車いすに乗ったおばぁの姿が…。最長老の常連、島袋文子さん(90)だった。私もすぐ近くに腰を下ろした。「これより、道路交通法違反の嫌疑で強制排除に入ります」と沖縄県警の現場指揮官。「60年安保」以来だから、実に60年ぶりの“ごぼう抜き”体験である。「腰痛持ちだから、手荒なまねはしないでくれな」というと4人がかりであっという間に歩道上に運び出された。
「ところで、あんたはいま、いくつなの?」と4人の中で一番若そうな警察官に声をかけてみた。「29歳です」と素直に応答。「この腰痛じいさんはいくつに見えるかい?」と今度は私。「まだ60台ではないですか」とその青年警察官。「嬉しいことを言ってくれるじゃないの。わしはなもうじき、80歳になるんだぞ。沖縄の未来は君たちにかかっている。それを忘れないようにな」―。少し、うなずいたようだったが、視線は宙を泳いでいた。こんなやりとりをサングラスをかけた男性がニヤニヤ笑いながら、眺めていた。「おかげさまでやっと、“ごぼう抜き”の栄誉に浴することができました。もっとも安保の時は鎖骨をやられましたけど…」―こうあいさつすると、「それはおめでとうございました」と握手を求めてきた。
沖縄を代表するシンガ−ソングライタ−の海勢頭豊さん(76)との奇跡的な再会はこんな出会いがしらの出来事だった。20年以上も前、私は北海道・阿寒湖畔に拠点を置くアイヌ詩曲舞踊団「モシリ」の全国縦断ツア−に同行取材をした。沖縄公演の際、那覇市内でライブハウスを経営していた海勢頭さんの弾き語りを聴いたのが初対面だった。米軍の実弾演習阻止を歌に託した「喜瀬武原」(キセンバル)や「月桃」などの代表作を収めたCDをその時に買い求めた。
♯喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃 君はどこにいるのか 姿もみせず♯…「心が弱くなった時に聴くことにしています。すり減ってしまったのか、最近は音が飛んでしまうんです…」と礼を述べると、「今度、送りますよ」と骨太の手で握り返して来た。「辺野古」は出会いの場でもある。
「米国区域(施設)・在日米軍/許可無き立ち入り禁止/違反者は日本国法律により罰せられる」―。こんな文章の警告標識が基地内外を隔てる有刺鉄線のあちこちに張り付けられている。その写真をカメラに収めようとして、ふぃと見上げると防犯カメラが逆にこっちに照準を合わせていることに気が付いた。その基地の中から若い米兵たちの明るい笑い声が聞こえてきた。休暇をとった海兵隊員の一群であろうか…座り込み現場には目をくれないまま、土砂を満載した大型ダンプの前を小走りで横断し、どこかに姿を消してしまった。
「2000日集会」では日本だけではなく、世界各地からの連帯のメッセ−ジが伝えられていた。その中に朝鮮半島の南西に浮かぶ「済州島」(チェジュ島)の平和運動家からの呼びかけがあった。「韓国のハワイ」と呼ばれるこの島でもいま、軍事基地化が急速に進められている。高橋さんのルポルタ−ジュの一節に済州島に言及したこんなくだりがある。
「…広大な畑の真ん中に、軍用機を攻撃から守るためにコンクリ−トで造った掩体壕(えんたいごう)跡がある。戦争中、ここには日本軍の戦闘機が収納され『決戦の日』を待っていた。この国が日本の植民地であった時代の遺物である。そんな場所があることを、わたしたちは日本人の大半は知らないだろう」―。いま、チェジュ島のあちこちには「Henoko、NO」(辺野古ノ−)のステッカ−が張られているという。
茨木のり子の詩の中に「倚(よ)りかからず」という私が大好きな詩篇がある。こんな内容である。
もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば/それは椅子の背もたれだけ
私はいま、自分自身の「背もたれ」を探す旅を旅しているのかもしれない。もしかしたら、それは「原理・原則」といった類(たぐい)のものであるような気もする。
(座り込み2000日の節目の日にも島袋おばぁは頑張っていた。車いすの眼鏡の人=2019年12月27日正午すぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲ−ト前で)