「さっさと帰れ!」発言から「被害者はどっちだ!」発言へ―そして、「私たちは忘れません」:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「さっさと帰れ!」発言から「被害者はどっちだ!」発言へ―そして、「私たちは忘れません」
2019.12.11:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
「私たちは忘れません」―3(世界各地で)
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「被害者はどっちだ。男か女か、教えてくれろ!」―。これじゃ、まるであのイ−ハト−ブ劇場での“ドタバタ劇”の再演ではないかと、一瞬わが耳目を疑った。ロ−マ・カトリック教会のフランシスコ教皇が核廃絶のメッセ−ジを発した被爆地・長崎市議会で起きた“暴言”騒動の一幕である。8年前、東日本大震災(2011年)直後の花巻市議会6月定例会で、私自身が当事者として経験した“悪夢”がふたたび、繰り返された。こんな矢先、アフガニスタンでテロの銃弾に斃(たお)れた医師、中村哲さん(享年73歳=12月4日付当ブログ参照)の訃報が飛び込んできた。ひょっとしたら、中村さんを「殺した」責任は私たちの側にも潜んでいるのではないのか…そんな唐突な思いが体を射抜いたように感じた。まずは「平和と人権」を市政の柱に掲げるかの地での事の発端から―
もう12年も前のこと…こともあろうに、原爆被爆対策部長(当時)が取材中の女性記者に性暴力を振るうという信じられない事件が発生した。被害者から人権救済の申立を受けた日本弁護士連合会は「人権侵害」と認定し、謝罪や再発防止を勧告してきた。しかし、市側が不誠実な対応をとり続けたため、被害者はやむなく今年4月に提訴に踏み切った。さて、冒頭のヤジが議員席から飛び出したのは、7月定例会の一般質問の場での出来事。社民党所属の池田章子議員が市の対応をただしている最中に発せられた。これを受けた日本新聞労働組合連合(新聞労連)は先月11月1日、佐藤正洋・市議会議長に対し「ヤジ議員の特定と謝罪」を要求する申し入れ書を手渡した。その後の経過も私の場合と瓜二つだった。「ヤジはあったが、発言者は特定できなかった」―と
そして、当方の“暴言”騒動は…あの日(2011年6月23日)、私は一般質問の中で震災被災者に対する義援金が市の歳入に繰り入れられるという、いわゆる「義援金流用」疑惑を追及していた。傍聴席には沿岸被災地から花巻市内に避難している人たちが詰めかけていた。昼の休憩が告げられた直後、議員席から傍聴席に向かって、「さっさと帰れ」というヤジが投げつけられた。「着のみ着のまま、ふるさとを追われた私たちはどこに帰ればいいんですか」―。傍聴席は騒然となった。私は直ちに真相究明を求め、議会内には「議員発言調査特別委員会」が設置された。しかし、傍聴者たちの証言は無視され、「(暴言については)確証が得られなかった」という結論で幕が下ろされた。
長崎市議会のその後の動きは現在、長崎地裁で裁判が続けられているが、私に対しては手のひらを返したような“仕打ち”が待っていた。「被災者とグルになって、『なかった』発言をあたかも『あった』かのようにデッチ上げた」という論法である。ヘイトスピ−チまがいの罵詈雑言(ばりぞうごん)でブログが炎上する中、議会内に急きょ設けられた「懲罰特別委員会」は私に対して「戒告」処分を言い渡した。「議会の権威を汚した」というのがその理由だった。1人を除いた議員全員がこの処分を支持した。……悪夢は悪夢を呼ぶということか。ふと我に返ると、傍らのテレビは中村さんの非業の死を伝え続けている。
「医療分野や灌漑(かんがい)事業においてアフガンで大変な貢献をしてきた。厳しい地域で命がけで業績を上げ、アフガンの人も感謝を述べていた。このような形で亡くなったことは本当にショックだ」―。沈痛な表情で中村さんの死を悼(いた)む安倍晋三首相の姿が大写しになっている。反吐(へど)が出そうになった。税金を使って「桜を見る会」に浮かれるわが宰相にその死に思いを寄せる資格がそもそもあろうか。アフガニスタンは長い間、「忘れられた国」と言われてきた。世界でも最貧国のかの地で黙々と「命の水」を掘り続けてきた中村さんの存在を、安倍首相よ、あなた自身が忘れてはいなかったか。いや、私自身を含めた日本人総体が…
ところで、彼我(ひが)の“暴言”騒動にはオチがある。舌鋒鋭く「被害者はどっちだ」発言を追及した池田議員の姿勢にはさすが“革新”議員としての矜持(きょうじ)が感じられた。一方、「さっさと帰れ」発言の主は写真と照合するなどして、同じ社民系会派の男性議員(故人)とほぼ特定されたが、いまや「死人に口なし」である。永田町から地方議会まで「人格」の根腐れ病が蔓延している。被爆者の祈りを伝える「ナガサキ」も、そして宮沢賢治の理想郷「イ−ハト−ブ」もタガが外れ、地に堕ちた風体(ふうてい)である。
フランシスコ教皇は長崎の地で、こう演説した。「今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、(財が)築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です」―。そして、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)と記したのはいうまでもなく、わがふるさとの詩人の賢治である。その“賢治”精神を体現した中村さんには宮沢賢治賞(イ−ハト−ブ賞)が贈られている。アフガニスタンの民間航空「カ−ム航空」は口ひげをたくわえた中村さんの似顔絵を尾翼に描き、フェイスブックにこう書き込んだ。
「アフガニスタンの人々のために奉仕することを選び、残念ながらその活動中に亡くなりました。故中村医師、アフガニスタンの人々はあなたのしてくれたことにずっと感謝し続けるでしょう」―
(写真は航空機の尾翼に描かれた故中村さん。トレ−ドマ−クの口ひげが優しい横顔=インタ−ネット上に公開の写真から)
《追記−1》〜いやはや!?今度は盛岡市議会で「『よそ者』ヤジ」
「盛岡市議会(定数38)で、一般質問に立った久慈市出身の大畑正二氏(創盛会)に『よそ者』とヤジが飛んだとして波紋を広げている。…『議員は盛岡自慢を三つくらい持っていた方がいい』と主張した際、議員席からヤジが飛んだ。同氏によると『よそ者だろ』と聞こえた。…言論の府たる議会は多様な人材の参入が時代の要請であり、仮に『排他的』と疑われる言動が一部からでも上がれば、全体の品位をおとしめる。遠藤(政幸)議長は議員への聞き取りを進める意向で『議論を妨げてはならない。重く受け止め、対処する』と語る」(12月11日付「岩手日報」)
《追記―2》〜「凡庸なる悪」
第2次大戦中のユダヤ人虐殺の責任者だったアイヒマン(1906〜1962)について、政治学者のハンナ・ア−レントは「彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと―これは愚かさとは決して同じではない」と述べ、そのことを「凡庸なる悪」と名づけた。つまり、「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」と書いている。日本列島を覆いつくす「人格」の根腐れ病の根源はたぶん、ここにあるのだろう。
《追記―3》〜故中村さんの大壁画も
【カブール共同】アフガニスタン首都カブール中心部の保健省のコンクリ−ト塀に、4日に殺害された福岡市の非政府組織「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)の貢献をたたえ追悼する似顔絵が現れた。芸術団体「アートロード」が10日、12人で完成させたという。アフガンの民族帽「パコール」をかぶった中村さんが日の丸を背景に、花々を咲かせた木々を見つめ、ほほ笑んでいる構図。「この土地で私は愛と思いやりを育む種のみを植える」と、同国の主要言語の一つ、ダリー語の詩も添えられた。殺害現場となった東部ナンガルハル州の州都ジャララバードにも同様の絵を描いた(12日付「共同通信」電子版)
《追記―4》〜世界各地で追悼の声
【ニューヨーク共同】アフガニスタン東部で殺害された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)をしのび、米ニューヨークのアフガニスタン総領事館で10日、追悼集会が開かれた。参加者は「本当に偉大な人を失った」と故人に思いをはせた。集会には、米国在住のアフガン人や在ニューヨーク総領事館の山野内勘二総領事ら約40人が参加。黙とうの後、中村さんの似顔絵が飾られた祭壇に花を手向けた。参加した医師ソニア・カディアさん(44)は「いつの日かアフガンに平和が訪れ、海外の医師が生命の危険を感じずに活動できるようになってほしい」と語った(12日付「共同通信」電子版)