花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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花巻まつりと“政教分離”ーそして十五夜
2019.09.12:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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郷土芸能「鹿(しし)踊り」の太鼓の響き、「シャンシャン・ランツ、シャンシャン・ランツ」と聞こえる風流山車のお囃子のリズム―。古層に刻まれた記憶に誘われるようにして、42年間も留守にしていた古里に戻り、それからでも早や20年がたとうとしている。400年以上の歴史を重ねる伝統の花巻まつりが13日から3日間の日程で幕を開けた。東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた三陸沿岸で、復興の原点になったのはこうした郷土芸能や祭りが秘めるパワ−だった。私をこの地に引きとどめてくれるのも“地霊”とも呼べる、この種の引力のせいかもしれない。と、そんな気持ちでまつりを楽しみにしていた8月下旬、ふたたび水を差されるような出来事が起きた。エアガン騒動、リスクつき居住誘導地域…。ケチがつき始めると、どうも止まる気配はない。
花巻まつりは開町の祖・北松斎を敬(うやま)う祭事として始まり、現在では鳥谷ヶ崎神社(同市城内)の祭礼として定着している。ここの宮司が神職の身分としては最上位の「浄階(じょうかい)一級」に昇進したことを祝う会が8月26日、市内のホテルで開かれた。会費は1万円。HPによると、上田東一市長と小原雅道市議会議長がともに「公務」として出席している。ところが、上田市長が「私費」だったのに対し、小原議長は「議長交際費」(つまり税金)をこれに当てていた。なぜ、こんな違いが生じるのか。この根底には憲法が規定する「政教分離」原則への認識の甘さがある。私は当選直後の平成23年12月定例会で、この原則に対する対応についての見解を問うた。その時の記憶が不意によみがえった。
政教分離原則について、憲法は以下のように定めている。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない)(第20条)、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない(第89条)
当時、花巻市は各種神事が終わった後に行われる宴会―「神社直会(なおらい)」に対し、市長交際費を支出していた。その件数が他市に比べて突出していたため、その根拠をただしたのである。政教分離をめぐる裁判例は「靖国」参拝の是非を争ったものなど多数にのぼっている。たとえば「愛媛玉串料訴訟」(1997年4月)について、最高裁大法廷は「違憲」と判断したが、多くは「社会的儀礼または習俗的行為」(目的効果基準)の範囲内として、「合憲」と判断する傾向が強い。当市の場合もこの目的効果基準を根拠に「違憲とは言えない」との姿勢を示したが、私が質問した以降はこの種の支出は廃止され、現在に至っている(と、今に至るまでそう思っていた)。
あの時、議場に同席した小原議員(当時)は当然、この間の経緯を十分、理解していたはずだったのだが…。過日、他界した作家の安部譲二さん(享年82歳)の代表作『塀の中の懲りない面々』に例えれば、さしずめ「議場の中の…」とでもなるだろうか。花巻まつり実行委員会の会長には上田市長が就任し、議会側も開会中の9月定例会を休会にするなど、まさに全市をあげての一大イベントである。そのこと自体は喜ばしいことであるが、宮司の昇進祝賀会へ「公務」として出席することと、祭りを盛り上げることとは全く別次元の問題である。
熨斗紙(のしがみ)に税金(議長交際費)を忍ばせて涼しい顔をしている小原議長は論外のこととして、一方の上田市長がポケットマネ−を出しながら、これが「公務」とはこれ如何!?。この整合性のなさをどう説明するつもりであろうか。議会答弁などで事あるごとに憲法を持ち出すにしてはお粗末極まりない。地が出たとはこのことかー。
戦前の「国家神道」が戦争と結びついたことへの反省から、政教分離原則が生まれたことは周知の事実である。最近では安倍晋三首相の「靖国」参拝訴訟で、違憲を主張する原告側が東京地裁(2017年4月)と東京高裁(2018年10月)でともに敗訴、現在は上告審で係争中である。その一方で首相自身は最近、周辺国への配慮などから直接参拝は避け、「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を私費で奉納するなど「公的行為」から一定の距離を置くようになっている。これに対し、当市の行政と議会両トップの公務出席は限りなく「違憲」に近いと言わざるを得ない。原理・原則など「屁の河童」の体(てい)である。
鳥谷ヶ崎神社の境内の一角に「一億の号泣」と刻まれた、彫刻家で詩人の高村光太郎の石碑が建っている。「この日世界の歴史あらたまる。アングロ・サクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる…」(「記憶せよ、十二月八日」)…日米開戦のその日、光太郎はこう書き記している。その時からわずか3年半―たまたま、寓居(ぐうきょ)していたこの神社で敗戦の報を知った。戦後の約7年間にわたって、光太郎は花巻郊外で独居自炊の生活を続け、戦意高揚に協力した自分を懺悔する日々を送ったと言われる。以下に碑文の全文を掲載するが、これは戦後を生き直すための「原点の叫び」だったのであろうか。それとも…。
「綸言(りんげん=天皇の言葉)一たび出でて一億号泣す。昭和二十年八月十五日正午 われ岩手花巻町の鎮守 島谷崎神社社務所の畳に両手をつきて 天上はるかに流れきたる 玉音(ぎょくいん)の低きとどろきに五體(ごたい)をうたる 五體わななきてとどめあへず。玉音ひびき終りて又音なし この時無声の号泣国土に起り、普天(ふてん=天下)の一億ひとしく 宸極(しんきょく=天皇)に向ってひれ伏せるを知る。微臣(びしん=臣下)恐惶(きょうこう=恐れ入ること)ほとんど失語す。ただ眼を凝らしてこの事実に直接し、苟(いやしく)も寸毫(すんごう)の曖昧模糊(あいまいもこ)をゆるさざらん。鋼鉄の武器を失へる時 精神の武器おのづから強からんとす。真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ 必ずこの号泣を母体としてその形相を孕(はら)まん。(昭和二十年八月十六日午前花巻にて)」
3日間の祭典のいとまを見つけ、上田市長と小原市議会議長におかれては是非ともこのシンボリックな境内の光景を目に収めてほしいと思う。一個人の神職身分を「公の立場」で祝福する行為の軽率さを、ひょっとしたら光太郎のこの詩が教えてくれるかもしれない。―。それにしても、ナゾに満ちた詩ではある。花巻まつり初日の13日はちょうど「十五夜」(中秋の名月)に当たる。満月の輝きがこの「ハレの日」を包み込んでくれることを祈りつつ…。ふと、あの懐かしい童謡「十五夜お月さん」(野口雨情作詞、本居長世作曲)を口ずさんでみたくなった。
♯♯♯「十五夜お月さん/御機嫌(ごきげん)さん/婆(ばあ)やは/お暇(いとま)とりました」(1番)、「十五夜お月さん/妹は/田舎へ/貰(も)られてゆきました」(2番)、「十五夜お月さん/母(かか)さんに/も一度/わたしは逢いたいな」(3番) ♪♪♪
(写真は豪華絢爛を誇る花巻まつりの風流山車。稚児行列の何とも可愛らしいこと=インタ−ネット上に公開の写真から)