常設展示室 上杉文華館《 二人の父、秋月種美と上杉重定 》:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
置賜文化フォーラム |
常設展示室 上杉文華館《 二人の父、秋月種美と上杉重定 》
2014.05.09:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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上杉文華館 「二人の父、秋月種美と上杉重定」
【展示期間】:平成26年5月1(木)〜5月27日(火)まで。
今回の上杉文華館は上杉鷹山の二人の父、秋月種美と上杉重定にスポットをあてた展示です。
秋月種美(あきづき たねみつ)
秋月種美は高鍋藩第6代藩主で、鷹山の実の父です。藩主としては文武の振興に力を入れました。鷹山が上杉家の養子となった後も、実父・種実と書状のやり取りを続け、国宝「上杉家文書」として親子間の書状が複数伝来しています。多くは日常的な挨拶や贈答に関するものですが、鷹山が種美に藩政に関する相談をすることもあったようです。
上杉重定(うえすぎしげさだ)
鷹山の養父・上杉重定は5代藩主吉憲の五男として米沢に生まれましたが、兄二人の死により延享3年(1746)、第8代の藩主となりました。重定の治世は藩財政の困窮に対し、森平右衛門の専制を招くなど評価されていません。しかし重臣層が鷹山に改革中断を強訴した「七家騒動」では重臣たちを抑え、若き藩主鷹山の改革を支持しています。
国宝「上杉家文書」
秋月種美書状
江戸時代 (安永二年・一七七三)七月二一日
一七・三×三五・一
米沢市上杉博物館
【 解 説 】
秋月種美(鷹山の実父)から、鷹山に宛てた書状です。大臣衆の仕置き(処罰)について承知した、今後の政治向きは御隠居様(鷹山の養父・上杉重定)によく相談するように、と述べています。
内容と時期から、安永二年(一七七三)六月末におこった七家騒動(しちけそうどう)に関する書状と考えられます。七月一日に鷹山は千坂(さちか)ら関係者の処罰を決定、七月半ばには親族などにも事件の結果を文書や使者により報告したようです。本書はそれに対する返答と考えられます。
七家騒動は、改革に取り組む二三歳の青年藩主・上杉鷹山を襲った大事件でした。重臣層によって藩主が隠居させられるような事態も、当時は十分ありえたのです。
本文書によれば、上杉家歴代の重臣を処罰した鷹山は、「残念」な、心苦しい気持ちを種美に伝えたようです。種美は鷹山の処置を支持し、養父・重定によって事件がおさまったことを感謝し、今後は重定に小さな事も相談するよう、鷹山に重ねて助言しています。
鷹山の改革を支持する、二人の父の姿がうかがえる史料と言えるでしょう。
七家騒動(しちけそうどう)とは…
奉行(家老)千坂(さちか)対馬(つしま)ら米沢藩の重臣七名が改革政治に反対し、竹俣当綱らの退役を鷹山に強訴した事件です。
[ 大 意 ]
・書状を読んで、残念に思う。今度、思わぬ事件により上杉家の重臣を厳罰に処したこと、詳しく書状と御使者により承知した。
・ご隠居様(重定)のご配慮もあったようで、良かった。以後は何事も念を入れ、政治についてはご隠居様へ相談するように。
・もはや何事も済んだことなので、ひとまず返事を記した。
(追伸部分)
・上杉家の重臣処罰のことを残念だと思うのは至極もっともだ。しかし今回はそうしなくては政治が立ちいかなかっただろう。
・今後はご隠居様へ何事も相談し取り計らうのが第一である。ご隠居様へしっかりとお礼を伝えて欲しい。
スタッフ一同、ご来館お待ちしています*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。
次回、展示予定
《 上杉鷹山をめぐる人々 》
「 師に学ぶ 」
【展示期間】:平成26年5月29(木)〜6月26日(木)
【コレクショントーク(常設展示室解説)】:6月7日(土)14:00〜
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで