舘山城跡調査報告会【米沢市舘山】:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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置賜文化フォーラムの編集員「うさぎ妃」です。
暑い夏ですね。皆さんは体調大丈夫でしょうか。
7月30日(月)舘山城跡、調査現地発表があったので行ってきました。
米沢市の西の方向のに、山城の跡があり、
米沢市は2010年より、国指定史跡化を目指して整備保存事業に取り組んでいます。
歴史ロマンが広がっていますよ。
米沢市の市街地、西方約4.5kmに位置する舘山城跡は伊達氏の米沢支配における拠点と推測され、
城跡は、大樽川と小樽川が合流する舌状丘陵の標高約310mに位置しています。
米沢市教育委員会が発掘調査を進め、今回は城跡の南門跡から発掘された調査の発表でした。
当日はとても暑い日にもかかわらず、県内外から約130人が現地にかけつていました。
この暑さの中、城跡の上に上るため、約40mの急斜面を大きく3回曲折して登ってゆくのです。
この暑い日、炎天下に山登りなの?
うさぎ妃は正直思った。全く装備していなかったので、
逃げ出したくなりました。
登り口には、井戸の跡があり、歴史ロマンを感じつつですが、・・・
今からの登りを考えるとちょっと気が重いのでした。
歴史マニアの人たちの暑い熱気につられて、一番後ろで、うさぎ妃も頑張って登りましたよ。
3回曲折して登ってゆくと、南門口に到着。
そこには、発掘された史跡が広がっていました。
石でつくられた水路と粘土床構造物があり、
側には発掘された陶器のような破片などが置かれていました。
説明では、破片は「さかづき」と予測でき、ここが館として機能し、生活がいとなまれていたこと、
粘土を張ったところは、構造物の土間の部分だと推測され構築法が注目されること、
山城に通じる道路の幅が確定できたこと、
などが発表されました。
米沢城跡が、ここかどうかは議論が残るところではあるとの前提でしたが、
伊達の15代当主達晴宗 、16代当主伊達輝宗、17代当主伊達政宗と
3代にわたり43年間米沢を治めたそうです。
初代仙台藩主の伊達政宗が生まれた地と推測されるということで、
米沢の新たな観光名所になりそうです。
発掘調査が始まってから3年、今までの調査でわかったもピックアップして説明下さいましたよ。
山城の道なき道をしばらく進むと本丸あたりで、急に歩きにくくなるで、足元を見るとたくさんの石です。
多くの石を城前に敷き詰めることで、誰かが城に侵入してきた際に、
ここを通ると音がして、不審者がわかるようにしたそうです。
敵に備える戦国武将の様子がうかがますね。
これは、物見台ということで、城があったころ、ここに外の見張りのための物見やぐらがあったのです。
山城だけあって断崖絶壁で、下をのぞくと垂直に大樽川につなっているように見えました。足ががくがく・・・・。
遠くで雷の音が・・・、早々に山を降りて解散でした。
時間が流れるということを考えた1日でした。
当たり前のことですが、時間は進む、歴史はきざまれるということ、
同じ日本のこの米沢の地も、時間が違えば、文化も全くことなる。
文化とは何でしょう。
辞典には、「総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである」
わかったような、わからないような・・・。
うさぎ妃は小さな脳で考えた。
文化とは、「生きた証」
今日も一度の人生精一杯生きよう。
以上報告終わりです。