いろいろ考えてUターン。そして公務員へ:Uターン転職
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いろいろ考えてUターン。そして公務員へ
20代女性のEさん。
大学卒業後、東京にでて働いてましたが、今年の夏、山形に戻ってこられました。
当社へ求職登録してくれたことが知り合うきっかけでした。
私とのやり取りから自分の行く道を再考し、地元の役場の公務員試験をうけ、見事合格されました。来年4月からの勤務に備えて、いまは準備といったところのようです。
Eさんに体験談を書いていただきました。きっと、Uターンを考えている方々の参考になると思います。
どうぞご覧ください。
----
私の転職までの道のりは計画的とは言えず、
本当に運が良かったの一言に尽きます。
しかし、原田さんとの出会いから再就職決定までの期間は、
これまでの働き方を振り返ったり、
自分がこれからどのような人生を歩みたいか、など、
今までの中でもっとも、自分自身との対話をした期間でした。
原田さんには、私の希望などを汲み取っていただきながら、
山形県内の企業をご紹介いただきました。
結果的に、ご紹介いただいた企業さんへの転職とはならず、
来春からの町役場へ再就職することとなりましたが、
原田さんとの面談や職務経歴書作成を通しての
数々のアドバイスを面接で活かすことができ、本当に感謝しております。
再就職決定までを、時系列で振り返りたいと思います。
私は高校卒業とともに実家を離れ、
大学卒業後メーカーに就職しました。
Uターンを本格的に考え始めたのは、就職後3年が経った2007年の1月頃でした。
以前から、いずれは実家の近くに戻ってきたい、
実家の近くで子育てがしたいな、と思っていましたが、
祖父母が老いていく姿や、介護をしている親の姿を見て、
早く地元に帰りたい、という思いが強くなっていたのです。
また、会社では、自分の今後の見通しが考えられなくなっていました。
新卒で入社した会社では、3年間販促ツールの制作に従事し、
一通り仕事を任され、信頼も得ていた(と思う)のですが、
このままではツールだけの人になってしまうのでは、
という危惧を抱きながらも、作業に追われる日々が続いていました。
そして、3年目に入った頃から、違う仕事にチャレンジしたいと思い、
異動の希望を出していました。
〜2007年2月〜
有名な転職サイトを見始めますが、
首都圏の情報に比べ、東北の求人情報があまりに少なく、
若干の衝撃を受けたのもその頃です。
身近にUターン転職者がいないため、
どうやって探したら良いんだろう?と手探りの時期でした。
〜2007年3月〜
東北地方中心の転職サイトを探している時、
キャリアクリエイトのサイトと出会いました。
私はすぐさま原田さんに連絡し、「Uターンの勘所」を読みました。
“転職のためのUターンか?Uターンのための転職か?”については、
私の場合は、“Uターンのための転職”という考えが強かったのですが、
私のUターン願望が一時の衝動的なもので、
動機が漠然としているような気がしたのも事実です。
その後原田さんと数回メールのやりとりをし、
たまたま帰省することになった時に、
米沢で原田さんとお会いしました。
小学校の校長先生のような方だな〜、という印象を受けました。
その時は、女性の場合は年齢が高くなる程Uターン転職が厳しくなる、
(働き口がないこと、都市との賃金格差が大きくなること、など)
というお話をしていただいた覚えがあります。
また、Uターンによって得ること、失うこと、を挙げてみてください、
そして、得ること(メリット)が失うこと(デメリット)を上回れば、
Uターンしても大丈夫でしょう、という話をしていただきました。
仕事の環境、私生活など色々な面で、東京と山形、を秤にかけ、
その時は確信は持てなかったものの、
山形に帰った方がメリットは大きいと思いました。
しかし、頭で考えるのと実際生活環境が変わってからの実感は違うもので、
正直、山形に帰ってきた直後は、
あまりにものんびりした環境に私はなじめるのかと、不安になりました。
(今はもう大丈夫ですが。)
そして、入社から今までの仕事の内容や、
今後どのような業界、職種に就きたいか、というお話をしました。
業界・職種に関しては、漠然としたイメージしか抱いていませんでしたが、
仕事上、お客様にとって身近なツールを作っていながら、
滅多にお客様に接する機会がなくもどかしさを感じていたので、
現職を活かしつつ、お客様との接点に立てる仕事、という希望を持っていました。
また、当時私は2人の後輩の指導もしているというお話もしたところ、
原田さんからは、どんどん下を育てて、新しい仕事にチャレンジして
自分の経験を高めていくように、とアドバイスをいただき、
それが、その後の自分の仕事の仕方を見直す良いきっかけとなりました。
〜2007年4月〜
履歴書・職務経歴書を作成し始めました。
転職サイトなどで参考例を見つつ作成していたが、
どうまとめてよいのやら、要領を得ず、
やみくもに仕事内容を羅列しただけの、
今振り返るとため息が出るようなものでした。
原田さんには、何度も何度も添削していただきました。
ブラッシュアップするにつれ、自分でも、社内外の人との関わり方や、
今までの経験の中で、自分にとって成長を実感できた出来事は何だったのか?、
仕事を進める中で自分が重要視していることは何か?など、
見過ごしていたポイントが徐々に見えてきて、
原田さんからは、徐々に、私の仕事場での様子が見えてきましたね、
と言っていただけるようになりました。
そして、転職に向けて、自分が出来ること、したいこと、
仕事をする上で譲れないポイントなどが見えてきて、
仕事へ取り組みに変化が起きました。
この時に十分頭を整理することができ、
面接にも大いに役立ちました。
この頃、漠然と「引継ぎ」を意識し始め、
初心者でもわかるツール制作の手順や
スケジュール管理法などをまとめながら、
手がけている仕事重要ポイントや無駄が見えてきた気がします。
〜2007年5月〜
ゴールデンウィークに再び帰省し、家族と相談し、
会社を辞める決意をします。
そして、上司と面談をしていただき、退職の意向を伝えました。
退職時期については、当時担当していた商品が8月発売であり、
6月末頃に一連の業務が落ち着くことから、7月末と設定しました。
転職先が決まってから退職、というのが普通の流れかもしれませんが、
私の場合は日々の業務が忙しく、今後も多忙な状況が続きそうだったので、
(ただ単に時間の使い方の問題かもしれませんが・・・)
転職活動に時間を割くことができないだろうと思い、
退職後に本腰を入れようと考えていました。
〜2007年5、6月頃〜
原田さんより、是非紹介したい企業がある、と、2社ご紹介いただきました。
当時私は、新商品関連の業務で、入社以来一番の多忙な日々を過ごしていました。
社内の調整不足や業者とのトラブルなどで思うように仕事が進まず、
常に締切に追いかけられる日々で、
休日も、体力を回復させるのに精一杯といった状況で、
転職について考える暇もなく、ただ時間だけが過ぎていった気がします。
もし、退職するまでに絶対に転職先を決める!という思いがあったら、
この頃相当焦っていたと思いますし、
冷静に考えたり準備する時間がないまま、
ご紹介いただいた企業の方にお会いしていたかもしれません。
〜7月上旬〜
新商品関連の業務もほぼ収束し、引継ぎを行っている頃、
東京駅の喫茶店で、再び原田さんとお会いしました。
先にご紹介いただいた会社の仕事内容に私は惹かれており、
この時、面談のアポまでとっていただいたのですが、
面談当日、展示会で説明員をしなければならなくなり、
お会いすることができませんでした。
急なキャンセルは業務上の都合でもありましたが、
自分が今後どうしていきたいか、まだ揺れている時期でもあったので、
退職して一旦落ち着いて考えようと思う、と原田さんにお伝えしました。
そしてこの頃、地元の町職員採用試験があることを知ります。
もともと私は公務員志望ではありませんでした。
しかし、転職のためのUターンか、Uターンのための転職か、
というそもそもの動機を振り返ると、
Uターンのための転職、という意識が強かったことや、
人々の生活に多角的に関わることができる公務員という仕事に魅力を感じ、
応募してみることにしました。
そもそも公務員試験とはどういうものか?から調べるような状態で、
準備期間が2ヶ月しかないことや、
民から官へ、という転職に若干戸惑いを感じながらも、
3年という社会人経験は、官・民どちらでも活かせると思うし、
数年間地元を離れていたという経験も役立つのではないか?と思い、
時間内で、とにかくやれるだけやってみよう、と決意します。
〜2007年7月末〜
退職
〜2007年8月〜
実家に戻ると同時に入院してしまいました。
そして、入院の原因となった病気以外にも病気が見つかり、
これまでの乱れがちだった生活を大いに反省しました。
入院によって、公務員試験の準備期間がますます短くなり、
試験範囲を全部カバーできず、相当焦りました。
〜2007年9月〜
一次試験(筆記試験、集団面接)を受験しました。
筆記試験はやはり、準備期間なりの出来でした。
一次試験で面接を行う自治体は珍しいようですが、
これも私にとって幸運の一つだったのかな、と今となっては思います。
想定問答を考える際には、職務経歴書が、経歴書自体もそうですが、
それをまとめあげる段階で考えたことが役立ちました。
本心でなくとも、文章で自分を飾ることはいくらでもできるとは思いますが、
想定問答を作りながら、この話は実感を込めて語ることができるか?
と度々自分に問い掛けた結果が、面接では出せたかと思います。
そして、一次試験を幸運にも通過した私は、10月に二次面接を受け、
無事、採用していただくことが決まりました。
偶然や幸運続きの転職への道のりを経験して、
次の職が決まってから退職すべし、無職より現職の方が有利、
ということを実感しました。
これは、原田さんや、転職を経験した知人の多くが語っていたことです。
私は、退職して山形に帰ってから転職活動をする、と決めたものの、
先が見えない状況が長く続くと不安にもなります。
やはり、ブランクは短い方が良いと思います。
私は現在は無職ですが、仕事の感覚が鈍っているだろうな、と感じています。
しかし、時間がたっぷりある今だから出来ることに時間を充て、
再就職までの時間を有意義に過ごしていきたいと考えています。
2007.11.21:Copyright (C)
原田幸雄の「これからどうする!?」
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大学卒業後、東京にでて働いてましたが、今年の夏、山形に戻ってこられました。
当社へ求職登録してくれたことが知り合うきっかけでした。
私とのやり取りから自分の行く道を再考し、地元の役場の公務員試験をうけ、見事合格されました。来年4月からの勤務に備えて、いまは準備といったところのようです。
Eさんに体験談を書いていただきました。きっと、Uターンを考えている方々の参考になると思います。
どうぞご覧ください。
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私の転職までの道のりは計画的とは言えず、
本当に運が良かったの一言に尽きます。
しかし、原田さんとの出会いから再就職決定までの期間は、
これまでの働き方を振り返ったり、
自分がこれからどのような人生を歩みたいか、など、
今までの中でもっとも、自分自身との対話をした期間でした。
原田さんには、私の希望などを汲み取っていただきながら、
山形県内の企業をご紹介いただきました。
結果的に、ご紹介いただいた企業さんへの転職とはならず、
来春からの町役場へ再就職することとなりましたが、
原田さんとの面談や職務経歴書作成を通しての
数々のアドバイスを面接で活かすことができ、本当に感謝しております。
再就職決定までを、時系列で振り返りたいと思います。
私は高校卒業とともに実家を離れ、
大学卒業後メーカーに就職しました。
Uターンを本格的に考え始めたのは、就職後3年が経った2007年の1月頃でした。
以前から、いずれは実家の近くに戻ってきたい、
実家の近くで子育てがしたいな、と思っていましたが、
祖父母が老いていく姿や、介護をしている親の姿を見て、
早く地元に帰りたい、という思いが強くなっていたのです。
また、会社では、自分の今後の見通しが考えられなくなっていました。
新卒で入社した会社では、3年間販促ツールの制作に従事し、
一通り仕事を任され、信頼も得ていた(と思う)のですが、
このままではツールだけの人になってしまうのでは、
という危惧を抱きながらも、作業に追われる日々が続いていました。
そして、3年目に入った頃から、違う仕事にチャレンジしたいと思い、
異動の希望を出していました。
〜2007年2月〜
有名な転職サイトを見始めますが、
首都圏の情報に比べ、東北の求人情報があまりに少なく、
若干の衝撃を受けたのもその頃です。
身近にUターン転職者がいないため、
どうやって探したら良いんだろう?と手探りの時期でした。
〜2007年3月〜
東北地方中心の転職サイトを探している時、
キャリアクリエイトのサイトと出会いました。
私はすぐさま原田さんに連絡し、「Uターンの勘所」を読みました。
“転職のためのUターンか?Uターンのための転職か?”については、
私の場合は、“Uターンのための転職”という考えが強かったのですが、
私のUターン願望が一時の衝動的なもので、
動機が漠然としているような気がしたのも事実です。
その後原田さんと数回メールのやりとりをし、
たまたま帰省することになった時に、
米沢で原田さんとお会いしました。
小学校の校長先生のような方だな〜、という印象を受けました。
その時は、女性の場合は年齢が高くなる程Uターン転職が厳しくなる、
(働き口がないこと、都市との賃金格差が大きくなること、など)
というお話をしていただいた覚えがあります。
また、Uターンによって得ること、失うこと、を挙げてみてください、
そして、得ること(メリット)が失うこと(デメリット)を上回れば、
Uターンしても大丈夫でしょう、という話をしていただきました。
仕事の環境、私生活など色々な面で、東京と山形、を秤にかけ、
その時は確信は持てなかったものの、
山形に帰った方がメリットは大きいと思いました。
しかし、頭で考えるのと実際生活環境が変わってからの実感は違うもので、
正直、山形に帰ってきた直後は、
あまりにものんびりした環境に私はなじめるのかと、不安になりました。
(今はもう大丈夫ですが。)
そして、入社から今までの仕事の内容や、
今後どのような業界、職種に就きたいか、というお話をしました。
業界・職種に関しては、漠然としたイメージしか抱いていませんでしたが、
仕事上、お客様にとって身近なツールを作っていながら、
滅多にお客様に接する機会がなくもどかしさを感じていたので、
現職を活かしつつ、お客様との接点に立てる仕事、という希望を持っていました。
また、当時私は2人の後輩の指導もしているというお話もしたところ、
原田さんからは、どんどん下を育てて、新しい仕事にチャレンジして
自分の経験を高めていくように、とアドバイスをいただき、
それが、その後の自分の仕事の仕方を見直す良いきっかけとなりました。
〜2007年4月〜
履歴書・職務経歴書を作成し始めました。
転職サイトなどで参考例を見つつ作成していたが、
どうまとめてよいのやら、要領を得ず、
やみくもに仕事内容を羅列しただけの、
今振り返るとため息が出るようなものでした。
原田さんには、何度も何度も添削していただきました。
ブラッシュアップするにつれ、自分でも、社内外の人との関わり方や、
今までの経験の中で、自分にとって成長を実感できた出来事は何だったのか?、
仕事を進める中で自分が重要視していることは何か?など、
見過ごしていたポイントが徐々に見えてきて、
原田さんからは、徐々に、私の仕事場での様子が見えてきましたね、
と言っていただけるようになりました。
そして、転職に向けて、自分が出来ること、したいこと、
仕事をする上で譲れないポイントなどが見えてきて、
仕事へ取り組みに変化が起きました。
この時に十分頭を整理することができ、
面接にも大いに役立ちました。
この頃、漠然と「引継ぎ」を意識し始め、
初心者でもわかるツール制作の手順や
スケジュール管理法などをまとめながら、
手がけている仕事重要ポイントや無駄が見えてきた気がします。
〜2007年5月〜
ゴールデンウィークに再び帰省し、家族と相談し、
会社を辞める決意をします。
そして、上司と面談をしていただき、退職の意向を伝えました。
退職時期については、当時担当していた商品が8月発売であり、
6月末頃に一連の業務が落ち着くことから、7月末と設定しました。
転職先が決まってから退職、というのが普通の流れかもしれませんが、
私の場合は日々の業務が忙しく、今後も多忙な状況が続きそうだったので、
(ただ単に時間の使い方の問題かもしれませんが・・・)
転職活動に時間を割くことができないだろうと思い、
退職後に本腰を入れようと考えていました。
〜2007年5、6月頃〜
原田さんより、是非紹介したい企業がある、と、2社ご紹介いただきました。
当時私は、新商品関連の業務で、入社以来一番の多忙な日々を過ごしていました。
社内の調整不足や業者とのトラブルなどで思うように仕事が進まず、
常に締切に追いかけられる日々で、
休日も、体力を回復させるのに精一杯といった状況で、
転職について考える暇もなく、ただ時間だけが過ぎていった気がします。
もし、退職するまでに絶対に転職先を決める!という思いがあったら、
この頃相当焦っていたと思いますし、
冷静に考えたり準備する時間がないまま、
ご紹介いただいた企業の方にお会いしていたかもしれません。
〜7月上旬〜
新商品関連の業務もほぼ収束し、引継ぎを行っている頃、
東京駅の喫茶店で、再び原田さんとお会いしました。
先にご紹介いただいた会社の仕事内容に私は惹かれており、
この時、面談のアポまでとっていただいたのですが、
面談当日、展示会で説明員をしなければならなくなり、
お会いすることができませんでした。
急なキャンセルは業務上の都合でもありましたが、
自分が今後どうしていきたいか、まだ揺れている時期でもあったので、
退職して一旦落ち着いて考えようと思う、と原田さんにお伝えしました。
そしてこの頃、地元の町職員採用試験があることを知ります。
もともと私は公務員志望ではありませんでした。
しかし、転職のためのUターンか、Uターンのための転職か、
というそもそもの動機を振り返ると、
Uターンのための転職、という意識が強かったことや、
人々の生活に多角的に関わることができる公務員という仕事に魅力を感じ、
応募してみることにしました。
そもそも公務員試験とはどういうものか?から調べるような状態で、
準備期間が2ヶ月しかないことや、
民から官へ、という転職に若干戸惑いを感じながらも、
3年という社会人経験は、官・民どちらでも活かせると思うし、
数年間地元を離れていたという経験も役立つのではないか?と思い、
時間内で、とにかくやれるだけやってみよう、と決意します。
〜2007年7月末〜
退職
〜2007年8月〜
実家に戻ると同時に入院してしまいました。
そして、入院の原因となった病気以外にも病気が見つかり、
これまでの乱れがちだった生活を大いに反省しました。
入院によって、公務員試験の準備期間がますます短くなり、
試験範囲を全部カバーできず、相当焦りました。
〜2007年9月〜
一次試験(筆記試験、集団面接)を受験しました。
筆記試験はやはり、準備期間なりの出来でした。
一次試験で面接を行う自治体は珍しいようですが、
これも私にとって幸運の一つだったのかな、と今となっては思います。
想定問答を考える際には、職務経歴書が、経歴書自体もそうですが、
それをまとめあげる段階で考えたことが役立ちました。
本心でなくとも、文章で自分を飾ることはいくらでもできるとは思いますが、
想定問答を作りながら、この話は実感を込めて語ることができるか?
と度々自分に問い掛けた結果が、面接では出せたかと思います。
そして、一次試験を幸運にも通過した私は、10月に二次面接を受け、
無事、採用していただくことが決まりました。
偶然や幸運続きの転職への道のりを経験して、
次の職が決まってから退職すべし、無職より現職の方が有利、
ということを実感しました。
これは、原田さんや、転職を経験した知人の多くが語っていたことです。
私は、退職して山形に帰ってから転職活動をする、と決めたものの、
先が見えない状況が長く続くと不安にもなります。
やはり、ブランクは短い方が良いと思います。
私は現在は無職ですが、仕事の感覚が鈍っているだろうな、と感じています。
しかし、時間がたっぷりある今だから出来ることに時間を充て、
再就職までの時間を有意義に過ごしていきたいと考えています。