旧六十里越街道を歩く(1):米沢学アカデミー
米沢学アカデミー
参加者絞込
米沢鷹山大学本部
うちの庭
おしょうしな ネット
ティルーム”K”
ざい郷や
おらほの地域学
彩りアルバム
■
H O M E
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
メモ集
旧六十里越街道を歩く(1)
7月28日、29日、今年は月山の「高山植物を訪ねる会」
が行われた。しかし、雨天で月山へは登ることは出来ま
せんでした。代わりのメニューとして旧六十里越街道を
歩くことになりました。
六十里越街道とは、今から約1300年前ころから山形城
下と庄内の鶴岡を結ぶ道として開かれた街道で、時代の
流れとともに塩の道や軍道、そして信仰の道など、街道
は性格を変えながら栄えててきた。特に街道筋に残る石
碑群から「湯殿山参り」と称された信仰の道としての繁
栄ぶりをうかがい知ることが出来ました。
2011.07.31:Copyright (C)
おしょうしな ネット
▼
この記事へのコメントはこちら
題名
本文
作成者
URL
画像
編集用パスワード
(半角英数字4文字)
※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 7人
■
記事数
公開
79件
限定公開
0件
合計 79件
■
アクセス数
今日 119件
昨日 206件
合計 175,746件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
が行われた。しかし、雨天で月山へは登ることは出来ま
せんでした。代わりのメニューとして旧六十里越街道を
歩くことになりました。
六十里越街道とは、今から約1300年前ころから山形城
下と庄内の鶴岡を結ぶ道として開かれた街道で、時代の
流れとともに塩の道や軍道、そして信仰の道など、街道
は性格を変えながら栄えててきた。特に街道筋に残る石
碑群から「湯殿山参り」と称された信仰の道としての繁
栄ぶりをうかがい知ることが出来ました。