最上義光歴史館/館長の写真日記 令和6年8月13日付け

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和6年8月13日付け
 現在、当館では企画展示「収蔵名品展 −武人と屏風−」を開催中で、3点の屏風を展示しています(令和6年9月29日(日)まで)。収蔵資料から武人とかかわりのある名作屏風を展示し、武人が屏風を通して見ていた風景を供するものです。
 それぞれの屏風を簡単に紹介しますと、まず「四季花鳥図屏風」は、六曲一双の山形県指定有形文化財です。「四季花鳥図屏風」と言えば、狩野派ファンの方は、あっ、あの狩野元信の平成25年の切手趣味週間にも採用されたあれか、と色めきたたれるかもしれませんが、そうです、あの狩野元信の屏風、ではなく、彼の晩年の弟子、狩野玄也が描いた、金極彩色の「四季花鳥図屏風」とは真逆の、しぶい墨画淡彩です。
 背景には霞のようにうっすらと金泥が塗られているものの、あちこちに傷みがあります。しかし、博物館的な価値としては出所や来歴に依るところが大きく、この屏風は山形城主だった秋元家に伝来したものであり、作者も来歴も由所あるものです。逆にたとえ美品であっても、出所や来歴が不明だと展示は困難になります。


「四季花鳥図屏風」右隻

 つぎに「葡萄棚図屏風」という六曲一隻の屏風を。最上義光の菩提寺である光禅寺に伝来した屏風で、本来、六曲一双の屏風なのですが、火事に遭い、半分の一隻だけが残ったものです。葡萄棚にフサフサと実る葡萄が描かれているのですが、これは「葡萄」に「武道」を掛けた武人に好まれる図柄でもあるということで、なんともベタベタな駄洒落ではありますが、西洋では、葡萄は多産繁栄の象徴として好まれたモチーフではあります。
 それで焼けてなくなったもう一方の屏風はどんな図柄なのか。当館に協力いただいている大学の先生から以前、ケルン市立東洋美術館で同じような屏風を見たことがある、との情報をいただいており、今回の展示にあたり、その収蔵品リストにネットで確認したところ、ほぼ同じ図柄の屏風がありました。これにより当館に残った屏風が、右隻なのか左隻なのかも推測できました。
 また、そこには作品解説もあり、ネットによる自動翻訳文では「構図的には、屏風は加納永徳の〈拡大されたモチーフの公式〉に従っており、金箔の広い表面に対してセットされ、浅い絵画空間を作り出しています。」とありました。なんとも直訳風ではありますが、まず、「加納永徳」ですが、なぜか「永徳」は変換できても、「狩野」ではなく「加納」となってしまい、まあこれは自動翻訳ではしばしば起きることです。「拡大されたモチーフの公式」とは「大画様式」のこと、「浅い絵画空間」とは「奥行きのない絵画空間」と読みかえると、ようやくこの文章がわかりやすくなるかと。まずは、このドイツでの研究成果をもってすれば、この屏風の作家や年代がなんとなくわかり、この葡萄棚図屏風は狩野永徳の工房でつくられたとの見方に、もしかしてたどりつけるかも。なにはともあれ、ここの美術館のデーターベースはしっかりしていて、出品記録や出版物掲載記録まで記録公開されていて、とても有用なものです。


「葡萄棚図屏風」

 最後は、紙本金地著色の「すすき図屏風」。これは金地に様式化された糸薄(いとすすき)だけをただただ描いているもので、尾形光琳の「燕子花図屏風」を想起させる、狩野派よりも琳派といった趣向の図柄です。見事なほどシンプルモダンな図柄で、色彩的にもデザイン的にもミニマルなものです。そのグラフィカルに描かれた薄が、屏風が折れることで、重層的で立体的な奥行きを作り出し、この六曲一双の大画面で室内を飾れば、そこはたちまち異空間と相成ります。
 個人的には大変気に入っている屏風なのですが、如何せん、「義光の重臣の菩提寺に伝来したもの」という情報のみで、年代も作者も不詳のため、博物館的には扱いが難しいものです。「葡萄棚図」のように、類似作品が他にあればとは思うのですが、薄(すすき)をモチーフにした屏風はあっても、これと同じ画風のものはなく、見方を変えれば唯一無比の屏風なのですが、多くの屏風がパターン化されて描かれていた中で、この「すすき図屏風」は、「他に類を見ない唯一無比の貴重な屏風である。」と言い切るのも、それはそれで気合のいることでして。でも、いい図柄でしょう、これ。


「すすき図屏風」右隻


(→ 館長裏日誌に続く)




2024/08/13 09:00 (C) 最上義光歴史館
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