最上義光歴史館/館長の写真日記 令和6年3月28日付け

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和6年3月28日付け
 今年度も残すところあとわずか、ということで、来年度の事業について学芸員と確認をしていました。令和6年度は山形市制135周年にあたり、各職場・施設で関連事業の開催が求められています。当館は市制100周年に開館しているため開館35周年ということにもなり、やはり何かしら記念事業のようなものを、とは思うのですが、5周年刻み程度では特別な予算などを計上できるはずもなく、でもこれを愚痴れば「足らぬ 足らぬは 工夫が足らぬ」と、物資の乏しいまま戦につっこんでいったようなときの言葉が返ってきかねません。
 この何周年記念といういわゆるメモリアルイヤーは、何か事業のきっかけにはなります。例えば最上義光公の場合、1546年1月1日生、1614年1月18日没ということで、あの、メモリアルイヤーとは当面の間、縁がなさそうです。最上義光没後400年として2013年に「よしあきフェスタ」というものを開催し、長谷堂合戦を模した合戦や、甲冑を着てのパレード、講演会や宝さがしなどが催されました。当時、市の担当課は「義光の存在と魅力をアピールすることができた。ヒーローとして33年後の生誕500年まで発信し続けたい」とコメントしていました。「その手ゆるめば戦力にぶる」という、またもや戦時中の言葉がうかんできます。
 よそ様の話ではありますが上杉謙信公の場合、1530年1月21日生、1578年3月13日没ということで、3年後ぐらいには没後450年、その2年後には生誕500年ということで、毎年鉄砲隊が繰り出す某イベントにおかれましては、「いつもより余計に鉄砲を撃ってます。」ぐらいでは、やはり済まされないかと。
 一方、歴史博物館業界においては、このメモリアルイヤーとは比べ物にならない神風のようなものが吹くことがあります。それはあの「大河ドラマ」というものですが、実際、上杉家と直江兼続を描いた「天地人」が放映された折には、当館においても普段の年の倍以上の来館者があり、いまだにこの記録を超えられません。その効果は凄まじく、当地においても、最上義光を大河ドラマに、との声があがっています。
 そこで話題になるのが配役ですが、その前にざっと主要な登場人物と物語のおさらいを。最上義光は背が高くて筋力にも優れ、連歌を嗜み京の都でも一目おかれました。その妹の義姫は、伊達政宗の母になる人。美人で大柄で勝気で、鬼姫とも称されました。義光の娘の駒姫は、東国一の美人と言われ、豊臣秀次に見初められ嫁ぐも、秀次が自刃。秀次と会うことなく処刑されました。享年15歳。
 最上家は天皇及び足利家に関係する家柄で、最上家11代目の義光は信長、秀吉、家康のそれぞれに仕えます。義光とその父の義守との間には確執があり、それに乗じて伊達家が進出したりします。近隣の領土拡大にあってはいくつかの策謀もあり、ゆえに悪名を被せられもするのですが、豊臣秀吉の「小田原征伐」に加わり出羽国24万石を得ました。しかし、「豊臣秀次事件」のこともあり、関ケ原の戦いでは東軍につきます。西軍の上杉方は、「北の関ケ原」と言われる「長谷堂城合戦」で、直江兼続らが最上軍と対峙しますが、東軍勝利の報を受け退却。義光はその戦功により57万石の大大名となります。山形城下を振興し、最上川の舟運と治水灌漑を整備します。最期は病をおして駿府まで行き家康に拝喝、翌年に生涯を閉じます。このくらいのキャラとストーリーがあればドラマは動いていくのでは。特に最上義光(1546-1614)と徳川家康(1543-1616)とは時代がまるかぶりで、57万石というのも家康の覚えめでたき故なのですが、残念ながら「どうする〜」では、かすりもしませんでした。
 そしてこのドラマを面白くするのは、実は妹の義姫です。米沢城主の伊達家に嫁いだ義姫は1567年に政宗を産みます。18年後の1985年、義姫40歳、夫の輝宗42歳の時、輝宗は二本松城に拉致されます。政宗は救出に行くも、捕らわれている父もろとも敵に銃を放ち、輝宗は亡くなります。1988年、兄(義光)と息子(政宗)が、義光の妻の実家の地で開戦、義姫はこれを止めるため戦境に小屋を建て80日間座り込みをしました。1590年の政宗毒殺未遂事件では、首謀者とされた義姫(最近では政宗の自作自演説が有力)は義光を頼って山形に出奔、28年後に政宗のところに戻ります。長谷堂合戦では、政宗に対し義光への援軍を急がせる手紙を送りました。
 戦国一の悪女とも称されますが、兄や息子らの書状などからは、兄や息子を慕い慕われた関係が読み取れます。義姫の配役にあっては兄や息子との年齢的な整合性も求められることから、まず義姫役を決めてから兄(義光)と息子(政宗)を決めていくことになりそうです。もはや義姫を主役にしていいくらいです。
 義姫の物語については、山形在住の直木賞作家である高橋義夫さんの小説「保春院義姫」や、郷土史研究家の石川藤男さんの「義姫ものがたり」などの資料もあり、シナリオや歴史考証、ロケハンも難なく取りかかれるかも。逆に、兜と指揮棒以外、何も残っていないことから、大道具・小道具・衣装については勝手放題です。義光は身長180cm以上、政宗はその21歳年下、上杉家はもちろん足利家も信長、秀吉、家康もでてくる。そして駒姫という悲劇の美少女も。ドラマとしては親子兄妹のホームドラマでも天下国家の歴史ドラマでも、あるいは過去の某番組では「戦国一のワル?最上兄妹の素顔」とのキャッチ−なタイトルもつけられたことからサスペンスでもピカレスクでもいけます。さあ、皆様が想定されるキャスティングはいかがなものでしょうか。

(→裏館長日誌に続く)
2024/03/28 17:15 (C) 最上義光歴史館
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