すごいよ小十郎さん!:山辺専攻科四期生
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うーめん、うめぇ!(ダジャレじゃないよ!ホントだよ!)
しかも『片倉小十郎』の名前が……。
どの『小十郎』かはわからないけど、すごいよ。すごすぎるよ!
今、白石が密かに熱い。
◆片倉小十郎景綱◆
弘治3(1557)年、神主の次男として、出羽国長井に生まれる。
19歳の時、伊達輝宗の徒小姓から輝宗の嫡男・梵天丸(後の伊達政宗)の守り役になる。
以後、生涯に渡り伊達政宗の右腕であり続けた。
政宗の初陣で、己を「政宗」と名乗り、彼を助けたり。
1590年、豊臣秀吉による奥州仕置の際には「蠅はいくら払っても、纏わりついてしつこい」−豊臣をいくら拒否したとしても、蠅のようにまたよってきてしつこいだろうから、大人しく従った方がよい−と政宗に進言、伊達家を救ったり。
◆片倉小十郎重長◆
初代『小十郎』・景綱の嫡男。『鬼小十郎』とはこの方。大坂の陣において、正に鬼のような戦いっぷりだったことから。その戦いぶりを見た豊臣方の真田幸村は、大坂城陥落前夜、娘・阿梅と息子・大八のほか、家臣を重長に託す。その後重長は、阿梅を正室に、大八に片倉姓を名乗らせ、真田の魂を守った。
ある記録によると重長は美青年で、小早川秀秋からつきまとわれたことがあるとか、なんとか。