令和5年度 上杉文華館「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」:山形の歴史・伝統
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令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
「上杉文書」調査の詳細はこちら
《景勝をめぐる記録の編纂》
【展示期間】4月26日(水)〜5月23日(火)
今回は、天正6年(1578)3月、謙信が不慮の死を遂げた後、景勝(長尾政景の次男、母は謙信の姉)と景虎(小田原・北条氏政の実弟)による後継争い「御館の乱」に関する書状と、後年の編纂物をご紹介します。
景勝に関する記録編纂の例として、早くは寛永16年(1639)に家臣に謙信・景勝の御書・感状を提出させ、「古案集」が編纂されました(上杉家文書に伝来)。元禄9年(1696)には、米沢藩の儒学者矢尾板三印が景勝の年譜編纂にあたり、同16年に完成させます。その前段階では、藩が家臣や領民に所蔵文書の差し出しを命じ、元禄4年(1691)と同9年に古文書集「御書集」が編纂されました(上杉文書に伝来)。この他、江戸時代の景勝に関する記録として、上級藩士平林恒広がまとめた謙信・景勝・定勝の伝記「三公外史」、物語調の伝記「景勝公一代略記」、家格と儀礼などの先例集である「定例亀鑑」、国分家が手がけた上杉家歴代の年譜「大政録」などが編纂され、上杉文書に伝来しています。
近代には、伊佐早謙が明治17年(1884)に「奥羽編年史料」の編纂に着手します。明治21年からは上杉家の命で幕末の藩主上杉斉憲の年譜編纂にあたり、同30年に草稿を完成すると、さらに対象範囲を広げ「御家旧歴史編纂」を命じられました(「歴代年譜 茂憲公」)。国宝「上杉家文書」の包紙の一部には、伊佐早がその文書の機能や内容、作成者、年代、時には真贋や考察を記したメモが付され、上杉家文書に新たに文書を追加した例も確認されます。
▼ コレクショントーク
日時:5月14日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001