上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」:山形の歴史・伝統
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2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。
【展示期間】平成30年10月25日(木)〜11月27日(火)
《第8回 明治初期の様相》
国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書や幕末・明治期資料が含まれています。今回は、特別展「戊辰戦争と米沢」の開催に合わせ、戊辰戦争の戦後処理から明治という新しい時代を知ることができる文書を紹介します。
戊辰戦争の戦後処理としての処罰で、米沢藩は藩主斉憲の隠居と世子茂憲の家督相続、領地四万石の召し上げ、そして首謀者である家臣の届け出は、すでに戦死していた総督色部長門として、比較的軽いものでした。(国宝「上杉家文書」『上杉斉憲宛行政官達書』前期展示)国宝「上杉家文書」には、仙台藩、長岡藩、庄内藩に対する処分についての、『行政官達書写』が残されています。三藩に限ってか、たまたま残ったのが三藩なのか、書写の必要性、
いつ、誰が、どこで書写したのかなどの基本情報についても未詳です。しかし三藩はとりわけ米沢藩とは関わりの深い藩であったことは確かです。仙台藩は米沢藩とともに奥羽列藩同盟の盟主でした。北越諸藩も同盟に加わり奥羽越列藩同盟となりました。長岡藩主牧野忠訓、養父忠恭の絶大な信頼を得ていた家老の河合継之助の指揮のもと、長岡城奪還に成功するなど同盟軍は熾烈な北越戦線を戦いました。米沢藩士も多数戦死しています。明治元年(一八六八)九月一一日、米沢藩世子上杉茂憲は新発田(新潟県)にて、新政府総督仁和寺宮嘉彰親王に謁見して正式に降伏しました。一六日には、庄内藩追討の先鋒を命じられました。米沢藩は会津・庄内に兵を進めつつも、両藩の降伏交渉の仲介にあたりました。
明治維新政府から、隠居した一二代藩主上杉斉憲に宛てられた召状三通は、すべて斉憲の位階の昇進に関わるものです。しかし差出は、太政官書記官、内閣書記官、爵位局と異なります。これは新政府の組織の改編によるもので、新政府が模索しながら新時代を切り開いていく様相が垣間見えます。召状も国宝ですが、肝心の『位記』も国宝「上杉家文書」中に伝存しています。また、上杉斉憲の位階は、江戸時代の歴代藩主の位階に比して各段に上がっています。これは、版籍奉還、廃藩置県によって旧藩主の特権や地位が貶められたことに
対する新政府の対応の一つと考えられます。華族制度もその一つと言えるでしょう。
江戸幕府が崩壊し新時代を迎えるという激動の時代を生きた上杉斉憲ですが、歴代米沢藩主に比して子福者でした。一九人の子供がいます。それらをめぐる内政面の冊子も紹介しています。
また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は、
10月20日(土)〜11月18日(日)は原本展示となります。
▼ コレクショントーク
平成30年10月27日(土)
14:00〜
場所: 常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238−26−8001