《不滅の法灯》山寺立石寺:山形の歴史・伝統

山形の歴史・伝統
《不滅の法灯》山寺立石寺(ふめつのほうとう)
不滅の法灯は、伝教大師最澄が比叡山上に登り延暦寺の前身「一乗止観院」を開いたのに始まります。以来1200年以上にわたって途絶えることなく不滅の法灯として守り続けられてきました。

山寺(立石寺)は860年に延暦寺より分灯されますが、戦国時代に建物が焼失し灯火が失われます。ですが改めて延暦寺の法灯を分けてもらうことで引き続き法灯を守り続けてゆきます。

その後、1571年に織田信長により比叡山が焼き討ちに合い、不滅の法灯が失われてしまったかに思われました。しかし、幸いにも立石寺に不滅の法灯は分灯してあったため、その灯火を分けてもらうことによって比叡山の不滅の法灯は復活し、現在まで互いに法灯を守り続けることができているのです。

参考/京都を歩くコラム
2006.06.04:Copyright (C) 山寺紀行 / Yamadera Blog
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