上杉文華館  「 後継者を育てる 」:山形の歴史・伝統

山形の歴史・伝統
上杉文華館  「 後継者を育てる 」

上杉文華館  《 上杉鷹山をめぐる人々 》

  「 後継者を育てる 」

【展示期間】:平成26年9月25金)〜10月21日(火)まで。

 

今回の上杉文華館は、「後継者を育てる」の展示です(。・_・。)ノ

 

 鷹山の直接の後継者は、安永5年(1776)に鷹山の世子(跡継ぎ)となり、天明5年に第10代藩主となった治広です。安永5年には鷹山の実子・顕孝(あきたか)が生まれ、治広の次の藩主として将来を期待されましたが、跡を継ぐことなく19歳の若さで死去しました。

その後、義理の孫・宮松(後の斉定)が世子に定まり、7歳から鷹山の元で育てられ、文化7年からは国政見習のため隠居所・餐霞館(さんかかん)で鷹山と寝食をともにしました。

文化9年、斉定は11代藩主となり、鷹山以来の改革を推進し、ようやく成果が結実していきます。

 鷹山の改革は、優れた後継者を育て、隠居の立場から支援していくことで継続したと言えます。

 

 展示物の中から1点ご紹介致します。.*:゚(・ω・人)゚:*.

 

 

上杉斉定伺書並上杉鷹山朱筆勘返状

(うえすぎなりさだうかがいしょうえすぎようざんしゅひつかんべんじょう)

一通

17.0×64.2

江戸時代(文化5年・1808頃) 正月19日

米沢市上杉博物館

 

[ 解 説 ]

 江戸にいる喜平次(後の一一代藩主斉定)から、米沢にいる鷹山宛ての書状です。

鷹山からの返信が、行間に朱筆で書き込まれています。

 喜平次は、世継ぎとして白銀(しろがね)の米沢藩下屋敷に住んでいました。ところが桜田の上屋敷に移り住み、義理の父母である治広夫妻に孝行を尽くしたい、と鷹山に相談したようです。

鷹山は素晴らしい考えで感心した、これも学問の成果だ、と称賛しています。続いて、桜田邸は手狭で移住は難しいので、移住するほどの心持ちで養父母に孝行するよう、教え諭しています。

  このように、上杉家の当主や隠居として、鷹山は子や孫の世代に対し、当時の儒教観念に沿って積極的に養育、助言に務めました。男女を問わず、子や孫それぞれに向けた鷹山の書状や教諭の冊子が多数、伝来しています。

 

スタッフ一同、お待ちしておりますm(_ _"m)

 

次回、展示予定

上杉文華館  《 上杉鷹山をめぐる人々 》

「 娘と孫 」

【展示期間】:平成26年10月23(木)〜11月25日(火)

 

コレクショントーク 
 11月 15日(土)14:00〜

講師:当館学芸主査 佐藤 正三郎

場所:常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

.。o○.。o○ お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで .。o○.。o○ 

 

 

 

 

 

 

 

 


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