水分たっぷりのミゾレ雪が。。。:山形の歴史・伝統
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今日の画像は、あまりにも・・・だったので、少しオーバーアクション気味にレタッチしてみました。ちなみに、元画像は以下の通りです。
ところで、話はいきなり変わるが、日本には、俳句とか連歌という文化がある。
今は、作品の内容についてどうこうという事ではなく、うまく言えるかどうか分らないが、その連綿性というか、継続性というか、に、注目している。
っというのは、誰かが読んだ句や歌を受けて、更にまた誰かが歌う、それをまた誰かが受けてまた歌う。そんな事をしつつ、想いのバトンタッチと変容や洗練を楽しむ・・・なんて事があるが、それがなんだか良い。先人の想いと自分の想いが繋がっている訳だし、それがまた後輩に繋がりつつ、時代と共に変容していく訳だし、加えて、先を歌う人と後を歌う人が、同時代人とは限らない事があるのも非常に面白い。
近年のオシゴト界では、差別化とか個性化などと、無理繰り「アンチ」をひねり出す場合も多い。もう少し大袈裟に言えば、相対的単純差別化とか、同:個性化とも言えるかも知れないが、昨今の経済環境下や社会趨勢上、仕方ないのかも知れない。そして、それはそれで「アプローチ」のひとつだろうとも思う。
でも、「アプローチ」のひとつであれば、別のアプローチもあって良い訳だし、特に、地域文化(伝統系のみならず、日々の生活文化)との関係性を重視するオシゴト界などでは、俳句とか連歌のごときアプローチをもっと取り入れても良いのではなかろうか???、と思うふしが若干ある。